見えない都市
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書誌情報
『マルコポーロの見えない都市』米川良夫訳、河出書房新社、2000年 『庭、灰/見えない都市』河出書房新社〈池澤夏樹=個人編集 世界文学全集〉、2009年
『ニュー・ミステリ――ジャンルを越えた世界の作家42人』ジェローム・チャーリン編、Hayakawa Novels、1995年
「都市と死者」が所収。
原題 : Le Città Invisibili
発表年 : 1972年
内容
後に私の本の中でも、とりわけ多くのことを言うことができたと思っている(『アメリカ講義 新たな千年紀のための六つのメモ』所収、「3 正確さ」)と振り返っているほど、その完成度の高さにはカルヴィーノ自身も満足していたらしい。 架空都市の魅力もさることながら、枠組みの作り方が抜群にうまい作品だと思う。
「そちの申す都など存在はせぬ。恐らくはただの一度も存在したことはなかったのだ。もちろん、もはや存在することもない。なぜそのような気慰めの作り話を面白がっておるのだ? わしにはよくわかっておる、わが帝国は沼のなかの骸のように腐り果てている。それに触れなば、ついばむ鴉も、その水に滋養をとって育つ蘆でさえも、みな疫病にかかろうというものだ。なぜこうしたことを語って聞かせぬ?〔……〕」
幕間の中で、フビライ・ハンは幾度もマルコ・ポーロへ問いかける。
そのような(おそらくは架空の)都市の話に、どのような意味があるのか、
文明の至ったどんづまり、この耐え難いほどに重い現実を見ずして、そのような軽さを求めることにいかなる意味があるのかと。
「生ある者の地獄とは未来における何ごとかではございません。もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、また我々がともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つしかございません、第一のものは多くの人々には容易いものでございます。すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようにすることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします。すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます」
物語を結ぶマルコ・ポーロの言葉は、カルヴィーノが(『柔かい月』収録の)「モンテ・クリスト伯」でたどり着いた地点の半歩先を示している。 つまり脱出不可能な牢獄や地獄にたとえられるこの社会のどこかに、小さく空いているはずの突破口を見つけ出すだけではなく、そこから抜け出すための方策を積極的に求めるべきだという点においてである。
ユートピアへの道はそれとは知れぬ形で、この地獄のそこここに隠されている。それらのひとつひとつを目ざとく見つけ出し、寄り集めて完全な形にできるのは、ただひとつ俊敏でしなやかな知性だけなのだとカルヴィーノは信じているのだ。
見えない都市というこの題名は、ユートピアが「どこにもない場所」を意味することを前提として、努めて見分けようとしなければ見分けられない、現代のどこかに隠れ潜んでいる断片化されたユートピアのことを指しているのではないだろうか。
地図のイメージ
ルネッサンス期の地図作成の一代中心地はヴェネツィアであった
世界を視る天文台としてのヴェネツィア。世界を探る針としてのマルコポーロ。