人間関係の構築
20220626
結局のところ、人間関係の構築も目的ではなく幸福の手段
友人が沢山いる様に見える人の幸福と、自分を比べていると幸せにならないな、と思った
自分が満足できる人間関係があれば幸せだよな、という気持ち
人のツイートで見かけた、「人間関係における実績解除マインドを避けて、関係自体にプライオリティを置く」(意訳)ってもこれだなと思ったblu3mo.icon*2
逆に人間関係が広く深ければより幸せ、という事でもないだろうなと最近思った
あとはそもそもblu3mo.iconは比較的1人でも楽しい(というか大人数とずっといると疲れる)タイプだし、この点において他人と比較するのはそもそも間違っていそう
202206
言いたいのはまあ202205と同じ話だけど、もうちょい大学生活のpracticalなノウハウを自分用に言語化しておきたい
人と深めのつながりが生まれるの、二つ以上の接点が存在する時だなと思う
同じクラス x
接点が生まれるところ
同じ授業を受けているとか
その上で、「前の方に座る奴のcluster」など、ある環境で共通の挙動をする人のまとまり/接点も生まれうるなと気づいた
同じサークル/ゼミとか
接点が生まれやすそうな環境を探していくのも有効な気がする
(馬路ゼミ、入った時は知らなかったけどこの点においてもとてもよかった)
202205
今のところ上手くやっているとは思う
思ったこととして、
ただ、別に自分をわざわざ知ってもらうムーブの人生を目指す必要はないなと
(他人の言葉の受け売りだけど)
つまり、
「あまり人間関係構築が得意ではないので、消極的でいいや」というマインドセットは違う
ただ、「会った人と出来る限り仲良くなれる様に努力しよう」というマインドセットも、嬉しい人間関係にはあまり繋がらなそう
なので、積極性は大事にしつつ、ある程度より先は自然/なりゆきに任せる、みたいな考え方が良いかなと思った
i.e.
どうせ手で掬い上げた内の少量しか残らないので、出来る限り大きく掬い上げる
その上で残った(&残したい)人間関係を大事にする
みたいな生き方を目指すと良いのかな〜と思った
(これは掬い上げる前と後を二分して単純化しているので、不正確な例えだけど)
最近感じていた事をとりあえず書き出してみたけど、すごい曖昧な思考な気がするblu3mo.icon*2
まだ考えたい事
なぜ「良い」と思ったかは曖昧なので言語化したい気持ちblu3mo.icon*2
「=嬉しい人間関係/コスト」の最大化?
そもそも人間関係を広げたいと思っている人はそもそもここの「良い」の評価軸が変わってくるので、行動も変わってきそう
これ、掬い上げて多少は残ることを前提としている気がするなblu3mo.icon
たまたま今(202205)はそれなりに上手くいっているだけ
ただ、掬い上げて一定程度残るのであれば、掬って残る量を高める努力をするより、掬う量自体を高める努力をする方が「嬉しい人間関係」は得やすいというノウハウ?
この点はrickshinmi.icon等から学ぶべき点な気はする
絵を描いた方が分かりやすくなる気がするが、書く気が起きないのでいいやblu3mo.icon
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202108
地味に大学後の人生について一番不安に思っている事
12年間GKAで同じ人たちと関わってきたので、知り合いが誰もいない所に飛び込んでやっていけるのか 海外大であれば尚更不安
そもそもの言語の壁+音声同期的コミュニケーションが比較的得意では無い事が重なる
米国大は、そもそもどんな人がいるのかあまり見えていない 国内であれば東大生とか筑波大生とか何人か知っているから、バイアスはかかってるにせよ多少のイメージは湧く
海外だと、ほとんど分からない
かろうじて知っている人たちも日本人留学生なので、全体の感じが分からない
言語の壁という話では、Scrapbox投げつけができないのも困るw
対策
分かりやすく「面白いことやってるんだなー」と思ってもらえる何かを用意する
何かとは
日本料理を練習する(?)
寮生活で人と繋がるのに役立ちそう(雑なイメージ)
ギャップタームに頑張って音声同期的コミュニケーション力を上げる
axokxi.icon アニメを見る、めちゃ大事だなと今までの体験から感じている
(日本人は全員アニメ詳しい、みたいなステレオタイプに合わせに行くのが良いかは別として)
確かにblu3mo.icon
まあ別に最初からコミュ力100%の状態を目指さなくても良さそう
途中とかでも自分の高校以前の殻みたいなのを破れることが大事なのかなと思った
(逆に、そう言う意味で状況に適応するマインドは持っておくべきなんだろうなと)