「AI-mediatedな間主観的な熟議」と「フィジカルな飲み会」が拓く反脆弱な合意形成
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以下のエッセイは、「客観性はない」という前提の意味から始まり、それがなぜ揺らぎ、どのように「主観のズレを積極的に活用する」アプローチが求められるかを詳説します。そして、実際にそのズレを価値に転換するための設計や、飲み会的フィジカル共有の意義、さらにゼロサム・不可逆の場面でも反脆弱性を発揮できる可能性について考えます。最終的には、客観性の崩壊がむしろコミュニケーションを豊かにする“反脆弱”な世界へ繋がり得るという結論を示します。
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第1章:「客観性はない」とはどういうことか
1.1 哲学的背景から見た「客観性の揺らぎ」
そもそも「客観性」とは何を指すのでしょうか。日常的には、「誰の目から見ても正しい、誰もが共有できる事実や真理」といった意味で用いられます。近代以降の科学的世界観のもとで、人々は「客観的事実」に基づいて合理的に思考し、論理的に社会を改善しようとしてきました。いわゆる“近代合理主義”は、ニュートン力学や経験主義・科学的方法に基づいて、「世界には明確に把握可能な秩序がある」「観察者の主観が排除された客観的事実があるはずだ」と仮定したのです。
しかし、20世紀以降、この「客観性」への信頼は次第に揺らいできました。科学哲学者のトマス・クーンは、科学史を振り返りながら、科学的事実は客観的に観測されるのではなく、研究者コミュニティの共有するパラダイム(前提や方法論、認知フレーム)によって左右されると指摘しました。クーンによれば、科学は累積的に真理に近づくのではなく、あるパラダイムが限界に達すると、革命的に別のパラダイムへと転換し、その過程で“事実”そのものの見え方が大きく変わるのです。
社会学的にも、ピーター・バーガーやトーマス・ルックマンの「社会的現実の構成」論は、私たちが“客観的”と思っている社会制度や文化的慣習も、実は人々の主観的な認知や相互行為が積み上げられた産物に過ぎないと主張します。つまり、“客観”とは、究極的には主観の集合であり、それらが反復されて慣習化し、歴史を経て不動のものに見えるようになった結果であるとも言えるのです。
さらに、ポストモダンの思想家リオタールは「大きな物語の終焉」を唱え、社会を統合する客観的な真理や普遍的価値が崩壊し、多数のローカルな物語が併存する時代が来たと論じました。この視点からは、「客観的」と見なされていたものは単に支配的言説(メタナラティブ)であり、それが瓦解する現代では、絶対的基準としての客観性が空洞化してしまうとも考えられます。
1.2 現代社会における「客観性の揺らぎ」の具体的な事例
インターネットの普及とSNSの盛行は、多様な意見や価値観を一挙に可視化しました。一方で、フェイクニュース問題やポスト・トゥルースと呼ばれる現象からわかるように、情報の真偽を「客観的事実」で捉えることが困難になっています。昨今は「ファクトチェック」の重要性が叫ばれつつ、専門家同士でも“正しさ”の見解が分かれる局面が増加し、結果として「自分が信じたいものだけを信じる」空間が乱立しているのが現状です。
このように、かつて人々がよりどころにしていた「客観性」自体がゆらぎ、もはや万人が無条件に納得する唯一無二の真理は存在しないのではないか、という認識が広がりつつあります。そこで不可避になってくるのは、「客観性がない世界でどうやってコミュニケーションし、合意を形成し、社会を成り立たせるか?」という問いです。
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第2章:「主観のズレから価値を生み出す」反脆弱さ
2.1 主観のズレは本来ネガティブか?
通常、合意形成や議論の場面では、「認識や意見のズレ」はネガティブに捉えられがちです。多くの組織やコミュニティでは、主観的な対立をできるだけ解消し、全員が同じ前提に立ってスムーズに意思決定を行うことが“理想”とされてきました。しかし、この「ズレの最小化」という目標は、「客観性が存在する」という仮定に依拠している面があります。つまり、何らかの客観的基準に照らせば、皆が同じ事実関係を把握し、同じ理屈で納得できるはずだ、という信念です。
ところが前章で述べた通り、絶対的な客観基準が怪しくなっている時代において、「ズレはなくなるべきもの」と単純に考えるアプローチは限界を迎えつつあります。むしろ、主観のズレこそが多様性の源泉であり、イノベーションや新しい価値の創発につながる可能性を秘めているという視点が浮上してきます。
2.2 反脆弱性とは何か
「反脆弱性 (antifragility)」という概念は、ナシーム・ニコラス・タレブによって提唱されました。これは、ショックや不確実性にさらされるほど強くなる性質を指します。一般に、「脆弱」とはショックを受けると壊れてしまう性質、「頑健」とはショックを受けても壊れにくい性質ですが、反脆弱はショックを“利用”して、むしろより良い状態に進化する能力を意味します。
主観のズレを「ショック」や「ノイズ」と捉えるなら、それを嫌って排除するのではなく、積極的に活用することでコミュニケーションや組織が進化していく可能性が見えてきます。たとえば、意見の対立から新しい発想が生まれたり、多様な視点が問題解決力を高めたりすることが、その一例でしょう。ここで大事なのは、「主観のズレそのもの」を価値の源泉と捉えるパラダイムシフトです。
2.3 ダウンサイドを減らしながらアップサイドを最大化する
とはいえ、主観のズレを無制限に放置すると、混乱や対立が制御不能に陥るリスクがあります。そこに必要なのが、「ズレをどう扱うか」の設計です。ズレによる衝突を“完全になくす”のではなく、衝突を通じて新しい発想や合意が生まれる形を作り出し、かつ深刻な分断や破壊的な対立に至るダウンサイドを抑制しようというのが「反脆弱性」のアプローチです。
そのためには、ズレを安全に試行錯誤できる空間を作ること、ズレから得られる学びや新発想を効果的にフィードバックすることなどが鍵になります。また、「複数の主観が維持され続ける」こと自体が価値になるような制度設計やコミュニケーション設計を考える必要があります。
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第3章:ズレが「価値」を生む構造をどう実装するか
3.1 AI-mediated communicationによる「主観の維持」
近年、Large Language Models(LLMs)を用いたAI-mediated communicationが注目されています。従来の情報伝達モデルは、送り手がメッセージを作り、それを受け手が受容するという直線的な構造でしたが、LLMsはメッセージ内容そのものを動的に再構成・変換できる可能性を持ちます。つまり、発話者が主観的に伝えようとした内容を「別の表現」に翻訳しながら、受け手に届けることができるのです。
このとき、従来のコミュニケーションの目的が「客観的正確性の担保」だったのに対し、AI-mediated communicationでは「主観間のズレをあえて維持すること」「ズレを拡張して新しい意味を創発すること」が可能になります。AIが各人の主観を翻訳しながら多面的に提示することで、従来なら“衝突”としか認識されなかったズレが、新たなアイデアの源泉となるかもしれません。
3.2 ズレを促進する仕掛け:Adaptive Reframing
実装例の一つとして、AIエージェントが「Adaptive Reframing」を行う手法が考えられます。これは、ある参加者Aの発言を、受け手Bにとって理解しやすい形に変換するだけでなく、それぞれの主観(価値観や関心)に合わせて異なる切り口で提示する、というものです。たとえば、公共施設整備の議論で「道路修繕」を推すAに対し、Bが環境保護を重視していれば、AIが「耐久性のあるエコな道路工法」を再提案する、といった動的変換が行われます。
このアプローチでは、「Aの主張をBがそのまま受け取る」よりも一歩進んで、Aの主張をB向けに再編し、結果としてBの主張との“ズレ”や“結合可能性”を可視化します。ズレが大きいほど、AIが新たなアイデアを挿入して両者を接続する余地が増えるため、対立点を創造性に変えるのです。
3.3 ズレと合意の狭間:複数案の併存と多層的合意
最終的に、不可逆な行動を一つ選ばざるを得ない場合もありますが、そのときでもズレを完全に消し去る必要はないというのが大きなポイントです。AIによって複数のシナリオや意見の「部分的集約」が提示され、各参加者は自分の主観がどのシナリオにどの程度反映されているかを把握できます。結果として、最終行動がたとえ一本化されても、解釈や賛同理由は人それぞれであり、「自分はこの理由で支持する」「あの人は違う理由で支持する」という多様性が同時に維持されます。
そのように行動は一つでも物語は複数という状況を作れれば、人々の主観は尊重され続け、次の局面へと受け継がれていきます。これはまさに「ズレを活かす」構造が実装された合意形成といえます。
この辺もう少し具体的にかけることありそうだなblu3mo.icon*3
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第4章:「客観がなくなることのダウンサイド」にどう対処するか
4.1 「客観がない」世界のリスク
客観基準が失われる世界には、確かに深刻なダウンサイドリスクがあります。たとえば、根拠なき誤情報や陰謀論が野放しになったり、デマやヘイトが拡散することで社会の分断が進む危険性があります。また、「主観のズレは価値だ」と言いながら、単なる対立を煽るだけで生産性が下がる可能性もあります。結局、「誰も正解を知らない」状況では、意思決定が先延ばしになり、停滞や混沌に陥るおそれもあるでしょう。
こうしたリスクを抑制するためには、先に述べた通り「ズレをそのまま放置するのではなく、ズレを活かして新しい意味や合意を生む枠組み」が必要です。放っておけばただの衝突になるものを、意図的に組み替え、創発のきっかけとして扱う仕掛けこそが重要になります。
4.2 フィジカルな環境と時間を共有する「飲み会」概念
一方、「客観がないからこそ身体的な共有体験が重要になる」という考え方もあります。とくにオンラインやテキストベースのコミュニケーションだけに頼ると、感情の機微や身体性が疎外されがちです。そのため、あえて非公式の場や時間をつくり、お互いの存在を身体的に感じ取ることが、主観間の尊重や相互理解を深める鍵になります。
「飲み会」のような場は、表向きには生産的な議題進行はないかもしれませんが、人々の“なんとなくの共通感覚”を醸成するのに非常に有効です。人間は論理や情報だけで説得されるのではなく、「この人とならやっていけそう」「なんだか雰囲気が合う」という感覚面でも納得を求めます。これがハーバーマス的にいう“生活世界”の部分であり、合理的討議(ディスコース)を支える暗黙の背景でもあります。
4.3 バーベル戦略:AI-mediated Communication × フィジカル共有
タレブが語る「バーベル戦略」とは、リスク資産と安全資産の両極端に分散投資して、中間領域をあまり持たない方法を指します。これをコミュニケーション設計に当てはめるなら、一方ではAI-mediatedな議論の場で主観を大いにズラして創造性を高め、他方では身体的に“客観的”とも言える共同行為(飲み会や共同作業)を重視して、関係性を安定化させる、という二極の組み合わせが有効だということになります。
すなわち、「オンラインでズレを拡張」しつつ、「オフラインでゆるやかな共感基盤を築く」という併用こそが、客観性なき時代のダウンサイドを抑えつつアップサイドを最大化する方法だと言えます。このように二つのレイヤー(言語的・抽象的レイヤーと身体的・情緒的レイヤー)を分けて使いこなすことで、より持続可能なコミュニケーションが生まれるでしょう。
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第5章:ゼロサム・不可逆の領域でも反脆弱性はありうるのか
5.1 完全なゼロサムや取り返しのつかない決定
ただし、現実には一度きりの選択が大きく運命を左右するシーンも存在します。原発の再稼働、巨大ダムの建設、あるいは経営上の大規模投資など、後戻りが難しい決断が求められる場面は少なくありません。これらはほぼゼロサム的な対立を生むことも多く、決まったあとで「ズレの活用」などと悠長に言っていられない厳しいケースがあります。
このような不可逆的な決定にこそ、「主観を潰さない」仕掛けが重要になると考えられます。例え行動自体は一本化されても、そこに至るプロセスで複数の主観的物語を残すようにすることで、人々が「完全に自分の意見を無視された」とは感じずに済むかもしれません。また、決定後もコミュニケーションの場を継続し、「次はこういうリスクに備える」「ここで懸念されていた問題をモニタリングし続ける」といった方法で、必ずしも“すべて終わった”とはしないわけです。
5.2 ゼロサムでも「付加価値の創造」や「交換条件」が見いだせるか
究極のゼロサムに見える対立にも、長期スパンや多次元の観点を導入すると、交換条件や付加価値を作れる可能性があります。たとえば、医療リソースが逼迫していて患者のトリアージが必須という場合でも、地域社会のサポート体制や資金援助を含めた総合的な施策を考えることで、完全なゼロサム状態を多少なりとも緩和できるかもしれません。AI-mediatedな議論が複雑な利害関係を整理し、新たな交換条件を提示することで、ほんの一部でも“非ゼロサム”な領域を作り出せる余地が生まれます。
5.3 それでも残る対立と向き合う
とはいえ、暴力的な衝突や戦争のように、コミュニケーション以前に相手を排除しようとする状況では、このアプローチも限界があります。しかし、それでもなお、相互理解や将来的な修復を考える土壌は、主観を完全に否定し合わない姿勢からしか生まれません。不可逆決定やゼロサム構造が強い場面ほど、対話のプロセスと“次へ繋げる仕組み”が重要になるのです。
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結論:「客観性の崩壊」こそ豊かなコミュニケーションの始まり
「客観性はない」という一見ラディカルな前提は、現代の情報環境や社会構造を踏まえれば、むしろ妥当な認識とも言えます。科学哲学や社会学、ポストモダン思想が指摘してきたように、私たちが頼りにしてきた普遍的・絶対的な真理は、さまざまな文脈やパラダイムによって規定されているのです。
そして、客観性がゆらぐ社会では、主観のズレを抑圧することが難しくなります。そこで「ズレを消す」のではなく「ズレを活かす」、つまり反脆弱性の発想を取り入れることで、新たな合意形成の可能性が広がります。主観のズレを積極的に活用するAI-mediated communicationの仕組みや、身体的・情緒的な共有体験を重視する飲み会的アプローチは、その具体的手立てと言えます。
不可逆な決断やゼロサムに見える対立ですら、主観を多層的に残す設計を整えれば、人々が自分の考えを“どこかに活かせる”という効力感や納得感を持ち続ける余地が生まれます。行動が一つに収束しても、背後にある多様な物語が併存することで、コミュニケーションは停止しないのです。
最終的には、私たちが求めるのは「完璧な客観的結論」ではなく、「人々が効力感と納得感をもって社会に関わり続ける状態」でしょう。そのための鍵は、「ズレを価値に変換する」設計と、「ズレを含んだまま関係性を維持する」ための時間と場づくりにあります。オンラインの言語的/抽象的次元ではAIの力を借りて主観を思い切りズラし合い、オフラインの身体的空間では共感と信頼の下地を育む。そうしたバーベル戦略が、客観性なき世界を反脆弱なコミュニケーションへと導く道だと言えるのではないでしょうか。
「客観性の崩壊」は、恐れるべき混沌かもしれません。しかし、その混沌の中にこそ、私たちは従来とは違う創造性や連帯の可能性を見いだすことができます。AIの急速な発展や新しいコミュニケーション技術がこの揺らぎを加速させている今こそ、主観のズレを排除するのではなく、それを起点によりしなやかな社会を形作る方法を模索すべき時なのです。客観がなくなることは終わりではなく、むしろ“多層的な意味世界”が広がる新しい始まりでもあります。私たちがその可能性をうまく引き出せるなら、客観性の喪失という危機すら、人類のコミュニケーションを豊かにするチャンスへと転じられるでしょう。
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メモblu3mo.icon
3章はもう少し具体的に書けることがありそう
そもそも何を目指しているのか、という前提の部分をもう少しした方が良さそう(自由意志を持った個人の等価な意見とか一般意志とかではなく、納得感とか効力感とか。あとはPluralityとか。)
o1 proツッコミ
するどい〜blu3mo.icon
https://gyazo.com/32067687e0117fc0cfadd4122a943b61https://gyazo.com/8f95c5939528013157ce0bd05b700822
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前提として客観性はない
間主観性の制御可能性を高めたい?
ファクト、客観に依存しないシステム
まず、依存しないことで頑健になる
さらに、主観のずれから価値を生み出すことで反脆弱になる
あ〜〜、これは面白い気がするな
不確実性やノイズが多く、ずれがあればあるほど価値が生まれる、アップサイドが大きくなる
「客観がなくなることのダウンサイドを減らして、アップサイドを大きくする」
「合意形成」とかは客観を目指している
客観的現実を目指していくと、行き着くのは「二つに分断されたアメリカ状態」か「一つに統合された中国状態」
複雑性を減らしていく
でも結局最後には意思決定しないといけない。この世界には不可逆なものも多い。じゃあこの反脆弱な仕組みは不可能ということ?何かうまいロジックはない?
多分ここで目指しているのは「全員に自由意志があるという前提で個人の意見を等価に扱うこと」とかではなく、「人々が効力感と納得感を持って社会に関われる状態」だと思う。
https://gyazo.com/57e8b92ea2df6a994bfd653f67c1f220https://gyazo.com/71c3addfbd1ca87a29082b6f835a3de6
主観的言語議論レイヤーと、客観的飲み会レイヤーを分けて考える?