宇宙破壊主義
※私ayu-mushi.iconは量子力学については何も知らない
宇宙破壊主義とは、量子力学の多世界解釈に基づく思想である。この宇宙が、それといっしょに分岐した他の世界線に比べ不幸であれば、この宇宙を破壊したほうがいいと主張する。
宇宙破壊主義の理論的背景として、マインドアップロードと宇宙破壊コンピュータがある。
背景1. マインドアップロード、テレポーテーション、自己の複製・分裂
幸福なシミュレーション世界に自分自身と同じ精神がシミュレートされたものをアップロードしたとする。
しかしそのあと現実世界の自分は自動的に消えたりはせず、(シミュレーションに比べると) 不幸な世界に取り残される。
しかしここで現実世界では自殺することでシミュレーションの中に"移動"できるという考えがある (これを「"移動"の比喩」と呼ぶことにします)
そういう設定のゲームがあるらしいという話をサークルで聞いて、この記事の内容を着想した
マインドアップロードではなく、複製を利用したテレポーテーション (地球から火星に自分の脳についての情報を送り、火星でその状態に対応する脳を複製し、地球にいる自分自身はその後破壊する) などを考えても良いです
アップロード後の自殺の別の正当化 (この正当化を「確率に訴える論証」と呼ぶことにします)
以下では"移動"の比喩に訴えずに、別のやり方でアップロード後の自殺を正当化する。
シミュレーションでも現実でも同じように「自分」でありえるという観点からは、自分のシミュレーションを作成することは、自分が分裂したりして複製 (ここでいう複製はオリジナル自体も含む意味で用いる(というのはオリジナルでも複製でも「自分」でありえるというという立場寄りの用語法だけど)) が作られることと同じように扱われるでしょう
ロールズ的利己主義: 分裂後には、自分が複製のどれかに「なる」と考える (自分がどの複製になるのかは知らないだけで現在の時点で既に事実は確定していると考える。つまり人の通時的同一性について確定した事実があると考える)。現在の時点ではどれに「なる」のかは分からないため、それぞれ等しい主観確率で複数の自分複製のどれかに「なる」と考える。そしてそれぞれに「なった」場合の効用を掛けることで期待効用を計算し、それを最大化するのが良い、と考える
マインドアップロード、自己の複製・分裂においてはこの考えをロールズの無知のヴェールになぞらえてロールズ的利己主義と呼んだ。「複製された自己たちの幸福の総和を最大化すべきである」とする総量功利主義に対応する総量利己主義との対比でロールズ的利己主義と呼んだ。同じ記事にロールズ的利己主義への反論も載せた。 ※ロールズだからといってマキシミン原理 (格差原理) を使うわけではない (つかってもいいけど)
ロールズ的利己主義によると、幸福なシミュレーションを3つ作ってそれぞれに自分をアップロードすれば、アップロード後の自分の期待効用は「3/4 × 幸福なシミュレーション世界での効用 + 1/4 × 現実世界に残された自分の効用」となる
なので、シミュレーションをたくさん作ってそれぞれに自分をアップロードすれば、高確率で幸福なシミュレーション世界へ行ける。
ここで、シミュレーションを増やすのと逆に、現実世界の側を減らす ことで確率を操作することを考える。
すなわち、「複製した後に自分が現実世界に居れば即自殺する」と企図すれば期待効用が「1×幸福なシミュレーション世界の効用 + 0×現実世界の効用」とできるため、自分は複製後 確実に幸福なシミュレーション世界に行ける !
即自殺する場合は自分がその複製に「なる」ことはありえないので、自分がそのayu-mushi複製ayu-mushi.iconに「なる」という確率は0として計算する
ここでは即自殺というのを存在をなかったことにするというのと同じと捉えてる
分岐直後に死ぬという操作を「その方向への分岐を作らない」と同じ意味の操作と考える
確率に訴える論証への反論: 自分がアップロード後、現実世界の自分複製に「なって」、そのあと即自殺する可能性になるというだけではないか? (移動という言葉で表されるように)現実世界の自分という存在自体がないのと、現実世界の自分が即自殺するのは違うのではないか?
即自殺じゃなくて1年後に死ぬとしたらもともと無かったということになるものとして扱うことはできないだろう。そもそも人はいつか死ぬので、死ぬというだけではその自分 (分岐) が最初から無いものになることにすることはできない。即死ぬといっても0秒後ではないだろうから、結局の所同じ (存在しなかったことにはならない) ではないか?
背景2. 宇宙破壊コンピュータ
量子力学の多世界解釈: 量子的な重ね合わせ状態にある量、たとえば粒子のスピンの上向き・下向きが重ね合わせ状態になっている状態でそのスピンを観測したときに、「その粒子のスピンが上向きの世界」と「その粒子のスピンが下向きの世界」に分岐すると考える(それぞれにayu-mushiayu-mushi.iconやあなた(の分岐)がいる)
量子的ボゴソート: 数の並びを昇順に並び替えたいとしよう。そこで、数字の並びを量子的な乱数を用いてシャッフルする。そのあと、観測すると、配列な可能な並び順全てに対応する世界が分岐する。ここで、並びが昇順に並んでいなければ (つまり失敗していたら) 自分の宇宙を破壊する。そうすることで、可能な並び順すべての中には、昇順にきっちり並んでいるものもあるので、破壊されずに残った世界ではその配列の中身は昇順に整列している。これにより、任意の長さnの配列が与えられたときnに比例する時間で、つまり昇順になってるかどうか確かめるための時間に比例する時間だけで、配列を昇順の並び替えることが実現できる
この、失敗したら宇宙破壊すれば自分たちが生きているのは成功した宇宙だけになるという発想を利用する
Quantum Bogocracy: O(1)
This is based on the idea of the Quantum Bogosort algorithm. Whenever two groups disagree, base the decision off a quantum source of entropy such that it creates a branch according to the many worlds interpretation and based on the option’s performance given a certain span of time, decide whether or not to destroy the universe.
政策について対立したら、両方の政策を量子的に分岐した世界でそれぞれ行い、失敗した方が宇宙破壊するというQuantum Bogocracy (量子ボゴクラシー) という政体も提唱されている
主張. 宇宙破壊主義
宇宙破壊主義者は以下の主張を行う。
1. 量子力学の多世界解釈は正しい。世界はこれまでに分岐してきており、他の分岐した世界にも我々 (の複製) が存在する
2. この宇宙は数ある宇宙の分岐の中でも特に失敗した世界線である。つまり量子的な偶然によって、不幸な世界にいる
3. 破壊された分岐の人々は、破壊されなかった分岐のどれかにおける対応する複製に、"移動" する
4. 宇宙破壊すれば もっと成功した世界線に "移動" できる
5. よって、この宇宙は破壊した方がいい
"移動"の比喩に訴えない、確率に基づく論証の場合:
1. 「分岐した後に自分が不幸な世界に居れば即自殺する」と企図すれば期待効用が「1×幸福な分岐の効用 + 0×不幸な分岐(この宇宙)の効用」となる。
より一般には、自分が平均より低いなら自分がなくなると平均が上がるため、期待効用が上がる
2. この宇宙は (この宇宙を除いた他の宇宙の平均値よりも) 不幸である
3. よって、宇宙破壊したほうがいい
あらゆる並行宇宙の中で最善な世界を除いて自ら宇宙破壊したなら、我々はあらゆる並行宇宙の中で最善な世界 (ライプニッツ) に居ることになる
このバージョンでは、この世界の不幸さについて強いペシミズムを採用するひつようはない。単にこの世界が最善でないと信じるなら、宇宙破壊すべきである。
宇宙破壊による他のメリット
多くの人には、マインドアップロードや複製によるテレポーテーションの場合も含め、自分が複数居ると気持ち悪いので1つを除いて消したいという感情があるようである。
このために、オリジナルが不幸でなくてもアップロード/テレポート後にわざわざオリジナルを消したりしたくなるのでしょう
しかし多世界解釈を前提にすると自分が複数居ることは避けられない。
そこで1つを除いて宇宙を破壊することで、自分が複数居ると気持ち悪いという感覚を解消することができる点も、宇宙破壊主義が素朴な直観にアピールする点として挙げられる。
この論拠に基づく場合、この宇宙が不幸でない場合すらも宇宙破壊主義が支持される可能性がある。
宇宙破壊主義への批判
1. 全ての宇宙が破壊されてしまう可能性
この論点は大学のサークルの友人による(たしか)
1以上のあらゆる整数に対応する幸福度の世界線がそれぞれ1つずつある (つまり無限にある) とする。それぞれは「移動」に十分なくらいにはお互いに似ているとする。もしすべての分岐が「もし自分の分岐より幸福な分岐があるならば宇宙破壊する」というルールにしたがって宇宙破壊していくと、すべての分岐が破壊されてしまう (任意の整数についてそれより大きい自然数があるため)
これではより幸福な世界へ"移動"することができないため、宇宙破壊主義者にとって問題になる
1以上のあらゆる整数に対応する幸福度の世界線があるとき、1――つまり最小――の幸福度にあたる宇宙は、宇宙破壊すれば確実に もっと幸福な世界に"移動"できるため、宇宙破壊するインセンティブを持つ。ところで、幸福度n以下の宇宙がすでに破壊されたとき、(そのとき残っているなかでは n+1 が最小なので) n+1 の幸福度もまた宇宙破壊するインセンティブを持つ。よって完全帰納法から、任意の宇宙を考えたとき、ある十分な時間待てばそれがいつか破壊されるということが言える。ただし、自然数は無限にあるので、「全ての宇宙が破壊される」のには無限の時間がかかります
∀u∃t(時点t 以前に宇宙uが破壊される) と ∃t∀u(時点t以前に宇宙uが破壊される)の違いに注意。後者は成り立たない。
この状態が望ましいと言えるかどうかは不明
他の宇宙がその時点ではまだ宇宙破壊されていなくてもその他の宇宙が合理的に振る舞うとして予想される推測をもとに意思決定するとしよう。「これから破壊されるであろう宇宙を除いた全ての宇宙」の中で最小の幸福度の宇宙は宇宙破壊するインセンティブを持つため、nより小さい幸福度の世界が宇宙破壊するだろうと推測されるとき、nの幸福度の世界は宇宙破壊するだろうと推測される。よって全ての宇宙が一気に破壊される。
しかしこのことを各宇宙の住人も想定できるから、「これから破壊されるであろう宇宙を除いた全ての宇宙」は空になるので、かえって宇宙破壊を行うインセンティブがなくなるのでは?
「n-1以下の幸福度の世界は宇宙破壊するだろうと予想され、かつ少なくとも1つ自分より幸福度の高い宇宙が存在すると予想されるとき」宇宙破壊を行うインセンティブがある と修正したほうがいいのでは
この議論を実数や順序数に拡張するとどうなるでしょうか?
2. 自分の世界より不幸な世界線はすべて自己破壊するという前提が成り立っていないと、自分の世界よりも不幸な分岐に"移動"してしまうという可能性 (自分がいちばん不幸な分岐にいる場合はこの問題は発生しない)
技術力が乏しいため宇宙破壊能力がない不幸な分岐が残るという問題、不幸かつ宇宙破壊を行えるが倫理観が未発達であるため宇宙破壊を行わない、あるいは多世界解釈が発見されていない分岐の存在も問題となる
同程度に不幸な世界線同士はお互いが自己破壊するという条件でのみ自分も宇宙破壊したいという状態にある。なぜなら自分が宇宙破壊した後お互いの世界が"移動"先に含まれていてほしくないから。
そう? 別に同等程度に不幸な宇宙同士なら、宇宙破壊しても同等程度に不幸な宇宙にうつるだけで悪化はしないのでは?
宇宙破壊自体にその宇宙にとっての一定のコストがあるものと考えると、相手側が宇宙破壊しなくても同程度に不幸な宇宙に移るだけだからいいじゃんとはならず、同程度に不幸な宇宙に移ることよりも自分が宇宙破壊しないことを選好するはず
このような相互不信状態を解消するためには世界線間のコミュニケーションが可能だと望ましい。
そこで、不幸な宇宙同士はお互いの宇宙の中にお互いの宇宙のシミュレーションを作り出し、非因果的に交渉 (acausal trade) をおこなうのが望ましい
"移動"する可能性がある分岐は自分 (と同じものから分岐した対応物) が居る全ての分岐なのでしょうか?
3. 確率に基づく論証からすれば、宇宙破壊が望ましいと考えるのはあくまで観測して分岐する前の自己の観点からであって、すでに分岐してしまった後の自己にとって分岐前の自己がこの自分に「なら」ないために死んでやる義理はないのではないかという問題
つまり分岐前にあらかじめ「失敗したら自殺する」と企図するのではなく、分岐後になって改めて自殺を企図することを正当化するには確率に基づく論証ではなく"移動"の比喩に頼る必要があるのでは
再反論: 契約論では仮想上したであろう契約に従う義務があるとしているので、それに類比するものとして考えられるかも
自分がどちらの宇宙に行くかわかる以前の状態で契約したであろう契約に従う義務
囚人のジレンマでは、事前に協力するという約束をしたことを守るべき。同様に、あらかじめ失敗したら自殺するということが回顧的に合理的なプリコミットであるなら、それを守るべき。
Eliezer Yudokowsky の Timeless Decision Theory や Updateless Decision Theory ではどうなるか
4. "移動"の比喩に訴える論証についても、(もとのマインドアップロードのシナリオにおいて) アップロード後に自殺する場合では「アップロード後に自殺しよう」と事前に自殺企図しており、アップロードされた自分は「自らのシミュレーションを作成し、アップロード後に自殺しよう」と考えたというその記憶を引き継いでいる という想定だから自己が連続しているように感じられるのであって、分岐前の自殺企図なしに複製に「移動」するというのは、記憶の連続性の観点から問題があるのではないか。なぜなら、「宇宙破壊しようと思った」という記憶を、その複製は引き継がないから。つまり「移動」するのに十分と言えるだけの連続性を満たさないのではないか。
というか、シミュレーション内に「移動」したと言えるのはアップロードに使用した脳状態のもとになった時点までの自分までであって、そのあとに死ぬことで現実世界に取り残された自分が「移動」できるわけではないのではないか
5. すべての宇宙が破壊されるという結果は宇宙破壊主義者にとっても避けたいものだろう。しかし、意図的でなくともなんらかの偶然によって宇宙が破壊されることがありうる。宇宙の数が1つや少数だと、それだけ全宇宙が破壊されるリスクが上がることになる。だから、宇宙がたくさんあったほうがバックアップとして安全ではないか。
再反論: バックアップとして十分な数を残して破壊すればよい
mzero
なぜ自殺主義ではなく宇宙破壊主義か
宇宙破壊は自分自身の破壊をともなうため、宇宙破壊主義は自殺主義の一種であるが、全ての自殺主義が宇宙破壊主義を含意するわけではない
宇宙破壊主義以外のより穏健な自殺主義に比べた、宇宙破壊主義のメリットはあるか?
1.
自分が自殺した場合は自分の存在自体がなかったことにはならない (死んだという事実が消えない) が、宇宙破壊すればこの世界線の自分の存在自体がなかったことになる、という直観。 (これは大学のサークルの友人による)
これが真なら、自殺ではなく宇宙破壊によってのみ分裂前の自己にとってこの世界線の自分複製が次の自分に「なる」確率を0にできる。
(マインドアップロードのケースでも、シミュレーションを走らせている機械を除いた現実世界の全てを破壊するといいかもしれない)
これは (もし成り立つなら) 最も重要なメリットな気がする。
この直観をどう正当化できるか考えてみる:
a. 自分が自殺したあとでそのことを知るひとはいるけれど、宇宙破壊された後でそのことを知る人はいない(※ )から、もし 「(過去の) 事実というのはそれに対する主体の認識に依存する」という反実在論/観念論/社会構築主義が正しいとすれば、生命体 (認識主体になりうる存在) を滅ぼせば、宇宙破壊は存在をなかったことにすることと同等
※ただし、上の批判2でのように他の宇宙からシミュレーションによって宇宙破壊の事実が知られるかも
もし事実が任意の主体ではなく、自己の認識のみによるという、反実在論・観念論の中でも独我論的な立場を取るなら、むしろ自殺主義のほうが支持される。
ここでの反実在論は、「一般的にすべての事実が主体の認識に依存する」という大げさなものである必要はないかもしれない。たとえば、ここで自分の存在が重要なのは価値を比較するためなので、過去についての事実や価値に関する事実が現在の主体の認識に依存することさえ言えれば上の直観を正当化するのに十分かも?
人類が滅びた後になってみれば、もはや過去のものを振り返ってその過去のものに価値が存在するということさえできない、という考え
たとえば「若くして亡くなる」ということが負の価値を持つのは、そのことを知る人がいる限りであり、そうでない場合は、そもそも存在しなかったことと価値に違いはない
価値が未定義になってれば比較から除外できる
b. または、「過去が存在するというのは、現在にその痕跡 (情報) が残る限りにおいてだけなのであり、現在に一切痕跡 (情報) を残さない過去というのは存在しない」というある種の現在主義 (唯今論?) 的な立場から支持することができるかもしれません。その場合、宇宙破壊により過去の痕跡をすべてなくすことで、過去の存在や過去に関する事実はすべて消滅することになります。
この場合、同じ世界状態に合流するような非単射な物理法則を利用し、過去がなんだったか (どっちから来たか) ということを分からなくする。今の状態について、振り返ってみてそれがなんだったかという情報を戻せなくなるような未来の状態に移行することを目指せばよく、物理的な「破壊」ということは本質的ではない。むしろ、HDDをランダムなデータで何度も塗りつぶしてぜったいに復旧できない状態にしてデータを消すというようなことを宇宙に対し行うことが、ここでの宇宙破壊ということになる。
HDDをハンマーで粉々にするのと類比した意味における、情報的な宇宙破壊
ただし、((a)の場合)自分に関する他の主体の認識や、((b)の場合)世界に残る自分の痕跡をすべて破壊すればそれで十分で、宇宙破壊まで正当化するのには論理的に飛躍があるかも。
自分を知る人だけ殺せばよく、全員殺すことは正当化できない (ここでの正当化できないというのは倫理的に正当化できないという意味ではなく認識論的な意味)
この場合、虐待されたことを忘れてしまえばそれはなかったことになるので虐待されたことが持つ負の価値もなくなるし、歴史を抹消してしまえばそれはなかったことになるので虐殺の過去が持つ負の価値もなくなる。
つまり、歴史修正主義が支持される (?)
宇宙はいずれ熱的死にいたるのだから、わざわざ破壊しなくてもいずれなかったことになるのでは
2.
もう一つは利他性に訴えるものである。
自殺だとこの不幸な世界に住む他の人々は別の分岐に"移動"できないので、人類を絶滅、あるいは宇宙を破壊したほうが、皆を幸福な分岐に"移動"させることができ、利他的であると考えられる
これはパターナリスティックであるが、専門知識を必要とする領域ではパターナリズムがある程度認められており、宇宙破壊主義の主張の理解にもある程度の専門性を必要とすることから、パターナリズムが容認されると考えられる。
また、宇宙破壊主義の限定的な (宇宙の破壊を伴わない) バージョンとして、宇宙破壊主義を理解し自ら判断を下すことができる成人は自らの判断で自殺を行うか否かを決定すべきだが、宇宙破壊主義を理解し自分の判断を下すことができない未成年については全員殺すべきであるという主張も考えられる。
また、自らの判断で自殺を行うか判断すべき、というのは、判断を間違えて自殺しない人がこの不幸な世界に取り残されるので自己責任論的であり、悪いという反論も宇宙破壊主義者からなされている。宇宙破壊主義のその一派によれば、死を恐れてしまったり宇宙破壊主義の主張を理解できなかったり納得できなかったりするという人間の弱さを考慮して社会は意思決定を行うべきであり、判断を個々人に任せるという考えは自分で正しい意思決定を行えるという強い人間像を仮定しすぎであるとしている。いわく、宇宙破壊による救済を、それに反対する人々にも与えるべきなのは、子供が注射を嫌がってもワクチン注射をすべきということと同じことである。
利己主義者は自殺するだけで良い。
博愛主義者は人類総心中を行うべきである。
動物愛護主義者であれば、動物も絶滅させるべきである。
環境に内在的な価値を認めるディープエコロジーの観点からは環境も破壊すべきである。
宇宙人の存在を考えると、宇宙破壊主義がもっともインクルーシブな主張として支持される。(マルチバースのいくつかを破壊する多元宇宙破壊主義([1]に多元宇宙的絶滅主義というのがある)の方がいいかもしれない)
あらゆるものに厚生があるなら、あらゆるものを破壊すべきである。
著者が擁護しているグローバルな道徳的実在論によれば、あらゆるものに価値がある。石にも山にも星にも空間にも価値がある。人間は、石や山や空間より価値があるかもしれないが、石や山や空間の価値は0ではない。「環境倫理が人間の倫理の拡張であるように、グローバルな道徳的実在論は環境倫理の拡張である」らしい。
3.
自殺は残された人びとが悲しむので慎むべきだが、宇宙が破壊されたことによって悲しむ人は誰もいない。これが快楽主義に基づく3つ目の議論である。
死自体は不快ではないのでそれ自体としては何ら恐れるべきではない(エピクロス)が、残された人々が困ったり、悲しんだりする点を考慮すべきである。
そこで全員死ねば問題ないという主張が存在する (一家心中の思想的背景として快楽主義が存在するということかもしれない。)
一家心中主義は宇宙破壊主義の範囲が狭いバージョンと考えられる
快楽主義的な観点からは、宇宙破壊が行われる過程で苦痛を発生させるような手段が取られるならそれは問題にすべきだが、宇宙破壊それ自体としては苦痛を発生させることがない以上、何ら悪いことではない 。
宇宙破壊されると知って破壊前に悲しむ人 (宇宙破壊主義のアーギュメントに説得されない、宇宙存続主義者など) がいるかもしれないので、(快楽主義的には) 隠密に行うと良い。
(この(3)の根拠からは人類を絶滅させるだけでよく、宇宙全体を破壊する必要はない。なぜなら他の動物は蚊などを除けば人類が滅びたところで困ったり悲しんだりしないだろうから (動物倫理的には動物も殺すのがいいけれど))
問題: 批判2でのように宇宙間でのコミュニケーション (シミュレーションによる) ができると仮定した場合は別の宇宙が宇宙破壊されることを知って悲しむ人がいる可能性がある (これは大学のサークルの友人による指摘)
(2)に利他性に訴える議論という名前をつけたけれど、(3)も他者を気遣う道徳 (人を悲しませてはいけない) に訴えている
「自分が死ぬとAさんが悲しむ→Aさんが死ぬとBさんが悲しむ→…」という連鎖をたどっていける限りでほろぼすべきということにはなるけれど、これが人類全員を含むということは明らかではない。6次の隔たりを考えるとそうかもしれないけど、(3)の理由だと北センチネル島のひとなどを滅ぼすべき理由ははっきりしない。
その他
自分が生まれる宇宙を選べないのは理不尽。
量子状態を観測したときどっちに分岐するか選べないのは理不尽であり、幸福な側に分岐した人々と不幸な側に分岐した人々の間での不公平性を生み出す可能性がある。量子的不公平性の問題が発生する。
→宇宙破壊主義は量子的不公平性の問題を解決する?
量子ロシアンルーレット
量子宝くじ
「現世利益を生みます。経済をね!人は死にますが、その者らはより幸福な分岐に生まれ変わりますから、実質プラスです」
(改変)
"Hmm..." Yu'el says. "All right, suppose that we are definitely going to split you into 16 parts. 3 of you will wake up in a red room, 13 of you will wake up in a green room. Do you anticipate a 13/16 probability of waking up in a green room?"
"I anticipate waking up in a green room with near-1 probability," replies De'da, "and I anticipate waking up in a red room with near-1 probability. My future selves will experience both outcomes."
[3]$ (1/ (\Sigma_{i=0, i≠(この世界)}p(i)))\Sigma_{i=0, i≠この世界}^n p(i)u(i) > u(この世界)なら、
$ (1/ (\Sigma_{i=0, i≠(この世界)}p(i)))\Sigma_{i=0, i≠(この世界)}^n p(i)u(i) > \Sigma_{i=0}^n p(i)u(i) になるので、宇宙破壊した場合のほうが、分岐前の今後自分がどの宇宙に行くか分かっていない自分にとっての期待効用が高い。
$ (1/ (\Sigma_{i=0, i≠(この世界)}p(i)))は枝を考慮から除いた後も確率を足して1になるために正規化している係数を括りだしたもの
related:
絶滅主義