社会認識論
#認識論 #政治的認識論
Zack_M_Davis "Heads I Win, Tails?—Never Heard of Her; Or, Selective Reporting and the Tragedy of the Green Rationalists — LessWrong"
Robin Hanson "Rational Me or We? — LessWrong"
Eliezer Yudkowsky What Evidence Filtered Evidence? — LessWrong
Zack_M_Davis "Algorithms of Deception! — LessWrong"
Conflict Theory of Bounded Distrust — LessWrong
Rationalism and social rationalism by Philosophy bear | Substack
The Signaling Trilemma - LessWrong
DAN SPERBER, FABRICE CL ´EMENT, CHRISTOPHE HEINTZ, OLIVIER MASCARO, HUGO MERCIER, GLORIA ORIGGI AND DEIRDRE WILSON "Epistemic Vigilance"
Conspicuous Cognition | Dan Williams | Substack
SNSの偽情報問題についてなどについて書いている哲学者
The marketplace of misleading ideas - by Dan Williams
自分が直接聞いた意見の方を信じるというの、真実追求という点ではあまり意味がない (なぜ〔引用注: 数ある意見の中で〕自分がたまたま直接聞いた意見が特別に正しさと結びつくのか?) けど、人の愚痴や言い分を聞いたときに、直接対話してる人の側に味方するというのは、世渡り的には利益がある。
https://x.com/ayu_mushi/status/1905022481972580833
ノイズに強い情報。高いところにいくというタスクを考えたとき、高くても尖っている地形の上にいる人は小さな揺れに対して弱い。一方、多少低くてもなだらかな地形の上にいることは、揺れに対して安全になる。「高さ」を「正確さ」に置き換えてみよう。伝言ゲームでノイズが加わったときに、どれくらい正確性にダメージが入るかどうか。
「伝言ゲームによってメッセージが近傍のメッセージに変化しても真偽値が保たれる」という伝言ゲーム安全性という性質を考える
分析哲学では、仮定をおいて、「この仮定のもとではこれが導かれる」という話が多いと聞いた。各人が自分のすべての仮定の正しさをチェックするより、○○ならば☓☓という知識を積み上げていったほうが、分業による利益が得られるのかも。
(たとえば、功利主義を前提にするとこうなる、という文章を書く人がみんな、功利主義の根拠として示される議論に精通している必要はないだろう。そうだとしたら、分業の利益が得られず、時間を無駄にしてしまうだろう。(まあそうすると、間違った前提のお話がいっぱいになってしまうリスクもあるのだけど)) (聖書を前提にすると〜〜)
What are the chances you’re right about everything? An epistemic challenge for modern partisanship - Hrishikesh Joshi, 2020 (via: A general argument for the left by Philosophy bear)
論争になっているお互いに結びつきのない複数の問題について、一方によって支持されている立場が全部正しいというのは確率的にありえそうにない。
追記: 「自陣営が全部正しい確率は低い」というのは、「自分の信念が全部正しい確率は低い」という議論と似た話なのでは。
ここでの解決は、まえがきのパラドックス preface paradox と同じで、「全部正しい」確率が低くても、それぞれが正しい確率は高くありえると論じることでは
全部正しくないから何なのか、ってだけでは
どの国でも、領土問題で自国側の主張により分があると思っている人の方が結構多いと思うけど、複数 の領土問題がある場合に、その全部について自国側の主張に分がある確率は低いだろう
領土問題が3つだとするとそれぞれ1/2としたとき全部自国が正しい確率は1/8
あるいは他の内集団/外集団間の論争について考えてみよう。
暴露論証と結び付けられる?
The fallacy of mood affiliation - Marginal REVOLUTION
これを回避する方法の1つは、それらの問題の間には実は結びつきがあるのだと論じ、一般的にいずれかを支持する論証を提示すること。
相手側のバイアスを持ち出して、お互いに結びつきのない問題の間の関係性を説明することがある。(世間では自分側の意見が過小評価されるバイアスがあるため、自分はこちらの側を支持して議論をしているのだ、というような)
帰結主義的リバタリアンは、支持する各政策を1つのグループの中に統一するものが欠けてて、general argument ができない気がするので、この批判に服する? (厚生経済学の第1基本定理とかは、general argumentではあるけど)
帰結主義的・契約論的リバタリアンは、ほかでもないリバタリアニズムのリバタリアンたる所以を提示し得えない。正当化対象がどういうものであるかがあらかじめ分かっているものと仮定している、と指摘されている(本当?) (井上彰 "正義論としてのリバタリアニズム - ロックからノージックへ-")
Suspiciously Convenient Beliefs - by Amos Wollen
相手の仮定に立った場合でも自分の結論を導けるとよく考えている人にも同じことが言える
「仮に伝統主義の立場に立ったとしても夫婦別姓を正当化できる」みたいな
理屈上そういうことが頻発する理由はあんまないけれど、他人を説得するのに有利なのでそういう信念をたくさん形成してしまう人はいるとおもう
義務論に立った場合も、功利主義に立った場合も同じ結論を擁護できるとする人
理由が複数ある事自体は suspiciously convenient なのか?
理由同士が不整合をきたしてるのに同じ方向を向いているのは単に都合が良いから言ってる可能性が高い
しかし現実に存在する事実は複数の結果をもたらすから複数の証拠が同じ方向を指し示すと予想するのは不合理ではなさそう
このことは規範的な議論や哲学的な議論に適用できなそうに思える
数学は?
数学の証明はつねに理由があれば結論が真になるような完全な証拠なので、複数の証明が違う方向を指すことはない
Freiman's Asymmetries - by Bryan Caplan - Bet On It
Bryan Caplan "U-Shaped Deterrence - Econlib"
発生論の誤謬
Amos Wollen "Murray Rothbard-Types Should Totally Believe in God"
マレー・ロスバードは、義務論的リバタリアニズムが正しく、自己所有権を守ることはそれが良い結果をもたらすかに限らず望ましいと考えたが、幸運な偶然として自己所有権が守られる自由放任な市場経済は最善の結果をもたらすものでもあると考えた。しかし、人間の事情など気にかけない無神論的世界において、そのような幸運な偶然が起こる確率はどれくらいだろう。一方、もし神がいるとするならば、権利の侵害をしないことが最善の結果に結びつくということを、とてつもない偶然を持ち出すことなく説明できる。よって、ロスバードの主張は神の存在を要求する。
ayu-mushi.icon別の解釈は、ロスバードは高貴な嘘をついているのだ、というものだろう。自己所有権を守ることは結果に関係なく正しいが、その理屈では説得されない人を説得するためには、「そのほうがいい結果になる」と (仮にでまかせでも) 言っておくのが、自己所有権侵害を防ぐためにはいい方法だ、と。義務論者が高貴な嘘をつくのは、皮肉な話だが。
つまり、正義ではなく結果に基づいて議論を組み立てるべき理由のひとつは、人々が何を正義と考えるかは大きく異なる一方で、人々を幸福で豊かにすることは良いことだという点ではおおむね一致しているからだ。
もし私がヘロイン規制に反対する際に、「それはヤク中の権利を侵害している」という理由を挙げれば、納得するのは他のリバタリアンだけだろう。
しかし、「薬物規制によって薬物が非常に高価になり、それが薬物関連犯罪の主な原因となっていること」や、「違法市場に典型的な粗悪な品質管理が薬物関連死の主な原因であること」を理由に挙げれば、薬物依存者に権利があるとは思っていない人でも説得できるかもしれない。
Friedman, David The Machinery of Freedom: Guide To a Radical Capitalism
しかし、リバタリアンがそのように言ったとして、なぜそれを聞いたリバタリアン以外の人は説得されるのか。もしなんであれリバタリアンがヘロイン規制に反対する論拠を言うと思っているなら、「ヘロイン規制が帰結としても悪い」という言明に対する証拠としての価値はないか、割り引くべきだ。
あと、では「薬物規制によって薬物が非常に高価になり、それが薬物関連犯罪の主な原因となっているわけではないこと」が判明したらどうするのか、と言われるだろう。
「殺人は帰結と関係なくそれ自体として悪いが、それはそれとして、殺人は禁止したほうが帰結主義的な指標からしても幸福な社会になるだろう」と主張する人に対しても同じ議論が適用可能
森村進はこれについて回答を持っていると思う。リバタリアニズムの根拠は道徳的直観である。その道徳的直観が人々に広まった因果的な原因としては、人に望ましいインセンティブを与えるなどのゆえに、良い結果に導くということが原因の1つにある。しかし、だからといってリバタリアニズムの認識的根拠が、良い結果に導くということなわけではない。
直観の原因についての事実から暴露論証が使える場合があるけどこの場合は果たして?
道徳的反実在論者なら問題なさそうだけど
デイヴィッド・フリードマンも、道徳と社会規範、経済的効率性との「偶然の一致」について語っている。
This essay is an attempt to answer that final sort of question. I have tried to answer the economist's question about rights rather than the philosopher's not because economics is more important than moral philosophy but because I am more confident in my ability to use economics to produce answers.21 I have been encouraged in this policy by a curious and convenient coincidence: in most cases, the rules I conclude to be efficient are also the rules I believe to be just.
It is not a double but a triple coincidence. The rules I believe to be efficient and just are also, to a significant degree, the rules enforced by the laws and norms of the society I live in.22 In this essay I have sketched some ideas about the nature of those rules and how they have evolved. This raises the question of why, if my account is correct, the rules produced in this way resemble those that I deduce to be efficient and intuit to be just.
David Friedman "A Positive Account of Property Rights"
効率的な規範が広まる具体的なストーリー: 協力を促進する規範が採用される、規範が似たグループ同士が融合する
Bryan Caplanは、もし義務論的にリバタリアニズムが正当化できるなら、なぜ自分が (主に帰結について研究する) 経済学なんて学ぶ必要があるのか、について問いを出し、答えている。
Note, however, that I was careful to say that it is “normally” wrong to violate the liberty of others. If you’ve got a good reason to violate liberty, I’m open to it. “We’ll all die if we stop breathing” is a pretty good reason. In contrast, “Most of us want to rob them,” is an embarrassingly bad reason.
If this is really my view, why bother to study economics? My answer: When someone says there is a “good reason” for a regulation or a tax, we can use economics see whether the story holds water. If someone says that we need to restrict the liberty of American consumers to buy Japanese goods in order to prevent the destruction of the U.S. economy, we can see if the textbook chapter on international trade agrees. The same applies if someone says it would be more efficient to raise taxes and spend the revenue on education. Maybe the economics will check out, and we’ll have to think about whether we have a good enough reason to violate liberty. More often, though, the economics doesn’t check out – and we avoid violating the liberty of another human being for less than no reason at all.
The Caplan-Hanson Debate: Liberty Versus Efficiency
Caplanにとっての義務は、カントの絶対主義のようにどんな帰結主義的な考慮にも勝るものではなく、十分な理由があれば覆りうる。経済学を学ぶことで、義務を破る十分な理由があるのか、が分かるため、義務論的リバタリアンにとっても経済学を学ぶことは無駄ではない。
ロスバードのような純粋な義務論者にとっては、経済学を研究する意味はないはずだが (彼は経済学者)。
Alan Jern, Kai-min K. Chang, Charles Kemp "Bayesian Belief Polarization"
John G. Bullock, Alan S. Gerber, Seth J. Hill and Gregory A. Huber "Partisan Bias in Factual Beliefs about Politics"
Another thought I had was that if you are looking for more convincing examples than the one with Catholic men, there is some very interesting literature from John G. Bullock on voter rationalism. He has made some experimental tests to see what political facts people from different political extremes believe in under different scenarios. When people are offered money for getting objective answers about political economy and political consequences right people from the far right and far left mostly agree on the facts. When no money is on the line they are very partisan in their beliefs about the same set of objective facts. There is something interesting here about what the right beliefs are, or whether beliefs are wholly dispositional and so just change under circumstances (this would have the consequence that beliefs are highly contextual and flexible).
Comments - Rationalism and social rationalism
polarizationについての対立する仮説
確証バイアスに関して、個人が特定の認識に固執することよりも、みんなの固執の方向が同じという社会的な面を問題にすることができるかも
【プレプリント】Nathan Gabriel and Cailin O'Connor "Can Confirmation Bias Improve Group Learning?"
Cailin O'Connor | Research
11: Rationality in the Evaluation of Communication, Guest lecture by Hugo Mercier
Oliver Traldi "Political Beliefs: A Philosophical Introduction - 1st Edition - Oliver"
契約論的な考え方。社会的な認識実践自体が人々の自発的な協力に基づいているため、そこからみんなが利益を得ることが協力 (情報の正確性を保つ、情報を共有する) を保証する上で重要なのかもしれない。
Right now, if I say “giving money to promote rigorously evaluated public health programs in poor countries is an admirable thing to do,” I think most people would be inclined to agree. But if we had a hot button political conversation about cutting Social Security to support Vitamin A supplementation, opponents wouldn’t want to just say “well, I’m selfish so I don’t want to do it.” The backlash would involve people making the claim that Vitamin A supplementation is actually bad. We’ve already seen Marc Andreesen, because he disagrees with some prominent effective altruists about AI safety, promoting absurd theories that helping poor kids avoid malaria is bad.
The rise of cosmopolitanism and the crisis of liberalism
つまり、社会的な認識実践、あるいは大きな社会的協力から利益を得ていないと感じる人は不正確な情報を流す動機が大きいかもしれない?
すでに聞いた証拠。
Against Bravery Debates | Slate Star Codex
All Debates Are Bravery Debates | Slate Star Codex
Should You Reverse Any Advice You Hear? | Slate Star Codex
ティ・グエン「エコーチェンバーと認識論的バブル」 - #EBF6F7
人狼の認識論理 / ベイズ確率論 / 認識ゲーム理論による分析
個人・個体とは何か? また志向性を持つのは個人だけか?
「○○の立場の人はそう言うね」
立場が分かれている場合に、理由を他人から引いてくることの扱いは、そうでない場合と違う
ランダムに自然からサンプルされた理由と、特定の立場のプールからサンプルされた理由では証拠としての強さに違いがある
カーティス・ヤーヴィンの「新反動主義」――王制主義リバタリアンとは何か#67c0b1389486540000596909 陰謀というか、公の場での陰謀 (open conspiracy) を行うことの難しさを、論理っぽく説明してみた。
拡張された心 アンディ・クラーク
キム・ステレルニー
ヒューゴ・メルシエ