発生論の誤謬
追記: これは暴露論証の話を参照したほうが良さげ。
発生論的議論が難しいのは、他人の動機 (あるいは信念の原因) を直接観測できないので、書かれたものから間接的に知るしかないこと。
書かれたものから動機を逆にたどるというのは、変数が2つで式が1つの方程式が解けないのと似てて、一意には解けないかもしれない。
書かれたものと実際の事実の両方が与えられれば動機を逆算できるが、発生論的な議論は事実自体が係争の対象になっているところで書かれたものから動機を推し量ろうとしているので循環論法になってしまうのではないか。
「最近は、いいことが多い。」
「それは信頼できない。」
「なぜ?」
「あなたには聞こえがいいことを信じたがる傾向があるので、信頼できないと思う。」
「なぜ私にはそのような傾向があると考えるのか」
「いいことが多いという信頼できない主張をしたからだ。」
「あなたは、「それは信頼できない」から「なぜ?」で遡っていって、最終的に「それは信頼できない」という主張を根拠として引いてきているので、循環論法を犯している。」
・・・
信念の原因についての主張が論点となっている命題を前提にしている場合とそうでない場合がありそう
無神論者が進化論をつかって宗教を説明し、それを理由に宗教の内容の批判とする
フロイト主義者がフロイト主義を使ってフロイト主義に反対する人の動機を説明する
ーーのは論点 (争点) となっている命題自体を前提にしている (有神論者が進化論を否定している場合の話)
けれど、「製薬会社から資金提供をうけている科学者が製薬会社に都合がいいことを言っているかもしれない (利益相反)」というのは人間が一般に利己的という、薬品の効果については対立しあっている人々でも認めることのできる非論争的な命題しか前提にしていなくて、薬の効果について論点となっている薬学的な命題自体を前提にしているわけではない マルクス主義者がマルクス主義をつかって古典派経済学のイデオロギー性を説明するのは、論点になっている命題自体を前提にしているわけではないかも。マルクスのイデオロギー論 (メタ的な部分) が、マルクス経済学 (経済学についての論点になっている命題自体) からは独立とするなら。
労働者が搾取されることなしに、イデオロギーだけ作る意味はあるの?
マルクス主義とフロイト主義は、サールが『Mind』の中で、発生論の誤謬の例としてあげていた気がするけど、2つの発生論的議論の性質には違いがあるかも (どちらもよくしらないけれど)
As part of its attempt to prevent or delay tighter regulation of smoking, the tobacco industry funded a number of scientific studies and, where the results cast doubt on the risks associated with secondhand smoke, sought wide publicity for those results.
pの真理性への反論というより、pの証言 (ここでの証言は観察の証言より広い意味で、たとえば論理学に関する証言なども含む) が証拠として持つ価値への攻撃としてみたほうが良さそう。
P(pである | pと言われている) の条件付き確率は一般には P(pである) という事前確率よりも高いけれど、発生論的な議論によって P(pである | pと言われている, pの発生論) の確率を P(pである | pと言われている) の確率より低くすることができる場合があるのでは
正確にはどういう発生論かによるけれど
対象に光があたって反射して網膜に入って〜という発生論だと確率は低くならない
defeater
真でもないし聞こえが良くもない意見はそもそも誰も言わないとすれば、聞こえがいいことと真であることとの間には負の相関が生じることになる。(ただし、みんながこの同じヒューリスティックを使うと、このヒューリスティックは使えなくなる)
そもそも対立が生じている理由が知的に意味のある理由でなかったりするのであれば、それを特定するのは必要 (たとえばインテリジェントデザインが論争になる理由は、インテリジェントデザイン説の知的な根拠の強さに基づくものではない。宗教的な理由ですね (宗教も知的かもしれないけど)。)
対立に限ったことではない (言われているというときの広義の証言の信頼性の問題) ような
あとづけで持ち出す場合はポパーのいう反証に対するアドホックな言い逃れに似ている
シャピロ『数学を哲学する』:反実在論者は、数学的対象が存在しないとして、なぜ存在するように見えるのかを説明する必要がある。
観測証拠との一致は、他にも観測証拠と一致するものがある場合、その仮説を特別に支持する根拠になるわけではないけれど、一致しない場合に比べれば支持される度合いは上がる
数学的対象が存在すると仮定する場合にも、数学的対象が存在するように見えることはストレートに説明できる(ほんとう? 数学的対象が因果的に見えを引き起こす経路ってなくない?)
たとえばりんごが見えているとして、りんごが好きな悪魔が幻覚を生み出しているという仮説は、観測事実と一致するからといって、りんごに反射した光が網膜に入って観察経験を生み出しているという仮説に比べて支持されるわけではないけれど、ぶどうが好きな悪魔が幻覚を生み出しているという仮説に比べれば支持される
なぜ存在するように見えるかの説明が、論争的な仮定とは独立に主張できるものだとすると、実在論者を懐疑論に陥らせることができるかもしれない
pと言われているという証言が、証拠として意味を持つかについて、ベイズの定理を使って考えてみる。
ここでいう証言は、計算結果の報告のような一般的には証言と呼ばないものにも拡張できる
pと言われている原因が以下の2つだとしよう
pは真である
pは聞こえがいい (あるいは「面白い」「話者の利益になる」)
それらは排反かつ網羅的と仮定する
排反ではないのでは??
厳密に言えば網羅的でもなさそう (真でも聞こえもよくないことを言う人はその他の組み合わせのことを言う人に比べて少ないだけでいないわけではない)
すると、ベイズの定理により、
$ P(pが真である|pと言われている)
$ = \frac{P(pと言われている | pが真である)P(pが真である)}{P(pと言われている | pが真である)P(pが真である) + P(pと言われている | pは聞こえがいい)P(pは聞こえがいい) }
分母の $ P(pと言われている|pは聞こえがいい)P(pは聞こえがいい)の部分が大きくなると、pが真である事後確率が低くなる
つまり、「pが聞こえが良く、かつ聞こえがいいときに物事が言われる確率が高い」場合、pという証言の証拠としての価値が薄れる
もしなにかが真であるかどうかに関わらず言われる
P(言われる) = P(言われる|真) = P(言われる|偽)
なら、言われたということは真であるかについて追加の情報を与えない:
$ P(真|言われる) = \frac{P(真)P(言われる|真)}{P(言われる)} = \frac{P(真) P(言われる)}{P(言われる)} = P(真)
anti-expertise は可能か?
ウィトゲンシュタインの治療的哲学
系譜学
フロイト、マルクス、ニーチェ
進化論的暴露論証
anti-expertise
知覚について
「○○と見間違えたんじゃない?」
思考について
「繰り上がりを忘れたとか?」
「○○と☓☓が混ざったんじゃない?」
「相関と因果を間違えたんじゃない?」
証言について
「○○のような言説が説得力を持つように感じるのは☓☓のような事例を念頭においているからに違いないが、☓☓以外の事例を考えると○○の説得力は薄れるので〜」
「○○が広まっているのは、その時☓☓の影響が強かったからかもしれない。よってそのことを差し引いて見る必要がある。」
Examine why a belief has even come to your attention in the first place. If you inexplicably decide to investigate the possibility that a random number between one and a million will come up as 282,058, then you can dismiss it with little thought, because you had no reason to believe it in the first place. The only reason “Neom is possible” deserves scrutiny is because the Saudi government claims that it is; in order to dismiss it as absurd, I need to explain why the Saudi government would waste $500 billion on an obviously absurd idea. This is easy: their king is a megalomaniac, plus people are afraid to voice dissent. I admit this process is pretty much the same thing as Bulverism and bias arguments, which I hate and which always fail. Too bad, there is no royal road. Sometimes there isn’t even a muddy goat path. Aumann's agreement theorem (Aumann の同意定理)からすると、不同意が持続することを正当化するには相手のバイアスに言及する必要があるので、不同意をするときに Bulverism を行うことは一貫性を保つ上では行う必要がある? Bulverismの問題には、
相手の主張が間違っていると仮定した上で原因の推測を行っているという論点先取の問題と、
の2つの面がある?
being right for a wrong reason