「新反動主義」雑多
ヤーヴィンの一般的な方法論など
from カーティス・ヤーヴィンの「新反動主義」――王制主義リバタリアンとは何か
Murray Rothbard as Low Human Capital - by Glennによると、リバタリアンの戦略には、議論によって知的エリートに訴えようとするもの (ハイエク、ケイトー研究所など) と、知的エリートを国家権力の一味とみなし、むしろ大衆に向けて訴えるべきだとするポピュリズム的なパレオリバタリアン (後期ロスバード、ルウェリン・ロックウェル) がいる
後者は、下層階級向けの政府支出をマイノリティへの再分配とみなして反対する人種差別的な色が強い
カウンターエリートに期待路線もありそう: Sammuel Hammond "A Rising Counter-Elite | City Journal", Futarchy: Robin Hanson on How Prediction Markets Can Take over the World
ヤーヴィンのAntiversity (反大学) というのは、大学に対抗する知的エリート: Chapter 10: The Mandate of Heaven | A Gentle Introduction to Unqualified Reservations | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
ヤーヴィンはロスバードの影響をつよく受けているけれど、戦略面では違っていて、王!というのは、エリートでもない大衆でもない第3の戦略っぽい。知的エリートは腐敗しているとする点ではポピュリストと共通するものの、大衆にも期待していない感じ。
ブライアン・カプランやジェイソン・ブレナン (どちらも本自体はayu-mushi.iconは読んでないけどネットでのまとめを見る限り) のような反民主的リバタリアンはエリートに訴えようとする側で、処方箋もエリート主義的 (経済学教育を受けた人に選挙権を限定するとか) なのに対し、カーティス・ヤーヴィンはむしろもともとポピュリズム色の強いパレオリバタリアンの方から来ている点に注意が必要。
カプランはCato研究所に属してる
民主主義に反対するリバタリアンという点では共通していても、カプラン、ブレナンと、ヤーヴィンはかなり違った態度を持っているように見えるのは、そこが背景にありそう。
カプラン: 主流派経済学者の考えを基準に、無知な一般人の政治的影響を嘆く。専門家の擁護者であると自称。知識がある有権者の考え方は経済学者の考え方に近くて良い。中央銀行は経済学者が牛耳ってるので素晴らしい。
ヤーヴィン: エリート (アカデミア、メディア、教育) の考えが色々間違っていることこそが現代政治システムの問題だ。教育等が社会を左翼的な方向に推し進めていき、政治は劣化してきた。主流派経済学に批判的。中央銀行の存在はおかしい。
ヤーヴィンが用いる、君主制、寡頭制、民主制の3分法によれば、カプランやブレナンの民主主義批判は寡頭制 (エリート支配) 擁護であり、ヤーヴィンのものは君主制の擁護なのだ。
ではヤーヴィンはなぜ反エリート支配というだけではなく、反民主主義をことさらに強調するのか。民主主義を世論に影響を及ぼす情報機関 (メディア、アカデミア、教育) の間接的な支配に役立つものと考えているかららしい。つまり現代の先進国における民主主義的な体裁も結局はエリート支配に役立つと言いたいらしい。
リバタリアンの一部が paleoconservative と連合したのが単に支持者を集めるための戦略的連合なら、選挙で票を増やす気のないヤーヴィンがそれを気にする必要はないってことになりそうだけど、そうはならないらしい。
This is so stupid. I’ve explained in painstaking detail the flaws in Curtis’ attempt to create an elitist anti-democratic movement based on rousing the most hopeless chuds with appeals to their lowest instincts, but he’s going to continue pretending it makes sense.
https://x.com/RichardHanania/status/1904268900172472456
ヤーヴィンは、ブライアン・カプラン『選挙の経済学』を激しく叱責 reaming するためにブログを始めたところがあるらしい。
じっさいにはその叱責は実現されなかったけれど。
ヤーヴィンは、ジョージ・メイソン大学のリバタリアンは嫌いらしい。
TGGP は次のように述べました...
…(略)…オーストリア学派の批判者であるブライアン・カプランは特に洞察力に富んでいると思うので、彼の著書「合理的投票者の神話」〔邦訳: 『選挙の経済学』〕を読むのを心待ちにしています。
メンシウス・モールドバグは次のように述べました...
私は公共選択学派を非常に尊敬していますが、このブログを始めた理由の 1 つは、カプランのその特定の著作を、本当に、本当に重く、深く、意地悪で、サイのように激しく批判する場所を持つためでした。
なぜなら、私は「ジョージ・メイソン学派」をまったく尊敬していないからです。実際、私は彼らがサクラの集団だと思っています。そして、彼らの人気には非常にがっかりしています。しかし、その理由は複雑で、いくつかの非常に詳細な議論が私の言う通りであるかどうかにかかっており、私は決してこの単なるエクス・カテドラ 〔教皇の権限に基づく教理宣言〕 な断言を受け入れるよう誰かに求めるつもりはありません。
(Google 翻訳)
Unqualified Reservations: The Democrats: party of lies
公共選択論やってるのってジョージ・メイソン大学の人たちじゃないの
ジェームズ・ブキャナンもジョージ・メイソンだったし
🦏
ヤーヴィンと米共和党の比較
レーガンに代表されるアメリカ共和党の主流派: 社会文化軸ではキリスト教的な伝統主義、外交ではタカ派・介入主義、経済的には小さな政府、刑罰は厳罰派
ヤーヴィン:
社会文化軸では分類し難い。無神論者であり、同性婚や中絶の権利は認める (生後中絶(子殺し)も認める) が、人種平等運動に否定的。フェミニズムについては不思議なことに (?) ほとんど言及なし。(現在の形での) 移民受け入れにも否定的
(ネオカメラリズム/パッチワークは利潤を増やすためにかなり移民を受け入れそうだけど)
外交ではハト派・孤立主義、
経済的にはより急進的な小さな政府 (オーストリア学派)、
刑罰は厳罰派
ヤーヴィンは、共和党パレオリバタリアンのロン・ポールに近い。
って感じだったのが、トランプ派は外交で孤立主義的なことを言ってる (といっても2016年~2020年ではネオコンの人を任用していたらしいし、2025年にもタカ派のマルコ・ルビオを任用してるけど) ので、共和党主流派との距離がトランプ以降縮まっている?
メディアやアカデミアを敵視する点でも、トランプ派に近い。また、ヤーヴィンは民意で選ばれた政治家がその権限を握ることを求めているわけではないが、リーダーによる公務員の解雇権などの強い権限を求め、行政組織の独立性を攻撃している点では似ている。
政治家がその権限を握ることは求めてないと言っても、過渡期で民主主義を利用するのは構わないと言ってる:
The only form that can power a regime change is democracy. But the only form that can operate the next regime is monarchy. Therefore, the process of a legal regime change must involve electing a monarchy—not unlike the election of FDR in 1932.
Policies of the deep right - by Curtis Yarvin - Gray Mirror
Killing the ghosts - by Curtis Yarvin - Gray Mirror では副大統領が行政府のCEOになる案も言ってる。
Totalitarian Democracy: How Populist Leaders Are Undermining Democracy
The full Executive Order is out! ⚠️ This is the biggest executive power grab in U.S. history. ⚠️ : r/law
ヤーヴィンの方も、(最初から孤立主義ではあったが) いつからかナショナリスト・産業保護主義者になったらしい。最初は絶対王政主義者であっても重商主義者ではなかったのだが、いつの間にか重商主義者になったらしい。Sam Altman is not a blithering idiot | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
重商主義者はやばすぎ!
最初は、王政はナショナリズムとは対立するような感じで言ってたけど、あくまで民族自治という意味でのナショナリズムに反するというだけか。国民のための統治、国民の利益優先という意味でのナショナリズムは、少なくことも現在は受け入れてるらしい。トランプ派に媚びてるだけ?
当初のヤーヴィンはそもそも国民国家とかは支持してないから、ナショナリズムとは対立するんだけど
Curtis Yarvin’s Ideas Were Fringe. Now They’re Coursing Through Trump’s Washington. - POLITICO
インタビューによると、ヤーヴィンは、J.D.ヴァンスが好きらしい。トランプのことも評価してる。
Moldbug Sold Out - by Scott Alexander - Astral Codex Ten
もともとのヤーヴィンとトランプ派には、( 選挙で選ばれたリーダーに権限を与えるのかという点など ) 意見の違いがあるにも関わらず、最近のヤーヴィンがトランプ派に媚びて、むかし自分が言ってたことと反対のことを言い始めたことを指摘する記事。
英米系保守主義との関係
ヤーヴィンは、フランス革命やアメリカ独立戦争だけでなく、名誉革命にも否定的だけど、じゃあマグナ・カルタとかエドワード・コークはどうなの
Chapter 1: From Mises to Carlyle: My Sick Journey to the Dark Side of the Force | Moldbug on Carlyle | Unqualified Reservations by Mencius Moldbugでコークに言及してた
立憲主義や権力の分立みたいなのも退けてるし、法が人の上にあることも不可能だみたいに言ってるから、アングロサクソンの伝統を完全に退ける反動主義者になってる?
何なら、エルサルバトルのブケレ大統領による適正手続き(デュープロセス)を無視した大量拘禁みたいなのとかも肯定的っぽいし :Three questions for Richard Hanania - by Curtis Yarvin
「結果的に自己所有権の侵害が減ったからいいのだ」みたいな感じ。
リバタリアニズムから、適正手続きや権力の分立のような、古典的自由主義の原則を抜いたような発想。自己所有権テーゼ一本のリバタリアンなら、そういう立場にもなりうるのか。
ハンス・ハーマン・ホップも、私有コミュニティは気に食わない言動をした者を排除する自由があるとして、言論の自由を否定している。通常、リバタリアニズムは古典的自由主義を徹底したもの、というように考えられるけれど、自己所有権テーゼを徹底した結果として 古典的自由主義の原則を否定する結果になるのは興味深い。
法の支配については、ヤーヴィンも支持しているが、通常の意味での法の支配と同じものかは疑わしい。
〔ここでの論争の相手である〕ニック〔・スザボ〕もまた、実はナチスの SS 将校というわけではない哲学者たち全員と同様、制限された政府 limited government の支持者である。これは、彼が英米法の伝統の学者であるという事実と関係があるかもしれない。英米法の伝統は (ホッブズという 1 人の人物を除いて) 常に少数に対する多数の権利を強調してきた。これはーー比喩的な意味でも文字通りの意味でもーー高貴 (noble) な伝統であり、我々は理性のライフルをそちらの方向へと向けるとき、〔エドマンド・〕バーク的な身の震えを感じずにはいられない。
とはいえ、私は大きなる拒絶を誓い、後悔するつもりはない。したがって、次の質問をする価値がある: 制限された政府 limited government は実際に機能するのか? 望ましい目的を目指しているのか? もしそうなら、その目的を達成することを期待できるのか? いつものように、私は praxiology 的に作業し、結論に達した後でのみ、いわゆる "エビデンス" を検討する。
幸運にも、答えるのは簡単だ。答えは、"no"、"yes"、"no"だ。
Limited government as antipropertarian idealism | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
かっこいい文章
Émile Faguet on legal realism | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
アングロサクソンの判例法重視も嫌いなのかな
慣習法がコーク (コカ・コーラ) だから、ナポレオンの成文法はペプシってことか笑
保守的自由主義者のみんなが好きなハイエクとかエドマンド・バークみたいなの (わたしはよく知らないけど) とは真逆の方向なんじゃないですかねー
理性による第一原理からの推論で既存の社会制度をラディカルに変革しようとしてるし。ハイエクの批判する設計主義に近い。
彼の作ったソフトウェアのUrbitでは、人工言語ロジバン由来の用語がある。ロジバンは、トライアンドエラーの結果としてできた自然言語という自生的秩序ではない、頭で考えて作り出された人工言語。それにたがわず、Urbit自体が、既存のOSとか通信の仕組みをひっくり返して全部ゼロベースでデザインし直そうみたいなソフトウェア。完全にエドマンド・バークではなくフランス革命勢力の発想。
ヤーヴィンはオーストリア学派といっても、ミーゼスやロスバードが好きなのであって、ハイエクの影響は無いっぽい
今までの政治伝統や慣習を重視する保守的なハイエクと違って、ロスバードは、理論的に打ち立てた一本の単純な原理 (自己所有権テーゼ)から論理的に導出される帰結を、仮にそれが慣習や伝統に反するものであっても正しいと考え、それを徹底して無政府資本主義を唱えたラディカルな理論家。
第一原理から考えるということは、ヤーヴィンに共通する。
新反動主義のおもしろさ – mhatta's mumbo jumboという新反動主義の紹介記事へのコメント
(これは私がはじめて新反動主義について聞いたきっかけです)
ハンス・ハーマン・ホップの名前に言及していないにも関わらず、ホップの考えに基づいて紹介しているように見える。Michael Anissimovかも。
「…この人〔= ヤーヴィン〕は2007年ごろからUnqualified Reservationsというブログで新反動主義についてやたらと長い記事をいっぱい書いた人で、正直私にしても全ては読み切れていないのだが、まあ上で書いたようなことが延々と述べられているのである。」というのは (太線部分が) 間違いだと思う。ヤーヴィンの考えとは異なる考えが紹介されているように見える。
人種とIQ
ヤーヴィンの考えはリバタリアニズムを壊して組み立て直した変な異形のもののという感じはするけれど、mhatta氏が言うのと違って、(別にmhatta氏がヤーヴィンに直接帰属しているわけではないけれど) 能力差別みたいな話はあまりしてない気がする。
まあでもIQが高い人が政治権力を持っていたほうがいいと思っているようではあるし、たまにはそういう話もしてるかもしれない (South Africa: the solution | Unqualified Reservations by Mencius Moldbugなど)。
植民地主義の文脈でも、平均IQが70の人々による民主主義は機能しない (仮に平均IQが100以上でも、民主主義はかろうじて機能するにすぎないと言っているけど) からローデシアにおける実質的な白人支配の終焉は失敗だった (ジンバブエとして独立した後、ムガベ政権による圧政になった) みたいなこと言っていたし: When Wertham Comes A-Calling | Easily Distracted
IQ: Intelligence quotient by countryによるとジンバブエの平均IQは74
私がリンクした推定上の国別平均IQのソースはRichard Lynnら。国別IQの調査で有名なのはLynnなので、ヤーヴィンのソースもLynnと考えていいだろう。Richard Lynnによる国別IQの推定の正確性については議論がある:
Noah Carl "Are Richard Lynn's national IQ estimates flawed?"
Emil Kirkegaard "African IQs and mental retardation"
なお、サハラ以南のアフリカの人々のIQが、先進国で精神遅滞とされる水準だからといって、アフリカの人々が先進国における精神遅滞と類比できるような状態にあるということにはならないらしい (先進国でIQが極端に低い人は、特別な要因 (ダウン症や、重度の自閉症など) がある場合が多いため、単にIQの低さにとどまらない問題を抱えている場合が多い)
National IQs Are Valid - Cremieux Recueil
Scott Alexander "How To Stop Worrying And Learn To Love Lynn's National IQ Estimates"
LynnのIQ推定には「アフリカ人のIQ推定が低すぎる」という批判が多いが、サハラ以南アフリカの栄養や汚染物質などの環境が悪いこと、IQは環境に影響を受けることを考慮すると、それくらい低くてもおかしくないらしい
Scott Alexander "Highlights From The Comments On Lynn And IQ"
ちなみに、Richard Lynnが編集長をしていた学術雑誌のMankind Quarterlyはもともと、
不平等さを測るジニ係数を提案したりファシズムを支持したりした、コッラド・ジニ - Wikipedia
アメリカ心理学会学長で、最高裁判所の人種分離が違憲かどうかを問う裁判で、人種分離を肯定する意見を述べた、Henry Garrett (psychologist) - Wikipedia
ヨーゼフ・メンゲレの師匠でナチに協力した、オトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー - Wikipedia
――らによって作られたものらしい。
Mankind Quarterly - Wikipedia
Mankind Quarterlyに資金提供していた Pioneer Fund は、設立と同時に、優生学に関係するナチのプロパガンダ映画をアメリカで配布した。
豆知識: 共有地の悲劇で有名なギャレット・ハーディン - Wikipedia も Pioneer Fund から資金助成を受けていた (ハーディンは優生学の支持者で、移民に反対していた)
ayu-mushi.iconSouth Africaの記事では南アフリカにおいてIQによって選挙権を制限するほうが現状より良いと言っているけど、格差への影響を考慮するとIQによって選挙権を制限した上で人種や所得集団ごとに票の重みを人口全体に対する比によって調整したほうがいいのでは (ジェイソン・ブレナンが(IQじゃないけど)そういうことを言っていたと思う)
でもヤーヴィンの政府の話は主には、無能が支配してるのが悪いってよりはインセンティブが噛み合ってないのが悪いって話だからね。むしろ彼は現状はテクノクラシー的であって知能的には優れた人間が支配してると思ってて、それでも現状には問題があると主張してる。あんま能力主義のイメージじゃないかな。
以下の記事などを見ると知能に基づく人種差別を支持しているのではないかという嫌疑も当てはまるかもしれないという気もする: Chapter 7: The War of Secession | A Gentle Introduction to Unqualified Reservations | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug(人種間の生物学的な違いが奴隷制を正当化するわけではないといっているけれど、ではなぜこの文脈でそれを持ち出したのだろう?) , Chapter 2: Why Carlyle Matters | Moldbug on Carlyle | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
リンクを思い出せないけど、「人種間の生物学的な違いの認識 (Human Biodiversity) によって南北戦争の解釈は変わらなければならない」みたいなことを言っていたことがあった気がする
あった:
On a larger subject, if James Watson is right, our historical interpretation of the 1860s will simply have to change. Details matter. Facts matter.
Chapter XIV: Rules for Reactionaries | An Open Letter to Open-Minded Progressives | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
And, of course, its meatpuppets overseas. One of which is Maine’s own country. In the century after Great Britain committed herself to unlimited democracy, she lost her Empire; became an American puppet state, now with a humiliating intermediate overseer in Brussels; experienced a 5000% increase in her crime rate; and was effectively colonized by the debased, para-human dregs of her own former dominions. What else could go right? (強調は引用者)
Certainly, no reader of Maine’s time – liberal or conservative – would have regarded these results as a “blessing.” Thus, his predictions are satisfied in the terms in which he made them. Not to mention the rest of the global calamities of the Century of Democracy, none of which you or anyone (but a few loons like me) blames on democracy! Again, absolutely true to Maine’s description.
The Human Disposition To Help | Liberal Biorealism
とか言ってるので、移民差別者のような気がするし、ある種の人種差別主義者ではありそうか (19世紀のMaineの読者が現在を見てどう思うかという話題だから、実際に19世紀の人に現在の状態を見せたらそう思うのかもしれないが…)。
ヤーヴィンに大きな影響を与えたリバタリアン思想家のマレー・ロスバードも、一時期は新左翼と戦略的に連携し、Black Panthersなどの過激な黒人解放運動を支持していたものの、あとにpaleoconservativeと連携していた時期には、元KKKの候補 David Dukeを支持したりしていたらしい。
マルコムXを称賛する | Libertarian Forum Japan
公民権運動時代に分離主義的な黒人運動を支持していたのも、白人と黒人の分離自体が目的だったのではないかと言われたりしてる (公民権運動時代、白人の分離主義者と黒人の分離主義者は共闘していたこともあったらしい)。
Center for a Stateless Society » Murray Rothbard’s Black Nationalism
Hans-Hermann Hoppeも、白人ナショナリストとつるんでいるっぽい。
Hoppeが主催する団体、Property and Freedom Societyの過去の公演者では、白人ナショナリストのJared Tylerや、オルタナ右翼のRichard Spencerの名前もある
Episode 43 : Jared Taylor の下のほうにある白人ナショナリストの歌でも、ロスバードとホップ、ロン・ポールは白人ナショナリスト側からは仲間のように歌われている。
…より尊敬に値するリバタリアンは、自分と同じラベルを使いながらも奴隷制やウラジミール・プーチンについて良いことを言う人々の存在にしばしば困惑する。それは個人の自由の重要性を中心とした世界観を持つことと矛盾しているように見える。これは、純粋な形のリバタリアニズムには敵がいないため、多くの聴衆を獲得できないためではないかと私は考えている。かつてパレオ・リバタリアンと呼ばれていた集団や、トランプ主義に説得された人々は、アメリカのグローバル帝国が敵であるという物語を語っており、そのため、アメリカ南北戦争における南部連合からナチス、プーチンのような現代の外国の敵に至るまで、歴史上のすべての敵は誤解されているとするか、英雄的ですらあると考える。
Richard Hanania "Why Americans Should Die for Ukraine"
リバタリアン党ミーゼス・コーカスはなぜ危険か(1) - 柿埜真吾のブログ
Chapter 3: AGW, KFM, and HNU | A Gentle Introduction to Unqualified Reservations | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug 個別のケースにおいては人種以上の情報にアクセスできるはずなので、統計的違いがあるからといって、個別ケースで人種に基づいて意思決定する必要があるわけではない、とも言っているけれど。移民を人種に基づいて選別する必要もない、と言っている。
mhatta氏"結局白人やアジア人よりも黒人やヒスパニックは知能が低いから差別されて当然みたいな遺伝学もどきの優生思想に落ち込んでしまう"というのは、少なくともこの記事の主張からすると違う。(mhatta氏が直接ヤーヴィンに帰属しているわけではないけれど)
いや、
"But there is one thing to note: the common meaning of racism implies the belief that ancestry is significant information in the context of common decisions about individuals. It should be obvious that it is not. If you want to test a job applicant’s IQ, for example, give her an IQ test. Patterns of ancestry become useful only in decisions that affect large groups of humans in the aggregate. Governments, however, must often make such decisions."
と、「人間の大きな集団をまとめて扱うさいにのみ、人種についての一般化が有益な場合もある。政府はしばしばそのような意思決定を行う」と言っているから、何かしら人種に基づいて違いのある決定をすることを認めている可能性はある。
"The policy solution here is obvious: eliminate the race industry, abolish all racial privileges, including laws against “harassment” and “discrimination,” and restore unconditional freedom of speech and freedom of association. "
――とあるので、雇用者の判断に基づく雇用差別とかが政府によって違法にされるべきではないとも考えているとは思う。ただ、企業にとって雇用差別をする必要があるとは思っていないだけだ。
これは雇用を自由な契約とみなすリバタリアンに標準的な考えだけど。freedom of associationを根拠に公民権法に反対したバリー・ゴールドウォーターのように、リバタリアンは公民権法が民間に適用されることに対し反対してきた。
雇用が当事者間双方の合意に基づく自由な契約なら、雇用差別も、アファーマティブアクションも、企業が自発的に行う限りにおいて、政府によって禁じられるべきではない。
ウォルター・ブロック『擁護できないものを擁護する』というリバタリアン本でも、公民権法、雇用機会均等法のような、民間企業の選択の自由を奪い、雇用差別を禁止する法律に反対している。
雇用差別についてのリバタリアンの見解については、Bryan Caplan "The Economics of Antipathy and Stereotyping", Let's Ban Discrimination: A Socratic Dialogueも参照せよ。
Bryan Caplan "How Libertarian Was the Civil Rights Movement?"
ヤーヴィンは知能が道徳的価値の違いを含意するとかは否定してる (キャンセルされたときの弁解だから本心として読む理由もない気がするけど): Why you should come to LambdaConf anyway – curtis.yarvin – Medium
南北戦争の議論で、権利の違いを正当化するようなことを言っているような気もするし、投票権のような政治的権利の違いは正当化すると思っているのだろうけど
知能と道徳的価値が関係するかについての議論(特にヤーヴィンとは関係ない): Nathan Cofnas "Are Smart People Superior? A Reply to Noah Carl and Charles Murray"
人種によるIQ差を重要視してる主な理由は、「現在の人種間の格差の原因が、現在の差別や、過去の差別・奴隷制の残渣に由来するものでないなら、差別是正のための政策や、人種間格差を縮めるための社会的・政策的努力は正当性がない/効果が期待できない」 みたいなことを言いたいって理由では
現在の差別や、過去の奴隷制や差別への補償として、アファーマティブアクション等が正当化されることが多いので
(「差別で生じた差を是正するためなら良くても、他の原因で生じた差異を是正しようとするのは、単に特権を与えることでしかない」的な感じか)。
統計に基づいて個別の状況で異なる取り扱いをすることを肯定してるわけでもないし。
個別にテストすればいいので、個々の状況で人種の情報を使う必要がないと言っているが、テストする時間の費用が見合わない場合はどうするのか、異なる集団は異なる平均に平均への回帰することを考えるとテストの情報と人種の情報両方使ったほうが正確性が高くなるのではないか、みたいなツッコミどころがあるから十分な回答ではないのでは (そんな面倒な問いは、誰も考えたくないのだろうが)
ソース: Chapter 3: AGW, KFM, and HNU | A Gentle Introduction to Unqualified Reservations | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug, Technology, communism and the Brown Scare | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
(ヤーヴィンは、「正当性ない/無駄」だけでなく「逆効果」とまで言っているけど、これは生得性の議論から導かれる主張ではぜんぜんない。というより、政策が人種間のギャップを悪化させるなら、むしろそれは一種の環境要因の効果を示すものだ。)
The scientific achievement of GNXP〔ラジブ・カーンらによる人種についての遺伝学研究のサイト〕 is less stunning, but its implications are, if anything, larger. I’ve discussed human neurological uniformity and its absence already (Chapter 9). But let’s just say that a substantial component of our political, economic, and academic system has completely committed its credibility to a proposition that might be called the International White Conspiracy. Statistical population variations in human neurology do not strike me as terribly exciting per se—a responsible, effective government should be able to deal with anything down to your high-end Homo erectus. Lies, however, are always big news. If there is a much, much simpler explanation of reality which does not require an International White Conspiracy, that is a problem for quite a few people—the vast majority of whom are, in fact, white.
Chapter XIV: Rules for Reactionaries | An Open Letter to Open-Minded Progressives | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
これはNathan Cofnasと似たようなことを言ってる。
It’s interesting to see how easy (and prudent) it is to fear the political implications of HBD. If HBD is an evil lie, as the government requires everyone to believe, “affirmative action” is one thing. If HBD is true, it is quite another.
Not that I give a rat’s ass about “affirmative action.” By the standards of 20th-century criminal government, it is not really all that criminal. The sad thing is that, if you are unwilling to examine the political consequences of HBD, there is no way to get past the mere present and understand the historical consequences.
Open thread...., by Razib Khan - The Unz Review
うーん アファーマティブアクションについてそんなに気にしているわけではないと言っている。どの政策について特に気にしているのかはよくわからない。
Exacting Fairness | Liberal Biorealism 人種間の生物学的差異が社会的含意を持つ議題として、カーライルvs.ミル論争、植民地解放の是非、移民解放の是非を上げている。
Race in America and the Dork Right - by Bronze Age Pervert に、IQと政策的含意について
アメリカだと、雇用差別の禁止、ハラスメント規制、アファーマティブアクションはすべて公民権法とその最高裁判所による解釈 ("hostile work environment", Griggs v. Duke Power Co., disparate impact) を根拠にしてるっぽい
参考: Book Review: The Origins Of Woke - by Scott Alexander
Richard Hanania "Woke Institutions is Just Civil Rights Law"
hostile work environment と公民権法の関係とは?
Harassment | U.S. Equal Employment Opportunity Commission
Harassment is a form of employment discrimination that violates Title VII of the Civil Rights Act of 1964, the Age Discrimination in Employment Act of 1967, (ADEA), and the Americans with Disabilities Act of 1990, (ADA).
ヤーヴィンのアファーマティブアクションについての考えは、政府が雇用に介入するのはfreedom of associationに反するというリバタリアン的な関心が前面にあり、"アファーマティブアクションは能力の低い人を採用してしまうから悪い" という能力主義的関心とは異なる気がする。
リバタリアンはなぜかこういう文脈でfreedom of associationって言ってる人が多いけど、これって契約の自由じゃないの。どっちでもいいか。雇用されることは組織への加入でもあるし契約でもあるから。リバタリアン界隈の外では、freedom of associationが営利企業に適用されるのかは疑問視されているようだけど。
「たとえば中国料理店が中国人だけ雇って何が悪い」みたいなことを言っていて、あんま能力の話してないので
We don't have to live like this - by Curtis Yarvin
再分配の否定についても、ヤーヴィンのフォーマリズムにおいては、民主主義において財産の分配について争いが生じること自体を問題にしているのであって、再分配によって能力と所得が対応しなくなるといった理由ではない。
(ヤーヴィンのネオカメラリズムにおいても、株主へ税収が分配されるので、ある意味で再分配は起こる、とも言えるし、それは能力と対応するものではないだろう。)
まあfreedom of associationをアプリオリに、無制限に認めるなら、仮に格差の原因が差別であったとしても、雇用契約に政府が介入することは認められないので、そもそも格差の原因がなにかについて論じる必要はないけれど。(それでも他の人を説得するために言及することは考えられる。)
ちなみに、能力主義とリバタリアニズムの関係は、 (論文YouTuberの)笹谷侑矢 "能力主義 vs リバタリアニズム | リバタリアニズム.jp"に説明されてる。
リバタリアンの中には、能力主義を擁護する意見 (ブライアン・カプラン) と、反対する意見 (ハイエクとか) とがある。能力主義を擁護するカプランの意見:
The Meritocracy of Liberty: Why Trevor Burrus Should Become a Meritocrat - Econlib
The Reality of Meritocracy - Econlib
The Economics and Philosophy of Pity Grades - Econlib
Grades Are So Money - Econlib
Mankiw on Just Deserts – Andrew Lister ハイエクは、merit と value を区別し、自由市場は value に報いるものであっても、merit に報いるものではない、と論じた。運の要素があるため、両者は同じではない。突然ある商品に人気が出て、何の才能や努力のおかげでもないのにその業界の人が儲かることもある。
Joseph Heath "On philosophical and economic illiteracy | In Due Course"
新古典派のモデルによれば、自由 (完全競争) 市場では (会社が利潤を最大化しようとするとき) 賃金は限界生産性 (現状から労働量を1単位減らしたときの利益の減り) と一致する
しかし、これはその人の「社会への貢献」とか頑張りとかその人に備わる質 (能力とか) と一致するものではない
そのため、ハイエクやミルトン・フリードマン、ロバート・ノージックら自由市場の擁護者は、市場において頑張りや貢献、能力によって人々がふさわしい (moral desert) ような報酬を受け取るという考えを批判した。また、人々にふさわしい報酬を与えるべきという考えが、社会主義につながるとして恐れていた。
ジョセフ・ヒースによれば、人々が日常的に協力する上で使っている 功績、ふさわしさ の概念などを、競争市場における取引に転用することは問題がある。
Unqualified Reservations: Why I am not a white nationalistでヤーヴィンは「自分は白人ナショナリストではない」と言っているものの、Why I'm no longer a White Nationalist - by Walt Bismarckでウォルト・ビスマルク氏が言うところのsoft white nationalismと一部同じ考えを持っている。記事内でも、白人ナショナリストの目的には同意するが、手段が有効ではないみたいな感じで言っているし。(本人は半分ユダヤ系だけど)
「今から白人だけに選挙権を限定するのは不可能なので、むしろ白人からも選挙権をうばう王政主義・ネオカメラリズムの方がまだ現実的な提案だ」みたいな雰囲気がややある:
South Africa: the solution | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
How I stopped believing in democracy | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
mhatta氏が言及している自然秩序(natural order)というのはホップの用語だ。
Hoppeのいう自然秩序 (Natural Order)というのは、政府による法の執行の独占や、徴税などが無い社会のことで、アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)、私有法社会(Private Law Society) など(蔵 研也 『無政府社会と法の進化 ――アナルコ・キャピタリズムの是非』 を参照)と同義のようだ
政府の代わりに、保険会社が犯罪からの警備を行う。
そしてHans-Hermann Hoppe The Idea of a Private Law Society: The Case of Karl Ludwig von Haller | Mises Wireには、(これはカール・ルードヴィヒ・ハラーという家産国家論 (政治権力を私有財産権と考える) を唱えた19世紀の思想家の紹介であるが)
強者と弱者が依存と隷従のヒエラルキー構造を形成するのは自然かつ互恵的な傾向である、
また支配者は才能や業績 (their own talents or achievements) に応じてその支配者としての地位を被支配者から認められるのだ、
と言っており、mhatta氏の記事で新反動主義の考えとされているものと一致しそうである。
ホップが言ってる natural aristocracy というのは家柄より実力を認められた人のようなので、メリトクラシーに近そう
Natural aristocracy - Wikipedia
世襲にもそんなに否定的ではなさそうな雰囲気だけど
"宗教や伝統を排して経済的自由と個人的自由を追求するのがリバタリアニズムだが、民主主義は宗教やらと同様衆愚による自由追求への制約と見なされるわけである。"とmhatta氏は言っているけれど、Lew Rockwell などキリスト教徒・伝統主義のリバタリアン (paleolibertarian 系) もそれなりにいる気がするし、ハンス・ハーマン・ホップやカーティス・ヤーヴィンが基づいているのはそういう paleolibertarian 系ですよねっていう。まあヤーヴィン自身は無神論者だけど。
ジョセフ・ヒース「リバタリアンと社会保守主義の奇妙な結託:性教育反対運動を巡る社会保守主義のパラドクス」(2015年9月15日) – 経済学101
(ところでイスラム教徒の paleolibertarian とかはいるのかな?) (利子を禁止したりするので無理なのでは) (そもそも政教分離が)
カトリックも利子禁止してたけどね
Rothbard は無神論者か不可知論者で Walter Block は無神論者らしいから paleolibertarian でも神を信じているとは限らないか (ソース: Amos Wollen "Murray Rothbard-Types Should Totally Believe in God" )
ハンス・ハーマン・ホップは旧約聖書の十戒は良いみたいなこと言ってるけど、がちで神信じてるかは分かんないね
ホップは封建制を高く評価しているのに対し、ヤーヴィンは絶対王政を高く評価してる。
絶対王政は近世だから、(mhatta氏が言うのと違って) ヤーヴィンは中世に戻ろうとしている感じではない。
もっとも、ヤーヴィンのフォーマリズムも権力を所有権として見る点では封建制との類似点もある。違いは、1つの領域に対しては、王と貴族のように複数の権威があるのではなく、単一の権威が存在する点。
中世の封建制に戻ろうとしてるのは、Michael Anissimov やハンス・ホップだ。
パッチワークは地方分権的だから、その点でも中世っぽくはある。
ヤーヴィンは、「技術決定論的というか、技術信仰に近い」というわけでもない。
ヤーヴィンは技術者だけど、政治と技術の話とはほぼ関係づけてない (ネオカメラリズムにおいて武器が暗号ロックされるという話くらい)。
ニック・ランドは多分技術信仰だと思う。ミハエル・アニシモフはトランスヒューマニスト。
Richard Hanania "A Unified Theory of the Far Right" : ヤーヴィンら周辺の極右の思想の背後には、人種間の生物学的差異 (Human Biodiversity, HBD) というテーマが通底している、という説。
アメリカのカースト
ヤーヴィンは、アカデミックエリート (バラモン) と下層階級の協力である民主党が大きな政府の政府プログラムを行っていると言っているけど、ミルトン・フリードマンは逆? のことを言ってた。
フリードマンによれば、政府プログラムは中間層を受益対象としたものが多く (高等教育への公的助成、年金制度) 、割りを食うのはすごくお金持ちとすごく貧しい人々
Director's law - Wikipedia
上層と中間と下層という言葉を使うと、
ヤーヴィン: 政府支出に影響を持つのは上層+下層の勢力
フリードマン: 政府支出に影響を持つのは中間層
となって対立しているように見えるだけで、上層、下層で実際は指しているものが違うからうーん
ヤーヴィンが言っているバラモンは、大学教員、ジャーナリスト、NPO団体職員のように、自分の所得は少なくても社会への影響力を持ちたい人がなるようなものなので、高所得というわけではない
Castes of the United States | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug いや医師、弁護士とかも含むか
高等教育への公的助成に関しては、ヤーヴィン説 (学者への助成) でもフリードマン説 (大学に通う中産階級の子供への助成) でも説明可能
政府支出において大きな比率を占める公的年金に関しては、お金を移転するだけでは大して公務員に職や利益を作らなそうなので、ヤーヴィン説で説明するのは難しい。日本年金機構が人口動態を調べたり、データベースの管理とかはあるだろうけども。一般に、政府支出のパーセンテージで見ると、公務員の給料より、年金や医療、フードスタンプ/生活保護といった所得の移転が多いため、ヤーヴィン説とはやや食い違うかもしれない。フードスタンプは低所得者向けなので、ヤーヴィン理論に当てはまるか。医者をインテリの一味と見るなら、医療支出もヤーヴィン説に当てはめられなくもないが。
下層階級って投票率低そうだし、票にならなそうな
アメリカで、低所得者がある政策に賛成するかどうかと、実際に採用されるかどうかはほぼ関係がないという統計があったはず。
https://www.youtube.com/watch?v=5Wx5PYZIWcQ
(ちなみに、フリードマンが言っていることは、すくなくとも現在の状況にはあまり当てはまらないらしい:
I don’t know much about the 1973 situation, but a lot of these don’t seem very convincing nowadays. Social Security no longer appears regressive: as per Wikipedia, “for people in the bottom fifth of the earnings distribution, the ratio of Social Security benefits to taxes is almost three times as high as it is for those in the top fifth.” And by my understanding, people who earn less than about $20,000 don’t pay federal income taxes at all, meaning the burden of universities, etc don’t fall upon them. A Cato Institute study finds that poor people on welfare can get benefits packages worth up to about $20,000. It seems really unlikely that whatever they have to pay because of farm subsidies or whatever compensates for that.
Book Review: The Machinery Of Freedom | Slate Star Codex
これはミルトン・フリードマンの息子のデイヴィッド・フリードマンに対する書評だけど、父子で同じようなことを言ってる)
Director's law は政策が民主的にできることを仮定している。一方、ヤーヴィンはもっと官僚とかジャーナリストとかのエリートの役割が大きいと考える。
追記: Greg Mankiw's Blog: Who pays for government? 2011年のデータだと、人口を所得で5等分割して支払う税と受け取る再分配の額を比べた表。払う税金は累進的 (表の4) だけど、受け取る再分配の平均的な金額は中間層が最も多い U 字型のグラフ (表の2) になるらしい。ただしこの表は家計単位。(参照: The Inanity of the Welfare State - by Bryan Caplan)
https://gyazo.com/d457a50f94f38787f4029efd1b35f1cd
表の6を図にしたもの:
https://gyazo.com/520eb63772f26297719178fa22631c2a
(ソース: New CBO Study Shows That ‘the Rich’ Don’t Just Pay Their ‘fair Share,’ They Pay Almost Everybody’s Share | American Enterprise Institute - AEI)
2011年において、アメリカの福祉国家の効果は、一番上の所得階層が割を食って、中の下あたりが一番得をする、ということになっている。
(パーセンテージで見るか絶対金額で見るかによって違うけど。所得階層の、政府への影響力の大きさを反映するのはどちらなのかね。)
あと失業者とかは考慮されてない
2004年のデータだと、
https://gyazo.com/03a29d8a363d8bca5cf1270c9320110e
ソース: The Redistributive State: The Allocation of Government Benefits, Services, and Taxes in the United States | The Heritage Foundation (保守系のシンクタンクによる分析)
中間層が政府からもらうのが多いパターンではない (計算方法の違いによるのか、年が違うことによるのかは分からない)
著者: Robert Rector - Wikipedia
2017年:
https://gyazo.com/a7609a6dafb109d9cf5ba6f2b9018bb6
(ソース: Do the Rich Pay Their Fair Share of Taxes? | Progressivity & Redistribution)
なんかトップ1%がイレギュラーな以外は低所得者ほど(純)利益を受けてる。
Distribution of Federal Taxes | Congressional Budget Officeを見たほうがいいかも
2014年からはミーンズテスト付きの移転のグラフ・表しかなく、メディケアや年金が省かれている。すべての移転がミーンズテスト付きになったってわけではないだろうに、なぜ?
Although those social insurance benefits are often considered forms of government transfers, they are included in the base measure of income that CBO uses to rank households. The distributional effects of those benefit programs are not directly examined in this report, however. Social Security and Medicare, in particular, provide substantial resources to retirees and significantly affect the distribution of household income. In CBO’s estimation, when analyzing the distributional effects of those programs, it is more appropriate to use lifetime measures of income earned, payroll taxes paid, and benefits received. The framework used to analyze the distribution of household income in this report is based on annual income data and, therefore, is less suitable for analyzing the distributional effects of those retirement benefit programs.
The Distribution of Household Income in 2020 | Congressional Budget Office
年毎の分析には適さないかららしい。
方法論
このUnqualified Reservationsというブログはとても造語が多い。どうやら、手垢がついた言葉と結びついた感情的コノケーションを嫌ったようである。
わざわざアメリカ合衆国政府をWashcorpと言ったり、アメリカ大陸のアメリカ合衆国が支配する部分をPlainlandと言ったり、政府のことをSovecorp, Soveorgと言ったりもする。(←Amecorpはどうか)
人間を意味するときでさえ、コノケーションがあるからといって、bipedal hominid (二足歩行ヒト科動物) と言ったりする
否定的なコノケーションで左派・進歩派を指して「リベラル」という語を使うとラッシュ・リンボーみたいになるから、といって「左派(leftist)」「進歩派(progressive)」「ユニバーサリスト(Universalist)」などという呼び方を使ったり、「インテリ」じゃなくて「学者」と呼んだりしているが、これに関してはかなり賢明な選択だろう。 https://www.unqualified-reservations.org/2007/04/essential-idea-of-leftism/ https://www.unqualified-reservations.org/2007/07/i-wonder-if-jonah-goldberg-talks-about/ (追記: 進歩派の中にリベラル左派があるので進歩派全体を指してリベラルというアメリカの用法はおかしいけど、その一部を特別にリベラルと呼ぶのは別におかしくないのか。)
でもインテリと学者は違うから言い換えるわけにはいかない
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』 によると、母国語より外国語で考えたほうが直感 (システム1) ではなく理性 (システム2: ワーキングメモリなど) が働いてひっかけクイズとかに正答しやすいらしいから、語についての直感的な把握が誤りを招いている場合は造語を使っていくのはじつは合理的なのかもしれない。
As Orwell noted, the hardest part of thinking clearly is recognizing false assumptions that are universally shared.
My approach to building an alien perspective is to think from scratch, making sure my terms are precisely defined and inventing new ones when the old won’t do. UR: He who refuses does not repent
この記事で書いてある2つめの、過去の、見慣れない物から現在を考えることで批判的に考えられるってアプローチ、これもシステム2を活性化させて考えるってことではある
An alternative approach, which yields probably the most alien perspective of 2007 that’s generally available (if something of a specialty product) on the intellectual market today, is “paleoconservatism.” Paleoconservatives evaluate the present by applying the standards of the past, which are generally forgotten and have to be dug out of old books—a fun hobby. If you follow the links on the sidebar, a fair number of them lead to paleos of one flavor or another.
見慣れないものによるシステム2の活性化について根拠は考えられるが、個人的にはあまり納得できない。じっさいに異質な文化に直面したことで、普段より批判的に判断を下せる人が本当に増えるのだろうか? たとえば日本人が外国文化を導入しようとしたときのことを考えてみたら。あるいは、西洋人が東洋の文明について言ったことは。むやみに(わからずに)否定したり、(しばしば「わからないから」という理由で)逆にむやみにありがたがったり、といったことばかりではないか?
たとえば彼はpost-austistic economicsによる、日本経済がネオリベラリズムの前提を破ったという記事をなぜか褒めているが、これは異文化に対する無批判な態度を表しているのではないか(憶測)
これ: Robert Locke, "Japan, Refutation of Neoliberalism", Post-Autistic Economics Review, issue 23
でもアーカイブを検索しても発見できなかったから他の人と間違えているか…? そんなこと…?
あるいはアジア型発展モデルの奇妙な例を考えよう。ほんの6-7年前には、日本、タイ、シンガポールなどアジア地域の強国が、もっと良い方法を見つけたのだと主張する影響力の高い一派があった。アメリカのおめでたい自由市場イデオロギーに阻害されることなく、政府主導の資本主義を構築し、それが技術と経済成長で優位性を与えているのだ、という。当時ですら、ぼくたちの一部はこのモデルの有効性というのがおとぎ話だと思っていた。アジア諸国は、官僚的な介入のおかげで成長したのではなく、介入にもかかわらず成功したというほうが正しいというのがぼくたちの考えだった。そしていまや「深い戦略的計画」なるものの大半が、ただの縁故資本主義だったことが曝露された現在、自由市場に勝ると書する仕組みについて今後出てくる主張はすべて、かなり眉ツバと見なされるだろう。
ポール・クルーグマン「ミレニアムを解き放つ」
「見慣れないものから現在を考えることで批判的に考えられる」というのは、人文学っぽい(知らないが)
神権政治の定義を一般的でないものに変えた上で、現代先進国は神権政治だ、と言ったりするのは、説得的定義では?
再定義による説得的定義を頻繁に使っている感じがする
Sneaking in Connotations - LessWrong
"wiggin"
造語が多いことは、マーティン・ガードナーの言うパラノイア的トンデモの特徴の1つである。
統合失調症の特徴でもある
ヤーヴィンは、マーティン・ガードナーがいうパラノイア的トンデモの特徴を満たしている https://en.wikipedia.org/wiki/Fads_and_Fallacies_in_the_Name_of_Science
1. The pseudo-scientist considers himself a genius.
2. He regards other researchers as stupid, dishonest or both.
3. He believes there is a campaign against his ideas, a campaign comparable to the persecution of Galileo or Pasteur. He may attribute his "persecution" to a conspiracy by a scientific "masonry" who are unwilling to admit anyone to their inner sanctum without appropriate initiation.
4. Instead of side-stepping the mainstream, the pseudo-scientist attacks it head-on: The most revered scientist is Einstein so Gardner writes that Einstein is the most likely establishment figure to be attacked.
5. He has a tendency to use complex jargon, often making up words and phrases. Gardner compares this to the way that schizophrenics talk in what psychiatrists call "neologisms", "words which have meaning to the patient, but sound like Jabberwocky to everyone else."[6]
体系的な政治哲学理論ってロマンですよね
反面として、定量的な話は少ない
冗長な長文だけど個人的には長い文章って現実逃避にも便利だから読んでしまう
独学で専門領域を持たず色々な分野に口出して独自の理論を建てるっていうのもトンデモの類型だけど謎の頭の良さにより異常者ができたという印象 まあ"crackpot genius"なんじゃないでしょうか
"crackpod genius" といったTGGP氏「Mencius Moldbugは真理への貢献というよりパフォーマンス・アートに近い」> TGGP said...
http://www.themoneyillusion.com/what-is-to-be-done/#comment-7493
First, commenter extraordinaire Michael, who regularly exposes the superficial threads of my flimsy autodidactic pseudoerudition. https://www.unqualified-reservations.org/2007/06/some-objections-to-ultracalvinism/
なぜかヤーヴィンは自分の方法論を「演繹」と言っているのだが、じっさいに彼がやっているのは最良の説明への推論とか仮説演繹法だろう。
カントが重力の逆二乗則はアプリオリとか言ってたのと似た意味不明なやつです
Yarvin: History is not an experiment, because we cannot control it.
TGGP: The absence of a double-blind experiment is unfortuanate, but it doens't mean you've got nothing. You like to generalize from historical examples all the time.
Unqualified Reservations: How I stopped believing in democracy
社会科学は対照実験が無いのに因果関係を導こうとしているということを批判しつつ、ヤーヴィン自身は歴史的事例から一般化しているのではないかという批判
ヤーヴィンはある現象が発生していると思う→そこから原因を推測し、その原因を述べることによって(現象があるとしたらそういう原因だろうというだけではなく)現象の存在自体を読者に説得させる
――というような説得方法を用いがちだと思うが、普通、原因の説明と信じる理由は別である
もし措定される原因の推論が、ある現象が存在することに依存しているなら、循環論法になってしまう
だから、現象の側が未知で原因をもとに現象を推定したいという場合、原因は既知のものでなければならない
しかし、本当に既知のものだけを使っているかが微妙である
例: 現代に犯罪が増加していることを説明する仕組み (メカニズム) を出すが、そもそも犯罪が増加しているのか不明
(一応統計も引いていたけど)
"今も昔も我々は統計データよりも「こうこうこういうプロセスでこうなります」という物語に重きを置きすぎる傾向があるので注意しよう(気功とかホメオパシーとか、統計的裏付けはなくても、効く理由を提示されると納得してしまう人が多い)。"
けんさく。 : 思考のモラル 『幻想の古代史』
(ayu-mushi.iconThe Phrase "No Evidence" Is A Red Flag For Bad Science Communicationによるとホメオパシーを支持する統計的調査はあるが仕組み上ありえないという理由で棄却されているそうなので、ホメオパシーの例はむしろ逆なのではという感じがする)
最良の説明への推論をしているが、説明したいデータが何なのかを詳しく書いてくれない、あるいはデータ自体が本当に観測されているかどうかに疑問がある感じ
アカデミア、メディアなどについて、あまり客観的なデータを出していない。個人的な印象をデータとして、そこからそれを説明する仕組み (メカニズム) を考えるという推論になってしまっているのでは。
ヤーヴィンは軍に共和党支持、その他の行政機関に民主党支持が多いと推測しているが、本人も認めるようにデータは出していない
Ideology and Performance in Public Organizations - Spenkuch - 2023 - Econometrica - Wiley Online Library にデータがあり、ヤーヴィンのいうように公務員には民主党支持が多い
逆に、各政党支持者の連邦機関への好意のデータ: Americans favorable of many federal agencies, especially Park Service, USPS, NASA| Pew Research Center
https://scrapbox.io/files/64735969462c99001bdb3aa0.webp (via Glenn Greenwald)
Public Expresses Favorable Views of a Number of Federal Agencies | Pew Research Center
初期の文章は直截的だけどあとの方になるにつれだんだんカッコつけた文章になってる気がする
ヤーヴィンの態度には、彼が評価するジェームズ・バーナム『マキャベリアン: 自由の擁護者たち』に見られるような、権力についての科学的なアプローチを目指す面と、社会についての科学的アプローチである社会科学に対する批判的な態度 (それに対して歴史・資料読解・古典のような人文学をむしろ肯定する) という、相反する要素が同居している
社会科学に対する否定的な態度には、最初はオーストリア経済学のロスバードとかの影響が強かった
『マキャベリアン』が推進する科学的アプローチも、必ずしも一般的な意味での科学的アプローチではない
ヤーヴィンはその時代の評価を建築物の美しさで決めるようなことをいっているが、これは迷信的思考ではないのか。貴族を喜ばせる建築物が美しくて、実用性を重視した建築物が美しくないというだけではないのか。
追記:そうではないらしい。Whither Tartaria? - by Scott Alexander - Astral Codex Ten
現在の建物が美しくないというのは、割とよくある意見らしい。
ヤーヴィンの理屈付けは、個人の裁量による設計が否定され、プロセス主義になったため、現代の建築物は美しくない、というものだが。
</方法論の話終わり>
「帰結主義は、王、神、スーパーヒーロー、盗賊、反逆者、サイコパスの倫理だ。義務論は、法に従う市民の倫理だ。」というのは、総督府功利主義っぽいけど、彼は帰結主義は敵視しているらしい。
The cause of “cancel culture” is that everyone feels they can do anything, if they are doing it for a good reason. Philosophers refer to this as “consequential” rather than “deontological” ethics. Deontology means doing your duty; consequentialism means deciding for yourself what is right or wrong.
Deontological ethics is the perspective of a law-abiding citizen. Consequential ethics is the perspective of a god, a king, or at least a superhero. It is also the perspective of a looter, a traitor, or a sociopath. It is the perspective of power above law. It converges on Aleister Crowley’s formula: do what thou wilt shall be the whole of the the law. And of course it was the great ethical revelation of the 1900s, and even now reigns supreme.
Persuasion and the Mensheviks - by Curtis Yarvin
それは帰結主義というより、ナイーブ道具主義なんじゃないかな。Naïve Instrumentalism vs Principled Proceduralism
Consequential ethics literally authorizes you, the sovereign individual, to act not according to your legal duty, but your own sense of the ethical consequences of tour actions. Every man is a judge above the law. Anyone with a two-digit IQ can see how this can justify killing your enemies. If not killed—they would do more enemy stuff.
Consequential ethics make you into a Nietzschean blond beast who knows no law but your own. Like James Bond, you can make the world a better place in whatever way befits your own best judgment. Bang! That was your best judgment. Consequential ethics are the ethics of Lucifer. This is why they are so sexy.
To you, both these ethical models may seem good. To me they seem criminal. This is an aesthetic choice: de gustibus non disputandum.
#3: descriptive constitution of the modern regime
それは間接帰結主義で済むのでは?私たちは功利計算すべきか(シリーズ:功利主義を掘り下げる2) - ボール置き埸
The trust of Americans, that is, in—the public-health authorities. The problem here is that all these great experts have a conflict of interest—because they are part of—the public-health authorities. This is why they disagree with your eight-year-old, who, while he is stupid, has no conflicts of interest.
The experts are mostly doctors, whose interest should be the interest of their patients. A risk-benefit analysis of any human being’s interests reveals lower expected mortality and morbidity as a consequence of receiving any plausible vaccine candidate before, rather than after, inoculation with the pandemic virus. So says your eight-year-old, though probably not in this kind of language.
But the interests of the public-health authorities can and do conflict with the interests of the patients. For example, delaying a vaccine for a year may kill 250,000 people, but it does surprisingly little damage to the trust of Americans in the public-health industry. On the other hand, an experimental therapy that kills one person—as in the death of Jesse Gelsinger—can set back a whole field of medicine for a decade.
2020, the year of everything fake - by Curtis Yarvin
ここでは不行為と行為による害 (殺しと見殺し) を対称的に扱っており、それは帰結主義的に思える。(「ワクチンを規制する」というほうが積極的な行為なのか、「ワクチンを承認する」という方が積極的な行為なのか、この場合は微妙というのもあるけど。ここではふつうの人ではなく医療機関が問題になっているので、積極的な行為に対し義務を負っていると考えることもでき、それを考えるとさらに複雑ではある。)
まあここでヤーヴィンはよく言われているFDA批判の話 (ミルトン・フリードマンとかアレックス・タバロックとかが言ってる) を繰り返してるだけですね
ヤーヴィンは憲法に基づく政府権力の制約を良しとする自然権・最小国家リバタリアンなどをリバタリアンの典型とするとすごく異端派に見えるが、New Public Managementなどの小さな政府派とはそんなに離れていないかもしれない
特に日本に政府権力の制限や自然権を掲げるリバタリアンは目立っていないのであんまり異端派に見えないかも
ヤーヴィンは権力の制約・チェックアンドバランスのようなアングロサクソン的考えを強調するリバタリアンと対立している
ブッシュ政権の当時(2007年)にブログを始めたヤーヴィンはもともと共和党保守派の軍事的遠征を危険視していたので、そこが共和党保守派との対立点だったが、トランプ以降は違いがあまりない?
2013年あたりから保護貿易や自国第一主義的なことを強調しだし、ヤーヴィン側の変化によってもトランプに寄ってきたというのもあるかもしれない
2016年選挙以前にもトランプに肯定的に言及してた気がする
ヤーヴィンは第一原理から考えるみたいなことをいうけれど、じっさいには既存の右派の思考 (paleoconservativeなど) の累積に影響を受けてやっている方なのではないか? (最初の方は割と第一原理から考えていた)
ではなぜ保守派と距離を起きたかったのか。考えとしては一致していても馬鹿だと思っているのか
保守のオーディエンスを念頭においてなくて、インテリのオーディエンスに語りかけたかったから、インテリが嫌う保守派との結びつけを避けた?
単に自分の仲間に権力がないのが嫌という人 (tribalist) は
1. 自分の仲間が支配する→良い
2. 民主主義→普通
3. 敵が支配する→悪い
となる。
ヤーヴィンはそうではなく、バラモンが支配しても、嘘をつかず、責任ある効果的な政府であるならいい (ある集団による支配ということに悪さがあるわけではない) というふうに言っているが、そうでないように見えるときもある。
Gray Mirrorではある集団がある集団を支配する事自体に現状の悪さがあるみたいなことを言っていた気がする (iron law of oligarchyを受け入れているなら、現状以外でもそうなるのでは)
I Can Tolerate Anything Except The Outgroup | Slate Star Codex: ヤーヴィンにとってリベラル左派が外集団 outgroup だから、fargroupに当たる集団 (プーチンとか) には甘くなる、という効果がありそう。
私はまだあんま読んでないけど、URのコメント欄は批判的な物も含め盛り上がっており有益そうなものも多いので読むときはウェブアーカイブなどを利用してコメント欄も含めて読むといいかもしれない
Mencius Moldbug *Unqualified Reservations* のコメント付き版へのリンク
「左派は歴史上常に勝ってきた」という主張など、判官びいき(アンダードッグ)戦略感がある(さて、彼を文字通りに読むならそんな政治戦略などする必要があるとは思えないが)。億万長者の右派一人についてその倍以上の億万長者の左派が居るっていってた(あ、"Technology, Communism, Brown Scare"が出典だけど、「右派」じゃなくて「リバタリアン」って言ってた。それならまあそうかもしれない…)けど統計上間違ってるように見えるし(https://www.vox.com/polyarchy/2016/6/3/11843780/democrats-wealthy-party の図では、やや民主党が上回ったこともあるが、上位4%の所得の人の共和党に対する民主党の比率が倍以上になったことがあるようには見えない)
歴史上の敗者 判官びいき
Scott Alexander "Help, help, I'm being oppressed!"
一時期から共和党/民主党は高所得/低所得の対立から、低学歴/高学歴の対立になってきたのは事実
彼の住んでいるサンフランシスコが民主党の支持層なので彼には左翼が世界を支配しているように見えるのかもしれない?
(of course you〔= Mencius〕're so America-centric that you attribute everything in the world to America in the absence of any evidence of a connection) http://web.archive.org/web/20180106165347/http://unqualified-reservations.blogspot.com:80/2009/12/climategate-historys-message.html#1629307000544532812
たしかに何でもアメリカのせいにしてる気がする
I can give an example of MM misrepresenting an opponent, though perhaps imagining him to be an opponent constitutes the misrepresentation. He lambasted George Kennan here, mostly for what he imagined Kennan's position to be. http://web.archive.org/web/20180106174241/http://unqualified-reservations.blogspot.com/2009/08/ur-is-on-vacation.html#6229560075358872803
ヤーヴィンは相手を敵と認識すると相手の立場を空想で認識して誤解してしまっているのではないかという指摘(by TGGP)
In the modern world, however, bad policies are the result of human action, not human design.
Patri Friedman "Beyond Folk Activism"
Leland B. Yeager (2011) "A Libertarian Case for Monarchy"
民主制は問題を解決するのに役立たなくても問題を発見するのには有用ではないか
ヤーヴィンは行政府の省の中でも国務省の話をよくするが、これは彼のお父さんが外務局で働いていたことによるのかもしれない
彼の祖父母はアメリカ共産党員だったそうだ
母がエネルギー省関連、義父が議会スタッフだったそうだ
彼はブログではナショナリズムに否定的Chapter 1: A Horizon Made of Canvas | An Open Letter to Open-Minded Progressives | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug だが、コメント欄では自分はアメリカのナショナリストかもしれないと言っている。https://www.scottaaronson.com/blog/?p=3167#comment-1731729 これはなぜか。
ブログで否定的と言っていたナショナリズムとは民族自決のことだ。
いっぽう、コメント欄で言っているナショナリズムは、政府は (その政府にとっての) 他国民より自国民の厚生を優先すべきという立場だ。
こちらの意味でのナショナリズムはブログでも明確に擁護している: Two words for Tyler Cowen and Ilya Somin | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
(民主主義にコミットせずに擁護できているか怪しい気がするが)
つまり自国民「による」政府という意味のナショナリズムではなく、自国民の「ための」政府という意味ではヤーヴィンはナショナリズムだ
白人ナショナリストのいうように白人が白人を統治するのではなく、宇宙から来たミュータントのセンザンコウによってよく統治されるならそれに何の問題があろうか Censorship: a 21st-century approach - Gray Mirror と言っているので、「自国民による」統治が良いという観点は全く存在しない
また、根拠としては自国民の厚生を目的にした方がアカウンタビリティを保ちやすいというものらしい
それは民主主義では?
ゲルナー「政治的単位と民族的な単位が一致すべきというのがナショナリズム」【国家解体戦争と社会秩序の変動】(2)ナショナリズム - ニコニコ動画 という意味のナショナリズムを支持しているわけではない。
もし移民反対の理由が、他民族を入れるべきではないというものではなく、"現在の自国民"が優先されるべきだからという理由なら(おそらくヤーヴィン(2021)はこの理由で移民に反対している?)、民族主義的ではない自国民優先主義ということになる
というのも、そのとき現在の自国民同士の間には国籍を現在持っているという以上の繋がりが全くなくてもいいのだから
国籍のシステムの重要な要素である参政権を否定する以上、どのような国籍システムに基づいて「国民」を捉えたいのかは不明だけれど (おそらくそこまで考えてない)
また、エドワード・べラミーのナショナリズムはどちらの意味でのナショナリズムとも大きく異なるが、ヤーヴィンは区別せずに言っているのでさらなる混乱が予想される
ハンス・ハーマン・ホップは君主制を支持する主張において、君主制下では非戦闘員と戦闘員が区別され、法に則った戦争が行われていたのが良かったと主張するが、ヤーヴィンはむしろゲリラというものがあるので非戦闘員と戦闘員の区別なんてできないと言っている気がする
もともとヤーヴィンは集団安全保障でも勢力均衡方式でもない孤立主義・ウェストファリア体制の理想というものを支持していて、しかしそれを現に軍事力の差がある世界で実現する具体的なプランを欠いていた印象があったが、最近になって軍事力の差があるなかでウェストフェリア的体制を無理やり実現する狂ったプランを出してきた:
#6.2: extreme arms control - Gray Mirror
I can explain this and Greer himself probably even understands it: until quite recently, the so-called “neoliberals” never, ever said “neoliberal.”
It was exclusively an exonym—basically, a Marxist slur, meaning anyone who isn’t a Marxist. As Marxism becomes more dominant, more Marxists use Marxist exonyms more, suggesting a rise in this strange “neoliberalism.” Data interpretation is tricky! When more people start talking about witches, it does not always mean more witches. I don’t like using exonyms, though sometimes there is no choice.
You are going to lose - by Curtis Yarvin - Gray Mirror
いやまて1990年代からマルクス主義が支配的になったってどういうことだ
1991年にソ連が崩壊したのだからその解釈は全く意味をなさないのでは
Yarvin: There was never any such thing as a stable absolute monarchy in Old Europe. That is, there was never a monarch whose control was absolutely secure, and who didn’t feel he was competing informally with other internal power bases (the Church, the nobility, the cities, …) So the center kept expanding for the same reason it expands now: informal power networks metastasize.
https://entitledtoanopinion.wordpress.com/2008/07/02/two-book-reviews/#comment-1505
マキャベリ的という形容をマキャベリその人のような分析という意味と、マキャベリによって描かれているような性向という両方の意味で使ってしまうのは問題があるのでは
けど、cynical という言葉や、scaryという言葉にも同じような多義性があるし、英語のアレな点かもね。
なぜしばしば「それは20世紀的な考えだ」といって考えを退ける人間が、「その考えが考えられた時代に訴える論証」(ad tempus)を非妥当だと批判する?
Persuasion and the Mensheviks - by Curtis Yarvin - Gray Mirror
過去が優れていると思っているのであって、ad tempusが誤謬であるとほんとうに思っているわけではないのではないか
Unqualified Reservations: The mystery of pacifism
ヤーヴィンはこの記事で、どんなに軍国主義的でも、勝ちそうな時に相手に武器を与えてもっと戦争を! とはやらないので、みな平和を求めてはいるといっている (そのレベルのミリタリズムだとHELLSINGの少佐のセリフみたいだ)
だから平和主義というのは名乗りとしては無意味なのだと
しかし、領土を失ったりしても平和を優先するかとか、平和を優先する度合いに違いがあって、優先度合いが高い人を平和主義とよんでいる (秦檜の和平策とか) と思うので、無意味ではないのでは
流石に戦争自体を目的として追求する人はそんなにいない
ジョセフ・ヒース「戦争好きの諸類型」(2014年12月5日) – 経済学101 そうでもないかもしれない
論敵が単に間違っているだけではなく敵であるようにいう必要はなんなのか。
ヤーヴィンは「政治と民主主義との違いは、含みがポジティブかネガティブかの違いであり、同義である」というが、legal activismは政治であるが民主主義でない例では
ヤーヴィンはジョセフ・ヒース「文字通りの意味でのファシスト」(2016年3月1日) – 経済学101の意味でのファシストと言えそうだ
Occam’s Butterknife is the only tool in its kitchen.
Chapter 3: Carlyle in the 20th Century: Fascism and Socialism | Moldbug on Carlyle | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
ヤーヴィンは streotype threat 理論を批判する記事にリンクしているが、ヤーヴィン自身の、現代右派がファシストになることの説明も、streotype threat 理論と似てるのでは?
彼は人が「ポリティカル・コレクトネス以外にはファシストしかいない」と、言われ続け、それを自らも信じてしまったからファシストになると言っている
予言の自己成就
The eternal dream of the nerd, who would not be a nerd had he not in some sense socially failed between 10 and 20, is not to succeed at being human—not to catch up to the default social world, to learn its secrets and be admitted to its citizenship, to rise in its conventional ranks—but to skip being human—and jump directly to some kind of para-human, trans-human, posthuman or just superhuman experience.
The question is: inventing from scratch, are these outsiders, these nerds, these losers, going to do a better job than the masters of Life 1.0—especially when those masters have inherited their ways of living across many generations? Who would you bet on? Especially when the nerds are not even reinventing themselves as a group, but each working alone from his own fragile psychological capital… I’ll bet on Chad and Stacy.
…
Then their pride and intelligence makes them want to reinvent all of human society—which is why this essay.
"Circling" and nerd society - by Curtis Yarvin - Gray Mirror
おまゆう
ヤーヴィンには第三世界は破滅しているみたいな世界観があるが、『ファクトフルネス』 (未読) あたりで批判できそう
ヤーヴィン自身は言論統制を唱えているわけではないけれど、Cathedralの考えは少なくとも言論統制が右派にとって意味をなすということを導くのでは
Unqualified-reservations.org Traffic Ranking & Marketing Analytics | Similarweb
ギリシャ、ブラジル
嘘?
YouTubeでは、グーグルアナリティクスを使ってないとか、コメント読んでないとか言ってるけど、コメント返してるし
昔はネオコン?