間違えないようにするという誤り
『精神現象学』の緒論で言われている。p100
カント批判の文脈で言われている?
カントを直接批判しているわけではなくて、実在を認識するためにはその認識のための道具について知っておかねばならない、そうでなければ不適切な道具を使う羽目になり、そうして真実の代わりに誤謬をつかまされるかもしれないという不信感が、学問的活動に入ってくるときに、そもそもそういう不信感が起こることの一因として、誤りへの恐れがあるんじゃないか、そんなに事前に恐れるなら、そこも反省していいようなもんじゃないの?……というかんじかな
『イデオロギーの崇高な対象』p352で引用されている
この箇所は、ジジェクいわく、「強迫神経症者の主体の位置を完璧に要約している」
/hata6502/間違ったことを言うのもコントリビューションの1つ