趣味が哲学を規定するならば
ある思想家がもつデカルト的な意味での「明晰さ」は、その思想家の主観的な感じである
普遍的な知性がその基礎にあるわけではない
思想的対立は理性的正統性をめぐる戦いだというのは自己欺瞞ではないか
仮にそういうかんじであるとしたとき
ところが、こうなったとき、エンジニアじゃないとダメなのか?とか自己肯定下りがちになる
いや、なにも文字通りのハードウェア、ソフトウェアを作らなくても、人はなにか「もの」を作れるんじゃないのか……
エンジニアは人工物に視野狭窄しがちだけど、それだけではない
事務仕事でいえば、行程に漏れが起こりにくいような様式の原本を作ることなど
宗教的なもの
道徳的なもの
ときどき語りたくなる。そして、それを語るときは不思議な落ち着きと興奮があるきがする