脱構築についての疑問を検討するページ
経緯 周辺
疑問があるていど整理できた段階でDiscordの方に投げてみてもいいかもしれない。
『声と現象』
2022/6/6。『声と現象』読むか?と尻込み中。読了まで1ヶ月以上はかかるとは思う。我が家にあるデリダの本はこれの他だと『精神について』であり、これはハイデガー論だからフッサール論よりはイケるかなと思うが、歯が立った覚えはない。 2022/6/9。『声と現象』を読み始める。継続できるかは不明。以前よりだいぶ読めるようになっていた。おそらく、フッサールをいくらか読んだ経験を持ったからだろう。(理解できるか、というと話は別)
当初の疑問自体について
脱構築は疑うことか
脱構築のふたつの意味はどちらも「疑うこと」だとされている。ただし、ただ疑うことではなく、「二項対立の〜を疑うこと」
疑うという言葉のなかには、「それの絶対性を疑う」であるとか「それの不変さを疑う」といった意味が含まれている
音声優位のよく分からなさと久住哲.iconの解釈
たしかによく分からない
たぶんプラトンが下敷き
Discordで引用した『パイドロス』における「書かれた言葉」の過小評価 『声と現象』で「声」というキーワードが出てくるが、音声優位と関係がありそう
音声の方が真理に近いと言われる理由
音声の方が真理に近いというのは、久住哲.iconの理解では「対面なら即座に相手の誤解を訂正できる」ということだと思っている。
音声は勝手に入ってくる
音声とは距離が取りにくい
『うるさい日本の私』ではこの聴覚の暴力性みたいなものが語られていたような記憶がある(10年前の記憶なのであやふや) 音声も誤解される
音声(発話)も誤解される……という論点は、原エクリチュールという概念とともに、デリダ自身取り上げているのだろう 「脱構築」の語源方面に手がかりを求める
ハイデガーのDestruktionのニュアンス(独自解釈)
Destruktionは伝統否定ではなく、哲学者が見出したものの正当継承のようなものだ
Destruktionは二項対立が生まれる現場に遡って考えるような営みである 根源に遡る……というキー概念が出てきた
二項対立の生ずる現場にまで遡る
例えば、『現代思想入門』でいうと、古代においては同性愛行為こそあれど、同性愛者というものはなかった……という、性に関わるアイデンティティの話があった。 『現代思想入門』(千葉雅也さん)の立場で言うと、「二項対立の境界を消滅させる」というのはよく分からない。
『現代思想入門』では、現代思想を学ぶ利点として、「複雑なものを複雑なまま考えられるようになる」という点が挙げられていた。「脱構築」もその線に乗っかっている。
過去のメモから得られるヒント
真理の名におけるテロル
粛清
Wikiwandの方でひとつ言われているのは、「固定したものを解体する」というところであり、ここから予想されるのが、固定していないもの(差異)の方にフォーカスしてゆくんだろうなという方向性。 このあたりがハイデガーの企画を引き継いでいるところ
脱構築は「総合的方法」に近い?
二項対立の片方を徹底してゆくと自らが自らを破壊してしまう……というような総合的方法に近い手法なのかなとも思う。 例
スピノザが「実体」の定義を突き詰めていったら、デカルト的な二元論を否定するにいたるようなこと