第5回あーぷら哲学カフェ
https://gyazo.com/b3bef51be9c2e4a431b05e6d600e6190
日時:9/3(金)21:00~23:00
場所:102号室
書記:aosi0104さん、cmang1dovobさん 参加者延べ20名くらいかな。ありがとうございます。
テーマ:「美しい」とは
かつて行われていた哲学カフェを復活させたいと思います。
美しいってなんだろう。
人はなにに美しさを感じるんだろう。
美しさは善なのでしょうか。
様々な視点で「美しい」を考えてみる時間にできたらと思います。
ルール
「ひとの話に耳を傾ける」
「専門用語はなるべく使わず自分の言葉で発言する」
「結論を求めない」
「わからないことは積極的に質問してみましょう」
「途中入退室は自由」
VCで発言する時は挙手をお願いします。司会が指名するのでそしたら発言をお願いします。テキストは拾って欲しい発言は挙手(「ノ」)してから書き込んでください。なるべく拾います。
コメント
青い海は美しい
自然は美しい、雄大なもの⇔よくできたもの、構成されたもの人工(機能美)
視覚的なもの
音を聞いた時にも美しさを感じる
綺麗と美しいのちがい
何がちがうか→人間愛?思いやりは美しい
美しいを誉め言葉として使う
動き、格闘技に使う「美しいフォルム」→洗練された
剣道の動きをまねる、興味はなくても美しい
型(決まった形)には美しさがある
美しい感じるときには感情が揺れ動いている気がする
女性の銅像を見て顔などの曲線の美しさを感じます
数式の美しさは受け取り手によって異なる。
美しいにはある程度の前提=共通点があるように思えるが、
どうやら、美しいと「感じる」には差があるようだ。
美しいと感じる受け取り方は「モノの見方」
具体例として美術があるが、
「モノ」に美しさが内包しているか、
「受け取る側」に美しさが内包されているかの分類ができる。
「受け取る側」が美しさを感じることには、受け取り側の教養・バックボーンが必要なように思える。
かっこいいと美しいが共存するというのは自分にはなくて新鮮でした
オタクは美を追求する生き物
深く入り込むほど、細かい部分に美を感じる
曲線美的な意味で
黄金比とかもおもしろいですよね
ある種のなまめかしさなのでしょうか?
有機的というか一方で無機物的なものも美しいとかんじる場合がある
「混然としたもの(入り混じったもの)」に向けられる感情=巨大感情を向けられている。
その巨大感情自体には美しさはない。
一般的に美しいと思われる現象があるが、その美しいと思われる現象そのものに美しさがあるわけではない。
しかし、そこには混沌とした感情が湧き上がり、「美しい」という感情では形容できず、「巨大感情」「尊い」「無理」という感情で形容することが、経験則である。
わからないゆえに美しい
2次元は架空だから好きに作れて美しい
隠れているからこその美
月に叢雲花に風
タイミングによって美しいと感じる時、感じない時がある
疲れてるときに、哲学にすごい美しさみたいなのを感じます
はじめて美しいとおもったもの
わたしたちは「初美しい」を遡及的にしかみれない
美しいは潜在的に備わっている概念??
先天的なものと後天的なものに分けられるのかも
「恋心」という言葉があるが、この言葉の定義は個人によって幅があるように思える。
Aという心的現象を表現するのに、「恋心」と表してもよいが、「推す」と表すことも可能である。
一体、何を持って、Aという心的現象(だと仮にして)を、言葉で当てはめて表現できるのだろうか?
「推し」に対する感情は「崇高」に対する感情と近さを感じる。
「崇高」なものは理解がしづらい(自分と結びつけにくい)、
「美しい」ものは理解しやすい(自分と結びつけやすい=感情を紐付けやすい)
しかし、美しいと感じているものに接近できるだろうか?
「美しい」「崇高」という感情は特別視されやすいのではないか。
「かっこいい」よりも上な感じがする。
「憎たらしい」なども同じ感情なはずなのに、「恋」「愛」「美しさ」は特別視されていて、だからこれだけ考えられて、盛り上がるのでは?
(特別視されていない感情なら、これほど盛り上がらないのでは)
男性は女性に美しいと思うことは一般的に思え得る。
それは「美しい女性像」というイメージが、予めあるからではないだろうか。
「顔がいい」という表現、単にキャラの造形が好ましい。
顔がいい=美しいのように思えるが、感覚としてはズレを感じる。
「顔の良さ」以外になにか「美しさ」を感じる要素があって、人物評においては、それを男性より女性の方がみたしやすいのではないか?という話でした
Q美しいは永久か
美しさにも西洋東洋がある by水の東西。今の教科書だと「国語総合」に収録されています。
永続的なのが西洋、瞬間的なのが東洋
日本は自然と協調するのが美しいとか
自然との調和か自然に打ち勝つかみたいな議論もありましたね
西洋東洋で違うとなると後天的なものなのかな?
なんか、うつくしさの基準みたいなもの自体はみんな生まれつきありそうだけど、その基準の……前出てきた言葉を借りると、センサーの感度、どこを伸ばすかがちょっと文化で変わるのかなぁ
国語で思い出したんですけど、批評家の小林秀雄の「美しい花がある、花の美しさという様なものはない。」という文も印象に残っています。
儚さは美しい
人間失格の美しさは「儚さ」
男はつらいよのヒューマニズム→愛を感じる
何か失うものにも美しさを感じる
ジブリの曲は外国人もノルタルジーや美しさを感じるみたいなのを聞いたことがあります
ノスタルジー(望郷)、過去の暮らしを思ったり、失ったものを思うと、儚さや美しさを感じるのかなあ
ノスタルジーは寂しさとも結びつきそうですよね
美しさが東西で違うなら男女や年齢での違いもあるのですかね
こどものころのたからもの
子供のころには美しいと感じる能力はありませんでした
その逆に、子供の頃は「感動=美しさ」を覚えたものに、大人になると「感動しない=美しくない」と思っちゃうこともありそう。
子供の頃に美しいと思ったことがなかった みんな嘘とか見栄で言ってるのだと思ってました
というか思えば、子供の語彙に「美しい」ってあんまりないですよね 子供の頃に美しいと思うものを見たら、「きれー!」って言うと思う
子供は綺麗、美しい、可愛いの区別ができてなさそうですよね
子どもは経験が少ないから美しい/美しくないの比較対象が少ないとかもありますかね?
やはり美しさは後天的?
だとすると全く美しさを感じない人もいる?
先天的→全く美を感じない人もいる? 後天的→美のイデアみたいなのが存在する?
逆にあらゆるものに美しさを感じてしまう人とか
極限状態にいた人が普通のところに戻ると全てが美しく感じるようにな
「心地よさ」と「美しさ」は関連があるように思える。
「美しい情景を見た」、これは「何もない海の景色」を見て、「寂しさ」を覚えた。
この「寂しさ」は「生の肯定」に思える。
キルケゴールのいう、憂愁に近いかも
美しさのマインドマップかベン図書いてもいいかも、整理できそう
マインドマップはMiroがおすすめですよ
原始的な生活をしている人々でも山岳地帯に住んでいる人は太陽を、平野地帯に住んでいる人々は星々を信仰する傾向があるとかないとか
後天的な差や環境で美しさの基準が変わることはありえそう
それで神話の最高神が変わったりしますよね
美しさを感じるのはやはり生きている人間とある程度の距離がありつつ、近くにあることが条件のように思う
美しさを感じると生きる力が湧いてくる
美しさは複数あるとも考えます
そうでなければモテる人は限られますからな
長い人生に退屈しないように「美しい」という感情を作っているとかないですかね?
美しさは生きる原動力になる
自分の中で美しさと寂しさは繋がらない感覚がある(別軸)
でも寂しさのある風景に感じる美しさはすごいわかるので、ぐるぐる考えてますね
この「ちょっと違う」の感覚を煮詰めればすっきり言語化出来るきがする
「ちょっと違う」のところがすごい重要そうですよね。「何が芸術か? それは芸術ではない」の議論ににている
美しさとbeautifulは同じだろうか
美しさが「単一」ではなく、「複数」あるように見える。
もし、仮に「単一」の美しさのみを、人々が嗜好するとすれば、「単一」以外の性質を持つものは選択されない。
しかし、人々が「複数=多様な」美しさを嗜好するとならば、「単一」以外の性質を持つものも選択され得る。
逆に美しくないものはなんですか
醜態とされることも見方によっては美しいのかもしれない
死体にたかるハエや蛆虫はどうしても美しさはない 同じ食事なのにも関わらず
美しくない数式は正しくない?
数学では無駄があると「この証明は美しくない」といいますね
グロさと美しさは並列すると思う だからグロさ=醜さではないと思う
美しくない証明として四色定理がよく挙げられるので、気になるかたはぜひ笑
お腹を銃で撃たれてここに求めていた美しさがあったのかと言っていた人がいましたね