第3回あーぷら哲学カフェ
https://gyazo.com/ba06a26e195f52191def793791e2156c
日時:11/20(金) 22:00~24:00
テーマ:「どうして、未来を前方に、過去を後方に存在すると認識するのか?」
場所:203号室
「未来に進む」「過去を振り返る」なんて言葉がある。では聞くが、何故私たちは「自分たちが未来に向いていて、過去が自分の後ろにある」と思っているのだろう?
本当に私たちは未来を向いているのだろうか?過去は私たちの後ろに存在しているのか?未来は前方に位置しているか?
今回のテーマはそんなお話。
ルール
「ひとの話に耳を傾ける」
「専門用語はなるべく使わず自分の言葉で発言する」
「結論を求めない」
「わからないことは積極的に質問してみましょう」
「途中入退室は自由」
VCで発言する時は挙手をお願いします。司会が指名するのでそしたら発言をお願いします。テキストは拾って欲しい発言は挙手(「ノ」)してから書き込んでください。なるべく拾います。
コメント
前向き、後ろ向きともリンクしてる部分がある?
感情についても前とか後ろで表現する
時間を意識するようになった理由、シュールレアリスムいわく「時計のせい」
時計という存在が時間を計量化している
この認識の仕方は全世界共通のもの?
例:バックトゥザフューチャー
国によっては、未来を後方とする国もある
私たちではなく、時間自体が私たちに向かって、あるいは遠ざかっていく
先と後という言葉について
先にやっといた(過去) 後からする(未来)
言葉からアプローチするか、時間という概念からアプローチするかでもかなり見方が変わってきておもしろい
義道「未来も過去もない、あるのは今だけ」
時間を直線的に捉えてるけどなぜだろう。宗教・文化によっては循環的に考えている
ここまではっきり直線上に考えているのは、我々が死や終わりを予感している証?
古代ギリシアとマヤと古代インドは時間が円だったとでてた。私個人も円だったら?とか、考える時がある。
たしかに朝と夜の繰り返しが基本だし円と考えるのもわかる気がする
今思ったのが 未来はこれから観測可能になっていくから目の前的な表現をし 逆に基本的に観測不可能で視点のベクトルを変える必要があるから 後ろの方に在るっていう表現法が使われるっていう感じなんじゃね?っと思いました
私は身体性からアプローチします。人間は前に向かって歩くので、おのずと身体感覚と時間感覚が、前方が未来に後方が過去になるのではないでしょうか。そして、これは仮説なのですが、横にしか歩かないように生まれた人は、右(/左)が過去、左(/右)という身体感覚になったりして。また、たとえば寝たきりの人だったら、物体の動きの方向性は重力的に上から下になるので、時間感覚は上から下というものになりそう。
なるほど、目が前についてるからか。
哲学においてはスピノザ、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアーが、時間を実在しないものとみなしているらしいんですけど逆に彼らはなんでそう思ったんでしょうね?普通の感覚だと過去→現在→未来が当たり前に感じるはずなのに
人間が定めたものであって、時間そのものは、ってことかな
人体の成長と劣化が前進、後退と深く結びついている。だから一定のラインでその方向が逆転する
日時計から連想したけど、蝋燭は燃えたら下に行くから、未来が下にあっても良いのにね。
時間の上下がある、3次元的でおもしろいぞ!
そう考えると時間が円になってるっていうのも時計が丸いのも納得できる気がします
時間は相対的なもの?
上下左右、360度…うん、一次元抜け出してきた気がする
そういえば、巻き戻すという表現は循環しているようで線的でもあるなぁ
繰り上げる、早める。(より現在に近い未来) 繰り下げる、遅める。(より現在から遠い未来)
巻き戻す際に巻くのは、時計のネジ?ここでも時計か!
ビデオとか録画だと過去に行くことを「戻す」、未来へ行くことを「送る」って言うのも考えてみると不思議な気がしてきた。どこに送ってるんだ。
"見"送る かも
地球は時計回りかな?反時計回りかな?時間も前後じゃ無くて。地球みたいにちょっと傾きつつ、回ってたりしたして……
こちら(自分たちの位置する座標)だとするなら、あちらはどこなのか…
1,2,3,4,5,でなくて、3,5,2的動作可能みたいな。。
時間が円の形をしているって自分的にはすごい新鮮だったんですけど、えなぜ?みたいにもなってる
ビデオは、巻き巻きしてある状態の部分を今、として、巻き巻きから、より遠くに【送る】。巻き巻きのところに【戻す】と過去が現れる。
時間は円の感覚を持つのは、地球はまるくて回ってるからかしら…
地球は丸くて回ってるから、季節は巡るし夜が来て朝が来るし
二次元的に円の方が見やすいからでは
どこを・なにを【今】としている?
時計の初期は太陽の陰でみる日時計があったから、そのまま円形のイメージが続いているような気がする
わりと神話、宗教的なところでは円環になる。ってかんじ。
ああ、子供のとき時計読むのって不思議でしたね。同じ円を回ってるのに、次は新しくなってて前は古くなってる…同じ円なのになんで?と
いまって、やっぱ身体?自己の境界とか、やっぱ感覚的には身体だし、一番近いもの=人体なのかな?だとすると時間を身体の動く方向に考えちゃうの納得
言語によって、時間という概念がないのが面白いですね
https://gyazo.com/004d297fc576959f9d810c7956d494eehttps://gyazo.com/3503877221d4fbae3224f10b4c5fd660
となると、先程の言語的な感覚からの時間の前後っていうのが深く関わるのか。
厨二病の頃はA(現在)、B、C、D、Eという出来事を意識が動かしている、みたいに考えてました笑
高校生のころ、なんで英語は過去分詞なんかあるんだよ!?ってブチ切れてたな
けど本質的(より核心に迫る場合)はそのあたりに接点や関連付けが要るのかも
あたまこんがらがってきた
同じく若干話についていくのが大変という印象がちょっとある。
人間以外の生物と会話できたら時間の概念についてきいてみたい。人間の感覚や言語が定めているのだとしたら。
プラスチックくんと、生分解プラスチックくんは、時間の概念がちがいそう
かたつむりは人からするとのろく見えるけど、かたつむり自身は平常運転
後半戦
身体
言語
知能(知性)
この辺からのアプローチが出てきてますね
しかし、これらはどれかが間違っているとかではなくて全てが関連しあって「時間」という認識を生み出しているのかもしれない
自我ができてから時間を認識するという感覚
世界五分前仮説なんて言葉もあるけど、じゃあ認識してない「時間」は存在するのかどうかみたいな感じでもあるのかな?
なんとなく脳が大っきくなると、梱包材みたいにプチプチプチっと小さな記憶は潰されてしまったりするんじゃ……と思うと、後ろに居る私はプチプチプチの残滓なのかも
さっきも出たけれどそのためのラプラスの悪魔なんじゃね?
まあ、もし深く掘り下げる必要がある場合ですが。
もう出来事は決まっていて、意識がそれらを進めていく
神がもうシナリオを決めてしまっているということか
宮部みゆきの小説でも 出来事が自分に対して接近してくるのではなく 自分が出来事に接近して起こるのだって一節がありましたね 受動的な見方だと思いました
時間がなぜ誕生したのか。農業的なものには時間の感覚がある。(育て方、収穫の時期) 狩猟民族は時間の感覚が育ちにくいのでは
農業に時計の必然性が生まれて時計が誕生したというのは聞いたことありますね〜
とある民族には時間の感覚がない
文明の発達レベルによって時間の認識(より正確にわかる)に差が出るのは興味深いですね
モノ自体の固有の時間というものがあって、その固有の時間を他者が観測(稲の成長を観測するヒトのように)
天体の動きよって時間が流れるとか読みました。
日本の古来の時間の捉え方、時間と方角が密接なの面白い
日本語は時間表現に直接的な文法機能から迂言的構文への変遷が進んで参りましたな。
時間は共有されているわけではなくて、個々が独自に固有しているものであるという考え方をしてみる
以前「場所によって相対的に流れる時間が違うという確信がある」ってことをおっしゃってた記憶があり、なんとなく同意するし、すごい面白いな〜と思ったことがあります。
海辺の街にいるときは主観的に時間がゆっくり
1年前と1000年前は同じ過去だけど違う(思い出せない) 時間は膨張しているようだ
流れ関係ないかもだけど。例えば、山間部に住んでた人々は太陽を、平野部に住んでた人々は星々を信仰する傾向があるそうなんですが、太陽を注視してる人は短期的な未来を、星々を注視してる人々は長期的な未来まで考えてるとかあるかも。思いつき。
時間感覚がないことが「幸福」ってのも近代人の見方な気がする
「今」という概念は「今」を認識した瞬間に過去になる。「今」を認識するには、「今」を認識し続けなければならない。そう考えた場合、「今」なんて概念は存在するのか?認識し続ける、なんて無限の行為によってしか証明(直観)できない概念は果たして概念として存在しているのだろうか?それは概念という語で括れる代物なのだろうか
論旨とずれてるかもですが、過去があっという間に感じる理由の一つに忘却があるように思います 忘れたことは無いことと同義なので
思い出す時間を持つことも大事なのかなあ。
逆に過去が鮮明に思い出せるからこそ時間が早く過ぎる?
よくある「20代はすぐ終わる」みたいな話って、10代の頃と比べたときに忙しい割に記憶に残りやすいイベントが少なくなりがち(仕事等)みたいな理由がありそうだな〜ってぼんやり思いました
火星にいる人と地球にいる人が交信するとして15分開きがある→拡張された現在
タイムラグが「拡張された現在」かぁ。どうなんだろ。メッセージを受け取る人と送る人の「現在」が拡張されてることになるのか。
インターネットが成し遂げたのは、空間の同期というよりは時間の同期でしょうね。同じ時を生きる感覚が、相当な過去にまで広がりました。
この映画こんな前だったの!? が最近よく起こる
先が拡張というより、今が圧縮されてしまう感
時計は時間ではなく空間を記述しているもの?
LINEみたいな即時性を大事にするSNSだと送られたメッセージにすぐ既読を付けるなり返答するなりしないとそのメッセージは「過去の言葉」になってしまう恐怖がある
あきらかに体感時間が早くなってきているので何とか遅めていきたい。