第2回あーぷら哲学カフェ
https://gyazo.com/54ac8883844fa5fb09c2d009af205a1e
日時:10/17(土) 21:00~23:00
テーマ:「自分の言葉って何?」
場所:203号室
参加者:(順不同)なるせ、しゅれでぃんがー、Yuri、てじ、風神、kluftroes、kuron、yuta、ぎるさんだ、てんてふ、で電、ゆうり、アレクセイ、政経たん、インテグラル、ウボァ、ワオキツネザル、朝霞、蓮子、sintas、くま子、ちょ、桃華、SHUNASHUNA、阿部火韻、toshi-san、T28、こぶし/kobuski、だるパンダ
自分の言葉ってなんだろう。
方言?母国語?
「よく、自分の言葉で伝えなさい」とか言われますよね。
あーぷら哲学カフェのルールにも「専門用語はなるべく使わず自分の言葉で発言する」ってあるし…
みなさんの『自分の言葉とはなんでしょうか』そもそも『自分の言葉』とはなんなのでしょうか。
みなさんの「自分の言葉」についての考えを教えて下さい
ルール
「ひとの話に耳を傾ける」
「専門用語はなるべく使わず自分の言葉で発言する」
「結論を求めない」
「わからないことは積極的に質問してみましょう」
「途中入退室は自由」
VCで発言する時は挙手をお願いします。司会が指名するのでそしたら発言をお願いします。テキストは拾って欲しい発言は挙手(「ノ」)してから書き込んでください。なるべく拾います。
コメント
なるせ.icon今回もログとるのがんばるよー
風神.iconなるせーっはやくきてくれーっ
なるせ.iconすまねぇええええええ
T-28 (戦車の名前).icon <書記 いつもお疲れさまです。
Yuriさん
そもそも他人と通じるには共通言語を使うから、自分の言葉ではないよね
仲間内だけで使える言葉と創造するとか
自分の言葉っていうのは存在しない
志望動機とかはテンプレートで書かない方がよさそうだよね
で電さん
前の人の意見から自分の言葉は他の人に影響されるのかなって思った
言葉自体は人同士のコミュニケーションのために生まれたものではある
どう使うかが自分の言葉として大事
創作で紋切り型をつかうなとよく言う「頭を抱える」とかの定型文
それを使うか使わないか、自分の意志が出てくる
政経たん
自分の言葉で語るのは難しい
一字一句覚えているような人が喋っても「自分の言葉」感はないよね 読み上げソフトみたいな
当意即妙 うまいタイミングでその場にあった言葉を言えば「自分の言葉」と言える?
一字一句暗記して語る人は自分の言葉だ語っていない
当意即妙の、うまいタイミングで適切な言葉でいえたら、それは自分の言葉というるのではないか。
朝霞さん
自らが発生した音としての言葉
フィジカルな思考の発生としての言葉
人工言語、自分で言語をつくったという意味での「自分の言葉」
三種類あるのではないか。
とってつけたような紋切り型。自分の思考音としての言葉
納得して思想をフィジカルな思考の表現
言葉であるかぎり自分の言葉じゃない。自分で文法をつくって、言語創造としての言語。
みなさんに定義がそれぞれあると思う。
哲学カフェの方針。答えを求めないだろうけれど、なにかひとつ、過程的定義を与えないと話にならないのでは。
ユリさん
楓さんの話をうけてオノマトペを使うと自分の言葉っぽくなるんじゃないかなと、すこし思った。
ウボァさん
オリジナルオノマトペ犬のほっぺをわしゃわしゃして遊ぶ「オンドゥルケスケスケス」?なんて?これ言うと自分の言葉じゃなくなるのかな~
自分で作った言葉。
犬のほっぺたをつねって遊ぶ。オンデレケスケスケス…か?(リスニング不安)
これも言うと自分の言葉じゃなくなるんですかね〜?
ユリさん
共有した途端、自分の言葉は自分の言葉じゃなくなる。
で電さん
言葉で全く新しい発音の組み合わせ。たしかに新しい。料理のように、創作料理といぃても、地球上の素材素材はかならず、誰かが一度は使っている。組み合わせが新しい。組み合わせ
2時熟語とか、文章全体の言い回し。創作料理に当たるのかな。それが自分の言葉なのかなとおもいます。
政経たん
創作料理とオノマトペを受けて。
情報をともなうもの。
文章を書くのは大変。
オノマトペは、単語にしづらいものを単語にしている。芸術作品のようにおもえる。自分の思ってること、体験を、内なる思いを爆発させる手段として、言葉()絵とかなのかなと。
朝霞さん
認識された瞬間に。
聞かれるたびにオリジナリティを、失ってゆく。
ウボァさんを受けて。
自分の言葉を誰かに認識された瞬間、自分の言葉としての無二性が失われるとすれば、文章作品なれ著作権で守られたりするが、現象としては失われ続ける。オープンソース化されてゆく。そうなったとき、自分言葉が失われるならば、自分の言葉が生まれることがない。自分の言葉のストックがなくなる。貰い物、紛い物だけが跳梁跋扈してゆく
ユリさん
音楽 西洋の音階なら音の数が限られている、限られた音で音楽は作られている。
言葉もそうだとしたら、組み合わせで意味合い違いますけど
作家の自分の言葉は「文体」?誰々の文体
音楽、西洋、、音の数限られている。限られた音の数を組み合わせてでしている。言葉もそうなのだとしたら、組み合わせで意味合いがちがうけど……限られたものを組み合わせてるだけというのは仰るとおりだなあと。
あと、薄氷楓さんの
作家が自分の言葉
文体のことなんじゃないか。
音楽も誰々風というのがある。バッハとかもモーツァルト風の作品を作っていた。
誰々が何何を書いたら、みたいなのありますよね。
で電さん
四字熟語を自分で作ってみる2+2で作ってみるっていうのは自分の言葉としてとらえることができる
オノマトペも自分で作ってみるっていうのもどちらかっていうと「音」
イルカの鳴き声が聞こえるようになって、イルカ言語を使っている人がいたら言葉の言語としての機能ははたさない
人に伝わらないといけないという義務
意味なのか音なのか
四字熟語を自分で作ってみる!
自分の言葉として捉えられる。
熟語は意味としての言葉。
オノマトペは音。
人間の
イルカの音とか聞こえるようになったら、イルカの鳴き声を言語に使う人がいたら、自分のものだけど、言葉としての機能は果たさないと思う。オノマトペも伝わらないとダメだという制約がついてまわる。
朝霞さん
パーツは既存でも組み合わせでオリジナルになる
自作パソコンみたいな感じもあるよね!!(^^)!
🐬「キュー」とか「クー」とか理解されなくても「自分の言葉」でいんじゃない?
で電さんを受けて
日本人なら日本語。共通言語で意味理解が最低限できるのを保持してないと自分の言葉にならない
意味を重じているな、と。
本来言葉はコミュニケーションと
自分を表現するためのものでもある
たとえ理解されなくても、イルカの音を使っても自分の言葉と言ってしまっていいのでは?すこし疑問に思いました。
Yuriさん
相手に通じないと意味がない。会話だと通じるように話そうというのがある。手紙とか。創作だと、解釈とか出てくる。世に出た途端に自分の言葉じゃなくなっちゃう。
料理本 今日何食べたい?「にゃにゃって感じの食べたい」相手が解釈する
てんてふさん
朝霞さんに近い
「自分の言葉」っていつ使われるかな「自分の言葉で話す、話なさい」→本心で話なさい
言葉の字面よりそれが意図するところが大事。
例:小学校の生徒がクラシックを聴いて「カンドウシマシタ」と言った。先生「本心言って」→子ども「眠くなった」
生徒がクラシックを聞いて感想を求められた 先生に気を遣う
「自分の言葉で話してみてよ」「う~ん、ねむくなった」これ自分の言葉。
陳腐なフレーズだけど、意図の方が核心を突くんじゃない?
朝霞さん
「自分の言葉」は意味解釈の点ではありえない
言葉の解釈1つじゃない「トーチカ、好きだよ……」
聞き手の解釈の違い 意味の乖離は起こりうる 含意した
言葉の意味を正確に伝えることは不可能
主観的な「自分の言葉」はわかる 他者に伝達するとなると……
で電さん
意図が大切について思ったのは、「感動した」という言葉も本当に感動したなら使っていいと思う。
ただ、さきほどのてんてふさんの例でも、感動したには種類がたくさんあって、正しく使えるならいいと思う。
表現方法が大切、いろんな言葉の素材を手に入れてどれを選ぶか。そういうところに個性が出るこれが「自分の言葉」かなと思う。
ウボァさん
仏教大好きおじさん。
究極なところにいくと自分の言葉なんて存在しないんじゃないかって思う。
Yさん!
保育士の経験談
0さいの子「フニャフニャ」1さい「うん」「やだ」2さい「~いきたい」「でんでん」
お楽しみ会「おおきくなるってどういうこと?」みんなの考えをきかせて
3さい「あしがはやくなること!」4、5さい「生きるということは周りのみんなに支えられて大きくなること」「健康に育つこと。」(おそらく本などから)インプット、アウトプットが出来るようになる歳
朝霞さん
自分の言葉の定義って?意味座標が同じことを言い換えるのが自分の言葉なのか
なるせさん
まず謝罪の言葉
うまく自分を見繕って言うこともできる「たいちょうわるい」「急用はいった」
そうしないで、正直に言う。緊張したということも面白くとる
どうしたらいいか?
「自分の言葉」は、自己呈示(自分をどう見せるか?)につかえるもの
政経たん
子どもが自分が学んだ言葉は披露したくなる
それを「自分の言葉」と思っているかはわからない
自分の言葉っていうのは哲学の本質なのかなぁ~
で電さん
自分の思考がごちゃごちゃしていたとき、言語化ができていなかった。
電車に模様がかいてあるけどスピードが早くてどんなのが書いてあったかわからない
なんとなく赤色なのはわかるけど…。
人にゆっくりゆっくり思ったことを話す。
そのときに、言葉が好きなんだと思った
言語化して人に理解してもらうのが嬉しい そのために言葉をつかう 表現はそのときに大事なんだなあ
くま子さん
テキストあり
『わたしは社会に規定された存在だと鷲田清一の本で読んだのですが、自分の声で発話した瞬間にリアルの自分になる感じがあります。自分の声はわたしを形作るものの一つだと思うので。ネットのわたしとリアルのわたしがどこか違うのは自分の声を出す必要がないからかもしれません。こういった場でもわたしは自分の声がどう相手にどう聞こえるのか訊くんですけど、それを受けて(自分の声の感じを相手から規定してもらって)わたしになってる感じがある。無意識にでも発話した瞬間にリアルのわたしに戻ってる気がします。』
声が幼いと言われる→声を出したときに改めてネットの自分からリアルの自分に戻る。
声を出さないネットの自分は、声を出すリアルの自分と違う気がする。
Yuriさん
声の話が出てきたが、声に言葉はどのくらい影響を受けるのか。
声色を変えるとか。声は言葉に入るのか…?
朝霞さん
自分と他者の間で意味解釈の乖離が起きる時点で自分の言葉ではない。
と言ったが、過去の自分と現在の自分も別人になる。
自分の言葉を反芻したときに自分の言葉というものを保持することは不可能なのではないか。
トーチカ.icon自分の言葉っていつまで自分の言葉なんだろう
で電さん
言葉で伝えようとした時が、自分の言葉を使ったとき。
受験勉強と同じで、志望の大学を目指して勉強した時点で、それは受験勉強したといえる。結果として大学に落ちても、それを受験勉強してないとは言わないと思う。
相手に伝わったかという結果は、次の努力のために必要なだけ。自分の言葉を使ったかに大事なのは、過程や意思。
ユリさん
朝霞さんの→昨日の私は今日の私ではない
「こう言ってたよね?」が言えなくなっちゃう
「昨日と細胞入れ替わってるから別人なんだよね」言葉の責任、どうなるの!
政経たんさん
生物の三要素、二年で人間は身体レベルでは別人になる。
じゃあ、なぜ人間は別人になったと認識しないのか。
別になってるはずなのになんで別じゃないとおもうんなだろあ。頭がそう思い込ませている。
桃華さん
小説の設定のひとつに時間は連続しているから、同じ人間だといえる
朝霞さん
細胞が変わるから人が変わるでない
発言の社会的責任を回避するということはあってはならない。そういうことではなかった。
言語はコミュニケーションを第一義とする。
自分の発言を見返したとき、解釈が変わってくる。
常に端緒を更新しつづけている。その人の存在の情報量が変わってゆく。不可逆的に増えてゆくから。
生物学的には同一の個体であるのは自明。
第三者的な解釈は社会的責任をどうしても意味するから、そう捉えられてもおかしくはない。
蓮子さん
私は言葉を大切に使う方なのですが、言葉を大切に使わない人の言葉に傷付かなくていいんだと解った時に、とっても楽になったことがありました。
言葉を大切に使わない人もいるので、その人の言葉に振り回されない。
くま子さん
社会的責任の話。
細胞が入れ替わっても、時間が経っても、相手からすれば自分は自分。
他者も含めて自分。時間経過があっても、身体が変わっても自分なのだから、この身体を保持している以上は自分。
Yuriさん
自分が変わった、変わると思う転機がある。元服などで名前が変わるのもそれを表している。
なるせさん
関東出身。友達の影響受けて方言に近いことを。自分の言葉といえるのか。
関西とか九州混じった言葉を喋る。逆に地方の人が標準語に合わせたら、それは自分の言葉になるのか?方言の話題を投げかけたいと思います。
子供が覚えた言葉を使いたがるというのに似てますね。
くま子さん
方言も標準語も自分の言葉。
自分の言葉は声も含めてのものだと思う。
方言とか標準語とかは重要でないのかなと思いました。自分が言ったかどうか(自分の声で)ということなのでないか。
ユリさん
なるせさんを受けて。
精神疾患についてのネット記事を読んだんですが。
外国語を学ぶことで言葉が変わることで考え方も変わるので、病気がよくなるみたいな記事を読んだ。言葉で自分が変わるのかなって。思いました。言葉で自分も変わる。
私のちかくでは方言絶滅してて。私はヒアリングもできないんですが。
海外の言語を学ぶと、考え方の枠組みが違うので、(考え方も変わりそう)言葉と自分、についてになりました。
桃華さん
なるせさんを受けて。
イントネーションに依らない。
意志やらに関与しないのでは。しかし、心理的に影響はあるだろう。ベースは変わらないのでは。
アレンジが違うんじゃないかな。印象が変わるので。自分という主は変わらないのではないか。あくまでも意志かな。
仮に筆談でもやはり自分の言葉なのではないか。
安部火韻さん
ウィトゲンシュタインの私的言語論について。彼は「私にとってだけの言葉は、存在しうるのか」を、考えていて『青色本』とかで語られていた。それは、私にとってだけ理解できるような言葉なのか。本当の私の言葉というのは、ありえないんじゃないか。言葉というのが他人との関わりを前提している。そもそも言葉の獲得そのものが他人に依っている。
人間関係の内で、誰が言ったかが大事。グループのできる人が言った場合、失敗ばかりの人の発言の場合、ぜんぜん違う。「ちゃんとしてよ」というのが違う。仕事ができる人は仕事ができる人という役割をしていて、言葉もそれに依る。
仕事でもなんでも、たくさん知ってる人と、よく知らない人とで、発言に格差がうまれる。けど、そのなかでの格差でしかない。他のコミュニティでは、もっと上がいたりする。
関係性が言葉の中で自然と重視されている。
朝霞さん
安部火韻さんを受けて。関係性における言葉の解釈は説得力のことで、言葉そのものの論理の解釈とは違うと思う。
安部火韻さん
朝霞さんを受けて。自分も関係性に依存しているのはちょっと言い過ぎた。 ソシュールについて。詩などで言語は拡張できる。文法的に間違っているかが変わる。それが自分の言葉に関係するかもしれない。流動ともいえる。拡張は昔のものが失われずに変化したとして使う。
風神さん
書き言葉の話。記事を書くのに色々調べる必要がある。ウィキをそのままコピペしたら自分の言葉じゃない。
てんてふさんの話を受けて
自分の言葉
大事なのは本人の意図
トーチカさん
思い出すのは、他人からの解釈という話とも繋がってきた気がします。
くま子さん
Wikipediaの引用。比率とかでも変わってくるかな。
書き言葉で書いたのが自分の言葉であるかは
他人が決めることじゃないかな。
書き言葉で書く言葉と、声を出して話す言葉とは、同じなのでしょうか?
なるせさん
質問:アレクサやSiriに求婚し、まだ私たちには早いと言われた。それはアレクサ達自身の言葉なんだろうか。
桃華さん
AI的にあり。
まだ自己を確立させてもらってない。プログラムされた言葉さから言えない。自分の意思をなんらかの理由で待つことができたら、(自分の言葉といえるのでない)
その言葉を考えた人には感動した。
まだ、自分の言葉とはいえないのではないか。(まだ意思がないから)
ユリさん
反対に私たちが紋切り型、定型文
反射的に返す
小学生などが自分の言葉みたいに装うようなもの。
自分の言葉を装って、自分の言葉じゃないよねって言われないように、自分の言葉っぽく言うとかはおる
頭の中で考えました的なニュアンスが出ると、自分の言葉なんじゃないかなって。
くま子さん
同じなのですが、紋切り型、こう来たらこう返す。なんjで多いんですけど。
AIと自分たちの違いってなんなんだろう。言うほど違わなくないか?
トーチカさん
ああ言えばこう返す。自分の刺激を受けて、その返しをする。どこまでが紋切り型なのか。
朝霞さん
こう来たらこう返す。あれって、会話の形式をとってるけど、返そうという意思はあるけど、あれは対話でないから現象に近いんじゃないか。
話は変わりますが、なるせさんの問題提起を受けて、Siriの言葉は自分の言葉か。他者は、プログラム書いた人とかに規定された思考的枠組み、返答の法則。自分の中で深化したり、その枠組みを自発的に変形させられない。自我をもって発言してないから、自分の言葉とは言えなそう。
桃華さんが言ったような、「我を持っていない現時点では自分の言葉ではない」に近いのかな。
ここで、しめ。
トーチカ.icon寝る前にもやもやしてもらえると嬉しい
catinbox.icon ゲームの片手間に聞いていたけれどオリジナリティとは、自由意志とは何だと考えられる2時間でした。ガチャは爆死しましたが。