日本漢文
朝鮮民族が書いた漢文を「朝鮮漢文」、ベトナム人が書いた漢文を「ベトナム漢文(越南漢文)」と呼ぶのと同様の呼称。
漢文の文体は、古典語としての規範を正しく守った「純正漢文」と、口語や現地語の影響を受けた「変体漢文」に分かれるが、日本漢文にも、純正漢文と、変体漢文の二種類がある。 日本の変体漢文を、特に「和化漢文」と言うこともある。
厳密な意味で「日本漢文」と呼べるものは、日本列島で書かれた漢文及び国外で日本人が書いた漢文に限られる。
王仁のように、漢字の読み書きに長じた渡来人は、文書の読み書きを担当する史部となった。 当時の東アジアでは、文字と言えば漢字だけで、文章を書くとなれば漢文を書くしかなかった。 これは現代の英語の状況と似ている。
五世紀頃、文章を担当する史部は対外的な外交文書では純正漢文で、国内向けの文書では和化漢文で書いていたようだ。
漢文を受容したおかげで、日本でも文字文化が誕生した。こうして本格的な有史時代が始まった。
外国と外交もしやすくなり、なによりそれまでは語り部が口頭で伝えてきていた歴史を文字で書く、という画期的なことができるようになった。