心理自己SALONの観察(c)
cman.icon個人名を書くかは悩み中。(一旦書いてるがあとで消すかもしれん)
2023/08/10
友人は必要か、という話が盛り上がっている
社会的相互作用とバーバルコミュニケーションの話をしているように思う
たぶんよまないのだが……
2023/06/01
かりふぁさんへの返信を考える
まぁちょっと圧縮されててよくわからないけれど……
以下はぼくの読んだ解釈まじり
アブダクションでも転導推理でもなんでもいいが、つまるところ「ヒトはA⇒Bを与えられたとき、B⇒Aも学習する」が基礎であるという主張だろうと思うが…… それを基礎にした上で常同行動と転導的注意を説明しようみたいなことだと思う
前提として自閉スペクトラム症は「A⇒BからB⇒Aを導かない(論理的に正しく在る)」があると思われるが、これは書かれていない
「矛盾のない領域で推論を組み立てる姿勢」がそれにあたるが、それは「そのように解釈できそう」というだけで、診断基準には含まれていない
いや、DSM-5の本文細かく読んでないから本当は書いてあるのかもしれないが
含まれていないなら「という理解の元進める」とするか、その解釈を導出した出典があるとウレシイワケ。
定型発達は客観性の為に一定の矛盾を受け入れろと言わなければならない
言わなければならないわけではないきがする。
多分「受け入れろ」のニュアンスに引っかかっていて、「論理的矛盾をはらんだ言語的コミュニケーションを行うことがあるという特性を理解して欲しい(それを念頭においてコミュニケーションしよう)」がわりと良い
そうなると、自閉スペクトラム症側の特性(それを理解出来ない/理解に苦しむときがあるという特性を念頭においてコミュニケーションしてほしい)と合う気がする
定型発達側からすると、〜念頭においてコミュニケーションしたほうがいい。
まぁう〜ん、そもそも自閉スペクトラム症は「自閉スペクトラム症の診断」によって生まれる概念(?)だと思うんだよな
そして「自閉スペクトラム症」に名が変わった時点で「症状は連続的で(グラデーションが)ある」というのが含意されている
そのため、文中の学術的定義が何を指しているのかはわからないが、診断基準であるとか、経緯であるとか、そういうことを正しく知っていれば、「自閉スペクトラム症だからこう」みたいな行動予測は一定以上の意味を持たないことはわかると思う
心理学全般に言えることだが、「〜という傾向がある(完全に当てはまるとはいってない)」という理解が一番マシな理解の仕方なんだと思うんだよな(サビ)
そもそも(精神)医学側からの定義だと「こういう困りごとをもつ人々」を括って、その原因とかできる臨床支援とか治療とかを考えるための定義な気がする
ぜんぜんイメージなので正しくないかもしれないが
2023/02/15
質問してみたが、ざんねんながら、「観念」がわからない。 単純な意味、といっても、観念には辞書チラ見しただけでも4個くらい意味がある。
単純に、というなら、「他人の考えを言葉として聞くことで他者視点の理解が深まる」みたいなことを言ってるのか?
だとしたら“観念”って言葉を使う意味がない。“観念”って使うからには“観念”それ自体に纏わってるものがあるはずだが、それを掴むことはできない
全員がぼくみたいに語彙クソ気にし野郎ではないので、普通に“観念”が引き出しの一番手前にあっただけかもしれん。
何にせよメチャメチャ混乱するので、誰か“観念”のページを作ってくれ 2023/02/01
「自分以外の人間を『思考も感覚も持たないゾンビだ』と思ってた人いません?」
心理学領域だと強迫症とか妄想あたりのものと関連がありそう
これがそうである、っていうよりは弱いところで同じメカニズムがあるかも、くらい
幼児期の発達、認知心理学あたりも関係……なくはないかも
ゆる言語学ラジオの今井むつみ先生の話とか、幼児期の推論みたいなとこに繋がりを感じる
ただこれ、多分答えまだ出てない
ゆたぼん「同級生がロボットに見えた」
ゆたぼんは哲学的ゾンビのことを示唆していた……?
2023/01/30
「Q.メンタルが不安定なときや絶望しているときにするといいこと」
何か言おうと思ったが、スタンスとして研究の引用をしたくなったのでリサーチコストが出た。
のでぼくは何も言っていない。
研究のメインではないかもだが、ストレス対処に有効な手続きみたいなのはあると思われる
ここまで書いて、ストレスか……?という気もしてきた
2023/01/26〜
「不幸という概念があるからこその“幸福”なのですよね」
対比/対立構造の提示
「どうして人は物事をそのように(二元論的に)分割するのか」
あとでもうちょいまとめたいが……だいたい
sein,かりふぁ両氏から「幸福-不幸」についての見解
対比構造を取ることの意味みたいな話(クソ雑)
相川計氏,ぽんさ氏から二項対立と二元論のニュアンスの話
二元論ってか二項対立では?いや二元論か……?みたいな
これからの定義の話をしよう
cman.icon的には、発端のメッセージから、「対比構造で捉えること」の話かなと思っているので、対比構造という語を採用してこのへんの話からは脱却したい
対比構造の話だと思うのは、「幸福を願えば願うほど〜不幸も大きくなる」から。
書いて思うが、全然対比構造の話ではないかもしれん。
sein氏の説明は、「なぜ対比(比較)のような形になるのか」というところを上手く言えているいい説明なきがする。
人は「あるものを認識するために、それ以外のものと区別する」必要があるのではないか。
幸せ-不幸せのような対立概念は、多くの属性について相等性がありながら真逆の概念であるため、概念を認識するのに重要な要素である バッタと焼きそば、のようなまるっきり違う(相等性が少ない)ものは区別が簡単
両者をきちんと比較せずとも区別できるため、比較は重要ではない
スギとヒノキ、のように相等性が多いものは両者の比較が重要になる
多くの属性で相等性を持つ、という意味で究極的な位置にあるのが対立概念
あるものを認識するときの比較対象として、対立概念はよい
cman.iconここでは「似ていることの多さ」について書かれているが、「違うことの多さ」についてはもうちょい検討してもよい?
ちなみに相等性の意味がわかってないのでこの語句で含まれている可能性はある
考えてみると「似ていること」で置き換えるとちょっとビミョウなのでもうちょい範囲が大きそう。
所属する集合が重なるみたいな手触りはある
多さ、というよりわかりやすさ、かも
cman.icon「真逆である」というのは「違いがわかりやすい」ということ?
白と黒の違いはわかりやすいが、2つの灰色の違いはわかりづらい
色弱の場合色の濃淡で区別するので、似た濃度だとわかりづらい
カラーユニバーサルデザインぽい
そうか、だからつまり、視点によって似てる/違うみたいなのがあるわけだが、“真逆”というのは「だいたいどの視点でもわかりやすく違う」という利点だな
たぶん……
軸の考え方で「対立構造になること」(正確に引用すると「幸福を不幸が成り立たせている対立構造」)をどう回収するか
これは難しい。直感としては「幸福は不幸がないと成り立たない」が間違ってる気がする。
「不幸ではない状態」は「幸福」か?
WHOの健康定義「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」 「不幸ではない」を「幸福」ではないと思うのは、「不幸ではない」のことをここで言う「病気でないとか、弱っていないということ」に相当すると思ってるから
「超幸せ」〜「幸せじゃない」の数直線と「幸福」〜「不幸」の数直線
動く数値自体は変わらないので、多分出来事とか気持ちよさみたいなものは変わってない
ほんとか?
主観的満足が変わる……のか?いやわからん!むず!
マイナスの値を取れるということが良いみたいな感覚はあるのだが、マイナスがなくてもプラスは成り立つっちゃ成り立つと思うんだよな
わかんね〜