否定神学
否定神学(ひていしんがく、ギリシア語 apophatike theologia)とは、キリスト教神学において、神を論ずる際に使われた方法論の一つ。ラテン語では via negativa 否定の道、否定道 とも呼ぶ。 神の本質は人間が思惟しうるいかなる概念にも当てはまらない、すなわち一切の述語を超えたものであるとして、「神は~でない」と否定表現でのみ神を語ろうと試みる。肯定神学とともに、キリスト教神学における二潮流を形作る。神秘主義との関連が強く、またドイツ語圏を中心に哲学へも影響を与えた。 また、視野を広げて見るとインドや中国においても、ウパニシャッドの思索者やインド仏教の龍樹(ナーガールジュナ)の中論、中国仏教の三論宗においても彼等は、その哲理を「無」や「不」などの否定に托して語っている。 「神は何々ではないし何々でもなくまた何々でもなく…」と否定的に定義していく。行き着くところは沈黙?
千葉雅也『現代思想入門』によると、人間は捉えられない「本当のもの」=Xを捉えるために、新たな二項対立を設定し、また取り逃し…というようにやってきたが、このようなXに牽引される構造について、日本の現代思想では「否定神学的」という言い方をする。また、 いかに否定神学システムから逃れるかという考察を、「否定神学批判」と呼ぶことにしましょう。これが問題にされたのが日本現代思想の特徴です。その前提にあるのは、フーコーの『言葉と物』です。否定神学システムとは、事物「それ自体」に到達したくてもできない、という近代的有限性の別名なのです。