龍樹
りゅうじゅ。ルージュではない。
2020/04/01
2020/06/15
部派仏教を痛烈に批判した大乗仏教の始祖龍樹
龍樹を踏まえた上で、無とは何か
戯論をさけようと否定辞を重ねた龍樹、戯論を生み出してしまった後の仏教者たち 縁起の言わば「現象性」
端的な虚無は存在論的に言って、徹底的に否定されなければならない
縁起に自性はない。なぜなら説一切有部は「~~であるあり方」が「有る」としたが、それを否定するため龍樹は縁起を導入したから。正しくは、「縁起」なのだからもともと自性はない。 2020/09/26
西田幾多郎
2020/12/18
中観とは、何か実体があるということでもなく、何にもないということでもないんだよ、という意味らしい 2021/11/01
龍樹付近の空論のススメ
2021/12/07
龍樹っていう人が全てを「空」と捉えた
2022/01/16
諸法無我とほぼ同じだと思う
因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性)はないことを明かしている。これによって、すべての存在は無自性であり、「空 (仏教)」であると論証している。龍樹の「空」はこのことから「無自性空」とも呼ばれる。
「言葉で表現された釈迦の教えなどは世俗諦である」
2022/01/28
釈迦か龍樹か
龍樹はそこに釈迦が語る因縁すら実体ないって説明できる!って空と中観の概念を作り出したわけで
そうなると龍樹視点では釈迦は論理を手放していない か または釈迦が仮に手放していたとしてもそれを釈迦が口伝と論理に変換している以上因縁から考えて実体として成立しない となる
釈迦の仏教と大乗仏教にはプロセスに相違が有るというか、釈迦への挑戦状的なイメージで分節させていった
けっこう真面目に三法印考えると龍樹以外の解釈ないんじゃね?
多くの派が”涅槃を目指している”のに龍樹の中論は”涅槃から逃れようがない”を論点にしている。彼の論理は一貫して文字通り論理的だけど、その底に抑我々は涅槃/空でしかないという悟がある。
2022/05/08
原始仏教とか龍樹の中道とか汎神論なら現実的な思考が可能なので法や教育が成熟した集団にも通ずるとおもう
2022/09/06
テトラレンマについて
wikiによりますと、釈迦は否定、龍樹は肯定している、考え方の様です。
2022/12/04
『ごまかさない仏教』
初期仏教の律を研究する佐々木さんと龍樹をお好きな評論家の宮崎さんが対談した本。
2023/01/27
龍樹の中観派は、同じ仏教でも違う派から虚無論者、との非難の声が多数あった
2023/01/29
中論、ガチガチ論理
2023/02/02
ナーガールジュナの縁起、仕事の合間に少しずつ進めているのですが、華厳や禅との共通点が見出せたりして面白いです。
説一切有部が時間を直線的な横軸に捉えるのに対し、中論や華厳、禅などは縦軸に捉えているのかな、という印象