戯論
けろん
パーリ語
prapañca
サンスクリット語
prapañca
中国語
戏论, 戲論
英語
Conceptual proliferation
考えたって仕方ないようなこと、無意味なことを論ずること。 prapañca (P. papañca; T. spros pa སྤྲོས་པ་; C. xilun 戲論) は、「概念の精緻化」、「概念の増殖」などと訳されます。この用語は、言説的または概念的な思考プロセスの存在を示します。
クリスチャン・コーセルは次のように述べています。
通常の精神状態を説明するために使用される仏教哲学用語は、サンスクリット語で「プラパンチャ」です。これは文字通り「捏造」を意味し、通常は「概念の増殖」または「概念の精緻化」と訳されます [ Samyutta Nikāya , IV, 72 を参照]。
私たちは単に物体を把握するだけではありません。むしろ、私たちはそれを多数の連想の軌跡として捉えます。木を見るとき、私たちは幹、枝、葉からなる実体を認識しますが、同時に日陰や材木を提供できるものを認識します。知覚において、私たちは通常、言語慣習や分類慣行に最終的な源をもつ概念化傾向の流れに襲われます。これらの概念化傾向は、知覚経験を圧倒し、歪めます。
google翻訳
仏教における戯論(けろん)、パパンチャ(papañca)とは、言語や概念を通じて世界を概念化することを指し、これは苦を生じさせる原因となりうる 。「妄想」「障礙」「妄心・迷想・迷妄」「概念増殖 conceptual proliferation」「心の拡張機能」などと訳される。 「戯論」は、龍樹の思想を考える上で極めて重要な用語の一つですが、(略)本書では、訳語として、名詞としては「言語的多元性」、動詞としては「実体視する、言語的に実体視する、実体視して語る」としています。その言語は「プラパンチャ」と言い、「展開、拡大、多様、多元性」がその基本的な意味です。(略)古代の仏教徒は、言葉というものを、実質的には私たちの心の中から始まると、考えていたように思われます。「私」(という意識、存在)は言葉によって始まり、その言葉によって、知覚対象の分節・表示・認知・概念化が進展し、分析的思考・様々な見解・主張・学説へと展開していきます。もちろん、同時に、分節・表示・概念・見解などのそれぞれの段階で言わば横向きに多様に拡散していきます。「プラパンチャ」は言葉のこのような多元的展開の、その最初の段階(潜在的な発動点)から最終的な展開の結果までを含めて、展開過程の全体を含意していると考えられます。 (略)少なくとも、龍樹の用例を見る限り、『根本中頌』では、煩悩や見解、妄想や分別、冗論(形而上学的議論)などといった具体的な様態(言葉や言葉と密接に結びついた心の動き)を指すばかりではなく、それらの根底に潜在している言葉の発動点、起動点をも含めた言語的広がり、言語的多元性を示していると考えられます。