人間は誰に対してもすべてのことに対して罪があると意識するとき、天国が訪れる
イエスの思想なのかドストエフスキーが考えていたことなのか。 長老の兄のセリフ
『神様の小鳥たち、喜びの小鳥たち、どうかわたしを許してくれ、わたしはおまえたちにも罪を犯しているのだ』このことばに至っては、われわれのうち誰ひとりそれを了解し得る者がなかった。ところが、兄は歓喜のあまり泣いているのであった。『ああ、わたしの周囲には、こんなにも神の栄光が満ちあふれていたのだ、小鳥、樹々、草地、青空――それだのに、わたし一人だけは汚れの中に住んで、すべての物を汚していた、そして美にも栄光にもまるで気づかないでいたのだ』
(中略)
僕はすべての人に罪があったってかまやしません、その代わりみんなが僕を許してくれます。そうすれば、もう天国です、ほんとに僕はいま天国にいるのじゃないでしょうか?』
過去編の長老のセリフ
『お母さん、あなたは僕の大事なお母さん、ねえ、お母さん、全く人は誰でもすべてのことについて、すべての人に対して罪があるのです。人がただそれを知らないだけなのです。もしそれを知ったなら、すぐ、天国が出現するでしょうねえ』!――『ああ神様、これが本当のことではないでしょうか』とわしは泣きながら考えた。
『全くわたくしは、すべての人に対して罪があるのでございます。いやことによったら、誰よりいちばん罪が重いかもしれません。世界じゅうでいちばん劣った人間かもしれません!』
『どんな人でも自分の罪以外、すべての人に対して罪があるという、あなたのお考えは全然真実です。ああいう風に、突然この思想を間然するところなくおつかみになったのは、実際驚嘆すべきことです。人間がこの思想を了解するとき、天の王国は彼らにとって空想でなく、事実において現出するのです。それは真実正確な話です』『ああ、それはいつ実現されるでしょう』わしは憂いの調子を帯びてこう叫んだ。