バタイユはホッケの『迷宮としての世界』を読んでいたのか?
バタイユの『エロスの涙』を読んでいると、バタイユは所謂マニエリスム期の絵画についてエロティックな絵画において最も魅惑的なものであると高い評価を与えている。
また、シュルレアリスムの絵画を、今日(バタイユがエロスの涙を書いた1960年あたり)のマニエリスムを代表するものであると評している。
マニエリスムとシュルレアリスムを共通したものとして捉える考え方は、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』が思い浮かぶが、ホッケの『迷宮としての世界』が出版されたのは1957年で、バタイユの『エロスの涙』が1961年に出版されているので時代的には被っている(ちなみにバタイユ は62年に亡くなっているので遺作である)。
ここらへん、ホッケとバタイユは恐らく面識はないと思われるが、共通のテーマを抱えていた可能性がある。
バタイユは『迷宮としての世界』を読んでいたのだろうか。
高山えい子さんのTwitterから引用......、江澤健一郎『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』の注釈の孫引き......になるが、このように書かれている
バタイユは、パトリック・ヴァルドベルグ宛の1958年7月8日付けの書簡で、〈ホッケの本を1冊手に入れられないだろうか。そのテーマについての長い研究書を出版したいんだ〉と書いているので、…『迷宮としての世界』を読んでいた可能性がある。
江澤氏によれば、この長い研究書が縮小されて、『エロスの涙』におさまった可能性があるそうだ。