『迷宮としての世界』
マニエリスムという用語を時代的限定から解放し、あらゆる時代に現れる意識としてとらえ直したものである。
1957年に、ドイツのジャーナリストで文筆家のグスタフ・ルネ・ホッケによって発表された著作。1950-70年代かけて盛んに研究されたマニエリスム研究の先駆であり、その基礎を築いた文献である。そもそもマニエリスムが、独立した美術様式として見なされはじめたのは18世紀末のことである。それを美術史研究の文脈で発見し、言及したのはハインリヒ・ヴェルフリンであった。ヴェルフリンが1898年に発表した『古典美術』においてマニエリスムの概念が登場し、続くアロイス・リーグルが1908年に発表した『ローマにおけるバロック芸術の生成』において触れられている。ただし、いずれにおいてもマニエリスムは蔑称として用いられ、貶められた美術様式として扱われた。しかし1920年代に入ると、マックス・ドヴォルシャックやエルンスト・ローベルト・クルティウスらの研究により、マニエリスムは突如として復権を果たす。それは大衆社会の唯物主義に対する批判として展開されているが、これには両大戦後の政治的、社会的混迷という時代背景がマニエリスムの生じた状況と似通っているため、混沌とした時代にこの概念が「求められた」のではないかと指摘されている。このクルティウスによるマニエリスム概念についての研究は、その著作『ヨーロッパ文学とラテン的中世』に見られるように文芸の分野に留まっている。このクルティウスの概念を引き継ぎ、美術史の文脈で再度マニエリスムを説いたのがホッケによる本著である。しかしながらホッケ自身述べているように、『迷宮としての世界』はマニエリスムに関する美術史研究を淡々と記したタイプのものではなく、マニエリスムというレンズを通してあらゆる時代の美術(例えばシュルレアリスムなど)を見つめ直したものである。この点において、本著は美術史におけるマニエリスム研究の要であるだけでなく、美術批評、美術鑑賞などにおいて「美術の見方」を提供する役割までも併せ持っていると言えよう。