ところで、このアプリオリの解説って正しいと思いますか?
個人的には正しいような気がするのですが、思ったことが三つあります。
一つ目は『純粋理性批判』(以下『純理』)の中でカント自身がアプリオリの例を示していたような気がするということ。二つ目は、同じく『純理』で、アプリオリとはまた別に「外的対象がみんな空間的なものである」ことの証明がされていたような気がするということ。うろ覚えなのですが、確か色や重さなどの対象の性質を一つずつ取り除く想像をしていっても、対象が占めていた空間を取り除くことはできない(= 対象に空間的要素は必然的に備わっている)……みたいな証明だった気がします。上二つについては『純理』のどこだったか気が向いた時に探してみます。 三つ目は、今クリプキの『名指しと必然性』を読んでいるのですが、そこでは「独身者は未婚である」という例が出ていました。これは「分析的言明(『純理』では「分析判断」)」ですが、このような主語の概念にすでに含まれているものを述語にした判断は「アプリオリ」なものになると思われます。 そして自分が思うに「男子トイレ」の例もこの「分析判断」の一種のような気がします。「男子トイレ」は「(基本的には)男子のみが入るトイレ」ですから、「男子トイレにいる人はみんな男だ」というのは「男子のみが入るトイレにいる人はみんな男だ」ということであり、これは「独身である人はみんな未婚である」とほぼ同じ気がします。ただすでに仰られているように、「男子トイレ」の例の場合は例外が考えられますが。