『老子』の周辺情報の一部
※以下は岩波文庫版の解説による。
老子という人物が実在したかすら定かではないが、『老子道徳経』と呼ばれる書物の書き手が一人もしくは複数人存在したことは確からしい。 前漢の司馬遷が書いた『史記』の「老子伝」でも一人の人物に絞りきれておらず、候補者の三人の伝記を記しているという。 1番有力なのが老耼(ろうたん)、他に老萊子(ろうらいし)、秦の献公と同時代人で周の太史儋(たいしたん)
また司馬遷は「老子とは隠君子である」とまとめており、岩波文庫の解説では「隠君子とは、世を避けて出仕しない知識人というほどの意味であり、そうした立場から世の中のさまざまなことを批判した人物が、かつて一人あるいは複数存在し、それがいつしか老子という人物像に凝縮されたのであろう。」としている。
『史記』の老子伝や『荘子』「天地」篇などには孔子の同時代人で先輩として描かれているが、文献学的にはこれらは神話的な伝記であって、岩波文庫の解説には「もし老子が実在したとしても、『老子』に見える思想内容から考えると、孔子の先輩どころか、だいぶ後になって活動した人物に違いない。」としている。 実際、『老子道徳経』には「儒家思想を批判した章がかなりあり、儒家思想が有力であった時代に、それに与さない立場の人の著作であることが分かる。」
出土資料としては、郭店一号楚墓から出土した残簡(郭店楚簡)が最古である。それに次ぐものとして馬王堆漢墓から出土した2種類の帛書(『老子帛書』甲・乙)がある。甲本は劉邦の「邦」を避諱しておらず、漢以前のものである。いっぽう乙本の方は破損が少ない。 出土以来、中国国内で解読の研究が行なわれ、その成果は一九九八年五月に文物出版社から『郭店楚墓竹簡』として出版され、広く公開された。その書物の中に『老子』の図版と釈文・注釈が収められ、現在、世界中でその研究が進行中である。本書でも、その成果の一部を参考にした。(『老子』岩波文庫の解説)