『モナドロジー』の43
『モナドロジー』の42
『モナドロジー』の44
久住哲.icon
「神の悟性」という言葉がここで何の断りもなく導入されている。
モナドには表象と欲求があるので、それを人格的なものと見なしても全くおかしくはない。
表象→『モナドロジー』の14
欲求→『モナドロジー』の15
精神→『モナドロジー』の29
ここでは人格神が前提されている。『モナドロジー』の37までは論理的だが、その後では神の人格が前提されており、この前提から色々なことが言われている。
神はexistentiaの源泉であるのみならず、essentiaの源泉でもある。
神は泉のようなものだということは『モナドロジー』の38で言われている。