『モナドロジー』の21
久住哲.icon
不思議だなと思うことがある
頭がぼんやりしている状態を「微小な表象ばかりで、きわだった表象がない」と言っている。
最初の印象は
1つのモナドが1つの表象持っている
その表象は多(周囲の外的物体などか)を表現=反映している
しかしこの節では
「une grande multitude de petites perceptions(沢山の微小表象)」と言われている
こういった状態の例として、ライプニッツはぐるぐるバットをしたときみたいな状態を想定している たしかに、人間は複合体であり、複合体は「モナドの集まり」だから、この複合体のうちに複数の単一体があるんだろうな……ということは予想できる。例えば、人間のうちの細胞も単一な実体であるのだろう。この細胞は、人間の有機体の一部になっている。そして、この有機体は有機体でまたモナドを持っているだろう。なので、人間のうちに複数の表象があると言われても、理解は可能である(想像はできない)。だが、ここではそのようなことが言われているとは思われない。