『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の中にあるデマ
友人が
https://www.youtube.com/watch?v=6xTuALz33u8
友人は何回か見てるらしいが、今まで気づかなかったちょっと気になる場面があったらしい
作中で、中年夫妻の片割れのクーパーという男性が、舞台である民家に逃げてくる前にゾンビに襲われた話をするのだが、彼は「ゾンビがトラックに追いついた」という話をするのである。現代のゾンビなら結構走るのでトラックに追いついたりするのだが、この1968年に作られたロメロのゾンビは、決して走ったりせず、のろのろ歩くという特徴がある。ロメロの描いた設定でもそうなっている。なので、この「ゾンビがトラックに追いついた」という発言は矛盾があると言うのだ。
この矛盾について友人は知り合いのゾンビ映画研究家に尋ねたらしいが、終始無言を貫かれたとのこと。 この疑問に対して僕はこう答えた。
この映画は、ゾンビと言う正体不明の存在に怯えるパニック映画である。人々は伝聞やテレビやラジオの情報を頼りに、ゾンビの特性を把握していく。しかしこの世間から発せられる情報にはいくつか誤りというか、デマも含まれているのではないだろうか。現実でいうと様々なデマが横行した初期のコロナパンデミックのような話だ。つまり、クーパーの「ゾンビがトラックに追いついた」という伝聞はゾンビに襲われパニック状態であった彼が錯覚した誤った情報ではないだろうか。
つまり、ロメロは作中でゾンビの正体について、微妙に虚偽の情報を含ませながら描いているのではないかということである。
情報のみを鵜呑みにせず、その存在に対峙し、実践的にたちむかわねばその脅威は振り払えないーーそういうことを表現しているのではないか。実際に登場人物たちはゾンビに様々なやり方を実践しながら対策していくのである。
いや、「ロメロの単なるミスだろw」という意見もあるかもしれない。僕もその確率は高いと思うが、ロメロがゾンビ映画に社会批判を含ませているのは確かだ。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の人間らしき存在が人間を襲うという構図は、本当の脅威は、人間社会にこそ潜んでいるということを観客に想像させる仕組みになっている。ゾンビの不気味さは、知らない人間の不気味さである(例えばアメリカなら特定の人種が、異人種に対する無知なる恐怖から保守的になり、差別するということもあるだろう)。
人間同士も実際に向き合ってみなければわからないことばかりだろう。情報化社会において、みんな顔を突き合わさず様々な情報やデマのみを鵜呑みにし、それぞれに向き合ってガチンコやりあってないみたいな話