『セルバンテスまたは読みの批判』
帯文
《書物というものは作者の意図をはるかに越えたものになる。作者の意図といっても、しょせんそれは誤謬を孕んだものでしかない。しかし、書物にはそれ以上の何かがある》
表紙文
セルバンテスとジョイスの間に三世紀の隔たりはあるものの、彼らの言葉は小説の最初の言葉だ。彼らにあっては、みずからと葛藤している社会の叙事詩はまた、みずからと葛藤している言語の反叙事詩である。彼らにあっては、言葉の目的地はその起点であり、言葉の起点がその目的地である。そして十七世紀から今日にいたる小説のサイクルを開き、そして閉ざす書物の最初の言葉は、そうした葛藤を克服する、なぜなら、そのみずからのページの中で創造の批判を定着させるからである。みずからの書物の犠牲者であり、その死刑執行人である二人は、瀕死の秩序と生まれつつある冒険にまたがっている。 現代メキシコ最大の小説家が、近代的な意味における《小説》そのものの創始者にしてその変革者セルバンテスを、その時代的文脈において、そしてとりわけジョイスを初めとする現代の文学的冒険との関連において論じるとともに、読むこと₌書くことの根源的な批判を企図した、極めて今日的なセルバンテス論の白眉。