識学講義から見るアープラ運用論(21/10/18VC)
識学講義メモの内容は、主には会社、競争社会における組織のマネジメント論であるが、“コミュニティ”という言葉が度々出てくる。 元動画における講義相手、株式会社NEETは、実態的には“究極の多様性を求めたコミュニティ”であり、一般的なピラミッド型の組織とは違ったものであるように見受けられる。
ピラミッド型ではないコミュニティへの組織マネジメント論として、同じくピラミッド型ではないコミュニティとして参考にできることはないだろうか。というところである。
軸は「関係は有益性の交換」と「尺度(スケール)を合わせるルール作り」
有益性について
1.アープラの理念
コミュニティの掲げる理念
基本理念、行動規範、絶対規則がある
一番大きい理念は「Gather & Mix」
1. 思想哲学文学芸術を好きな人があつまれる場所をつくる。
2. 各分野の知識がいいかげんに交流する場をオンラインにつくる。
少数派である価値観の人が集まれるコミュニティ
これらは内側(メンバー)に向けた有益性の提示である。
2.コミュニティとメンバーの有益性交換
メンバーは理念を参照して入ってくる
期待される有益性は集合と交流
他では話せないこと、多様な考えを受け入れてくれるため、ここでなら話せる:許容、集合
一つの投稿をすると濃い投稿が何種類かの角度から飛んでくる:考察、交流
メンバー個々人が許容と考察を行うことでコミュニティに有益性を返すことができる。
メンバーが行う有益性とコミュニティ(他メンバー)が返す有益性のバランスが取れないと、離れていく
これだけやっているのに、他からは意見が返ってこないじゃないか、という感覚
それをするコアなメンバーが離れていくと、バランスは崩れ、離散は加速する。
3.所属意識による過疎感の解消
これを覆すには、所属しているだけで有益性があればいい
所属意識が高ければアープラの評価が上がる=自己評価が上がる
よってアープラがよりよくなる(評価が上がる)ように行動するはず。
みんなで同じことをしている感、連帯意識が高まる。
案として以下
知識、意見などが出されたときに褒める
話し合いが終わるたびに礼・感謝を述べる
いついかなるときも挨拶は「あ~ぷら~」にする
一週間に一回スタンプを押しにくる
「何を答えても入会する面接」によってハードルを設ける
これらを歓迎BOTの文に追加するだけで制定はできる
ただし、姿勢ルールの制定は実質的には難しい。多様性を守ろうとするほどペナルティが緩くなり意味がなくなる。
4.外部へ提供する有益性
そもそも今までは外部への有益性がなかったため、外部からの“アープラの評価”が存在していない。
よって所属しがいがなく、変化も少なかった。だから離れていくとも考えられる。
もっと外部へ“アープラ”というコミュニティとして有益性を提供するのはどうか。
これを行うと、コミュニティ存続の2条件が担保される
何をする組織か? → 集まり、交流し、発信する知的組織
外部への有益性 → 知識を使った質問への深い回答
組織と個人の尺度の一致
5.アープラが持つ尺度
行動規範は“このような価値観を持ってほしい”という、組織の尺度である。 これは絶対的な完全結果の目標ではなく、価値観体系。不完全結果の指針と言える。
不完全結果を目標として置くと、破ったかどうかで度々個別調整が必要になるし、ペナルティも変わるため使いづらい。
よってこの行動規範を一意に解釈し、“絶対的”なものとして運用するのが管理人独裁だと考えられる。
管理人は絶対規則に反さない限りにおいて、行動規範を解釈したり、新たな尺度をアープラに追加出来る。
6.多様性の担保による問題
アープラは理念より、孤立しやすい少数派を交流させるものである。
しかし、ニワカを排除しないコミュニティや、多様性を担保することによって尺度がばらつきやすい。
また、尺度をある程度統一する方法として面接があるが、これは適さない。
適当な面接を行うより、とりあえず入れてみて問題があったら弾く方がコストが安い。
コア層の話はライト層がついていけず、ライト層の話はコア層にとってつまらない。
同じ場であればあるほど対立構造や溝が浮き彫りになる。
メンバーが分化した状態では、不満を呼び、心理的安全性を欠き、衰退していく。
そうならないように、完全な分化(ズレ)を避けなければならない。
7.ライト層とコア層、多様な尺度を住み分ける
活性化の一案として、分野自由を混沌とした議論の場とする。
具体的には新参・ライト層が、あらゆる議論を行う場として再定義する。
専門サロンを専門的なコア層の住処として再定義する。
分野自由で分野に深く踏み入った話を行った人が専門サロンを案内される形。
これにより、多様性のある同じ場ではあるものの、チャンネル毎に尺度が揃っていくのではないか。
ある程度の断絶が、かえってゆるくつながるという理念に合う。