西洋哲学史:ギリシャ哲学(エピクロス派)
エピクロス派はヘレニズム期のエピクロスに影響を受けた学派。
魂から苦悩を取り去り、「平静な心境(アタラクシア)」を追求した。快楽主義思想。 創始者
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サモス島出身のアテナイ人
前322年18歳のエピクロスは兵役のためにアテナイに上り2年間を過ごし、その際アカデメイアのクセノクラテスの講義やリュケイオンのテオプラストスの講義を聴いたとされる。 その後家族の移住先であるコロポンを中心に、ロドス島のパリパトス派のプラクシパネスや、テオスのデモクリトス派のナウシパネスの門下に学ぶ。 前311年ごろまずレスボス島のミュティレネーで、翌年にはランプサコスでエピクロスは自身の学校を開く。
ミュティレネーでは現地の哲学者や住民の反撥が強く短期間で閉鎖したが、エピクロスの没後に学園の指導を引き受けたヘルマルコスという弟子を得る。
またランプサコスでは第二のエピクロスと呼ばれたメトロドロス、ポリュアイノス、イドメネウス、レオンテウスとその妻テミスタ、コロテスなど生涯彼に付き従った弟子を得た。
前307年、35歳のときエピクロスは弟子数人とランプサコスからアテナイに移り、市街地から少し離れたところに庭付きの小さな家を購入して、そこで共同生活を始める。
やがてエピクロスの思想に共感した人びとが各地から集まり、心の平安を求めて哲学を研究するサークルが庭園内に形成されるようになる。
ストアの学徒たちが「柱廊の人びと」と呼ばれたように、彼らは「庭園出の人びと」と呼ばれた。
学園の聴講者の中には遊女や奴隷もいたといわれる。
有名な遊女にレオンティオンがいる。このことが原因で学園はしばしば人々の邪推の対象となり、論敵から「エピクロスの豚」という誹謗中傷を受けることもあった。
エピクロスは後半生のほとんどをアテナイの学園で過ごし、公の場へ出て行くことも、公衆の面前で演説することもなかった。
「隠れて生きよ」というのが生活のモットーだった。
情念や野心や妄想から解放された晴朗で平静な心境であるアタラクシアを追求し、パンと水を常食とした極めて質素な生活を送り72歳で生涯を閉じた。
学園を継承したヘルマルコスのあとも学派は長く続いた。
ヘルマルコス⇨ポリュストラトス⇨ディオニュシオス⇨バシレイデス⇨アポロドロス(「庭園の僭主」と呼ばれた)などカエサルの時代までに学頭は14人にのぼった。
前2世紀にはエピクロスの思想は地中海地域全域に広がり、ローマでは前1世紀に大きな流行をみせた。
ローマにおける主なエピクロス主義者は「微証について」を著したピロデモスや詩人のルクレティウスがいた。
特にルクレティウスの著書である「事物の本性について」はエピクロスの著書(300以上あった)がほとんど散逸してしまっている今日、エピクロスの学説を確認するうえで重要な典拠となっている。
また遺っている著作としては「ヘロドトス宛書簡」「ピュトクレス宛書簡」「メノイケウス宛書簡」の3つの書簡と「主要教説」がディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』の第十巻に保存されている。
学説
エピクロス派の学説は規準論、自然学、倫理学の三つに区分される。
規準論
エピクロスは全ての判断の真偽は感覚(アイステーシス)を最終の標識とした。 感覚は明証的であり全て真であり、感覚の明証性(真理性)は何ものにも反駁されることはなく、また何らの正当づけも必要としないという。
感覚の明証性が全ての表象の基礎であり、真理の最終の標識である。
プロレープシスというのは同じ感覚が繰り返されることによって心の中に形成された普遍的観念または概念である。
例えばりんごを何度か知覚すれば、自然とりんごが心の中に記憶され、そのことによって「りんご」という観念や図式が形成される。
そして今度は逆に「りんご」という言葉が発せられるとりんごの姿を思い浮かべるようになる。
この心中に形成された観念、図式が先取的観念(プロレープシス)であり、このプロレープシスも感覚に基づくものであるため明証的であり、真理の標識である。
また、真か偽かという問いは判断または想定においてはじめて生じる問題である。
判断は確証されれば真であり、逆証されれば偽である。
たとえば遠くから「あの塔は丸い」と判断したとして、近づいてみてそれが実際に丸ければその判断は確証されたことになり、したがって真であるが、四角であることが判明すれば、逆証されたことになり、したがって偽である。
近づいて確証されるまでは「塔が丸い」という判断の真偽は不明であり、「確証の期待されるもの」と呼ばれる。
確証される場合だけでなく、逆証されない場合もまた命題は真とされるべきであるとエピクロスは考えた。
無逆証とは不明なものが明瞭な現象によって逆証されないこという。
空虚の存在は何ものによっても確証されないが、同時に何ものによっても逆証されない。むしろ運動という明瞭な現象が存在する以上、その条件として必然的に想定されるものである。そのため空虚が存在するという命題は、感覚によっては確証されないが、明瞭な現象によって逆証もされないがゆえに、真とされた。
感情のもまた真理の標識であるという。感情とはわたしたちの中に生じた受動的情態であり、快か苦である。
快は生物の本性に合致した感情(パトス)であり、苦は合致しない感情(パトス)である。 したがって感情が行為の規準であり、物度との選択と忌避は快と苦という2つの感情に基づいてなされる。
以上の感覚(アイステーシス)、先取的観念(プロレープシス)、感情(パトス)の他に、「思考の表象的な直覚的把握」も真理の標識に数えたとディオゲネス・ラエルティオスは報告しているが、それが具体的に何を意味するかはテキストが少なく不明瞭である。 おそらく感覚の直接的な明証性がなくても思考のみで確信に達する把握のことではないかと想像される。
自然学
原子論
エピクロスの自然哲学はデモクリトスの原子論哲学を下敷きにしている。 デモクリトスと同様にそれ以上分割し得ない最小の粒子である原子と、原子が運動する空虚を宇宙の基本要素とする。
原子は数において無限であり、空虚もその広がりにおいて無限であるとエピクロスは考えた。
そのためこれもデモクリトスと同様に世界は無数にあると主張した。なぜなら原子の数も空虚の広がりも無限である以上、世界を一つに限る理由がないからである。
そしてある世界はわたしたちの世界に似ているが、ある世界は似ていないという。エピクロスは自分の世界を唯一無比とは考えなかった。
また世界と世界のあいだは中間世界と呼ばれ、そこは新たな世界の誕生するところであり、神々が住んでいるという。
全ての事物は原子の結合からできている合成体であり、それらは分解してまた元の原子に戻っていく。
「何ものも有らぬものから生じることはないし、また有らぬものに消滅していくこともない」というのがエピクロス派の自然哲学の原則である。
一般にギリシャ世界では「無からの創造」というヘブライ的観念はなかった。
デモクリトスとレウキッポスは原子はそれぞれ異なった大きさと形を持つとしたが、エピクロスはこれに重さを原子の固有の特性として加えた。 原子に固有の重さを帰属させた結果、エピクロスは原子の元初運動を垂直の落下運動と考えた。
アリストテレスが重い物体の落下は軽いものに比べて速く、また空虚中では物体の運動速度は無限大になるがゆえに空虚は存在しないと考えていたのに対し、エピクロスは原子の運動は始まりといったものはなく、何ものの衝突も受けずに空虚中を運動するときは原子は雨滴のように、大きさや形、重さに関係なく等速で落下すると考えた。 また原子の速さは極めて高速であり、どのような距離もこちらが考えるよりも速く通過してしまうという。
偏倚
原子は等速で垂直に落下するが、ある不定の瞬間、不定の場所で原子の落下運動にわずかな偏りが生じるという。
その結果、原子間に衝突が起き、それによって気体や液体、固体状の諸物が生成されるというのがエピクロス派の事物生成論である。
この偏倚(パレンクリシス)の考え方は、それが突然の偶然を自然に導入するものであるため、当初から多くの議論を呼んだ。
自然の過程は全て原因によって機械的・必然的に決定されていくというレウキッポス及びデモクリトスの原子論は倫理的観点においては決定論、宿命論につながるが、エピクロスはそこに偶然を自然に導入することによって必然性を退け、宿命の連鎖から魂を解放し、意思に自由を保証しようとした。
宿命論という深刻な世界観をもっと気楽なものに変えたのだ。
空虚と原子の合成体である事物以外に自体的といえるような実存は存在せず、空虚と事物以外は、事物に恒常的に所属する本属性か、事物にたまたま付帯する偶発性(シュンプトーマ)であるという。
エピクロスが挙げる本属性の例としては形や色、大きさなどがあり、偶発性は奴隷と自由、貧困と裕福、戦争と平和などがある。
また時間も偶発性の一つと考えられた。エピクロスにとって時間は空間と異なり、世界の実在を構成する原理ではなかった。
たとえば奴隷状態は一つの偶発性だが、その状態が長いか短いかもまた一つの偶発性である。そのためエピクロスは時間を「偶発性の偶発性」と呼んだ。
魂(プシュケー)
エピクロスは魂も原子の合成体であると考えた。それは微細な部分から構成され、全ての組織に分散しており、熱をある割合で含んだ気息に似た物体であるという。この気息と熱の他に空気(アエル)と「全く名称を受け取っていない」第四の元素を加えた四つの構成要素から魂はなる。第四の元素を加えたのは気息、熱、空気だけでは感覚を作り出すのに不十分と考えたためのようである。
またエピクロスは魂を可死であると考えた。魂は身体によって囲み保たれているが、身体が分解すれば囲むものがなくなるため魂もまた分散してしまう。このように魂も可死であるとはっきり説いた哲学はエピクロス以外にギリシャには存在しなかった。
エピクロスは「死はわれわれに係わりない。なぜならわれわれが生きている間は死はまだ訪れていないし、死が訪れた時にはわれわれはもはやいないのだから」と言い、この思想によってエピクロスは死への恐怖から人びとを解放しうると信じた。
またエピクロスは神によって運命が左右されるのも杞憂であると説いた。なぜなら神々は「不死にして至福の生命体」であり、中間世界でひとり至福を楽しむのであり、人間界のことなど神々の関知するところではないためである。
以上のようにエピクロスの自然哲学は、魂を不安から解放し平静な心境(アタラクシア)を実現するためのものであった。
倫理学
エピクロスは幸福こそが人生の目的であると言う。
そして彼が考えた幸福の中身とは快であり、われわれが徳を求めるのは徳そのもののためではなく、それがもたらす快であり「快こそが祝福ある生の始めであり、終わり(目的)である」(「メノイケウス宛書簡」)と主張した。
快が「第一の生まれながらの善」であり、苦が唯一の悪であって、選択と忌避は全て快・苦を規準としてなされる。
いきものが生まれるとすぐに快に喜びを感じ、苦しみに対して理由もなく反撥する事実からこれは明らかなことであると説く。
そのためエピクロスの説く実践哲学はできるだけ純粋に快の状態に保ち、不快を細心に避けることを目指したものになった。
エピクロスの思想が快楽主義といわれるゆえんである。
同じく快楽を求めた小ソクラテス学派のキュレネ派のアリスティッポスのいう快楽が身体的、享楽的な積極的快、「運動における快」だったのに対し、エピクロスの求めた快は「静止的な快」、身体において苦痛なく、魂において煩いがないという消極的な状態であった。
身体的快楽が善ではないということではなく、身体的快楽はたいてい瞬間的、刹那的でありかえってその何倍もの不快をもたらす。
一方精神的な快はより純粋・持続的であるため、前者の快をそれがもたらす不快のゆえに退け、より純粋で混ざりけのない生涯にわたる永続的な快を追求すべきと説いた。
しかし快や欲求の最も基本的なものは身体的であり、「一切の善の始めであり、根っこであるのは胃袋の快である(断片2−59)」ともいい、この基本的な身体的欲求を充足せずにしては、平静な心境(アタラクシア)の獲得などなり得ない。
この見地からエピクロスはキュニコス派が実践したような極端な禁欲主義や苦行を反自然的であり無意味であると退けた。 質素にも限度があるのであって、極端な質素は過度に贅沢を求める人と同じく過つという。
エピクロスは欲求を3つに区別し、衣食住など必須な欲求を「自然的で必須なもの」、贅沢な食事や過度な飲酒など充足されなくとも特に苦しむことのない欲求を「自然的だが、必須でないもの」、富、地位、名声など直接生存に係わらない欲求を「自然的でも必須でもないもの」とした。
この「自然的だが必須でない欲求」「自然的でも必須でもない欲求」が虚しいドクサであることをエピクロスは繰り返し説き、「足るを知る」ことが幸福に至る必須の知恵であり、この自足こそが最大の富であるといった。
「飢えない、乾かない、寒くないが肉体の要求であり、これを満たせば人はゼウスとさえ幸福を競いうるだろう(断片1-33)」
これに反してわずかなもので十分と思わない者にとって十分なものは何もなく、際限なく欲求する。
欲望に対する虚しいドクサから解放され、もはやそれによって煩わされることのない平静で澄明な心境が「アタラクシア」であり、エピクロスの勧めは全てこのアタラクシアを目指して説かれた。
「神々については敬虔な考えを持ち、死に対しても恐怖を抱かず、人生の目的が快であることを省察し、善の限度は身体において苦痛なく、魂において煩いのないことであることを、しかもそれは容易に獲得されるものであることを正しく認識して、空しい想いをいたずらに追うことなく、また悪いことの限度は時間的にも苦痛の点でもわずかであることを知って肉体の苦しみにいたずらに恐怖することもなく、一部の人びとが万物の主として導入している宿命はこれを笑い、自由にこの生を楽しむ人、このような人以上に優れた人を誰か考えることができるだろうか」(「メノウクス宛書簡」)
エピクロスは正義をプラグマティックな観点でしか捉えていない。
「正義はそれ自体である何かなのではない。それはむしろどんな場合にせよ、人間の相互的な交通の際に互いに加害したり加害されたりしないことに関して結ばれる一種の契約である。」(「主要教説」)
不正を犯しながら発覚しないという確証を得ることは不可能であり、不正を犯した者は心の動揺を免れることはない。
それゆえ正義は安全をより確かなものとし、煩いを避ける知恵の一つである。
社会的な関わりの中で生きる限り真の安らぎを得ることは難しい。そのためエピクロスは「人々からの損なわれることのない安全は煩いごとを排除しうる何らかの工夫によってもある程度まで得られるけれども、その最も純粋な源泉は多くの人びとから逃れた平穏な生活から生まれる安全である(「主要教説」)」と言い「われわれは日常の私事や国事の牢獄からわれわれ自身を解放すべきである(断片1-58)」「隠れて生きよ(断片2-86)」と勧めた。
エピクロスは少数の親しい人びととの交友を愛した。エピクロスの庭園はまさにそういった友愛の空間であり、彼は「友情は皆それ自身のゆえに望ましい(断片1-23)」といっている。
エピクロスの実践哲学は極めて私的な真理を追求した哲学であり、公的な生活を重んじるキケロやセネカはエピクロス哲学に嫌悪を示している。
またエピクロス派はヘレニズム期の哲学でありながら、マギ的世界からの影響を感じさせない「純粋なギリシャ哲学」であることはストア派と際立った対象をなしている。