梶井基次郎『檸檬』収録「同時代人の回想」
『檸檬(角川文庫)』による。
三好達治によると、梶井は最後の短編「のんきな患者」の時点で、「僕はまだ小説は書けていないんだ」と言っていた。
萩原朔太郎
萩原朔太郎は梶井基次郎の『檸檬』を読んで、はじめて日本における「文学」の実存観念を発見したという。萩原曰く、「檸檬」の作品は、小説というよりは散文詩の範疇に属すべきものであるとしながら、すべての文学を通じて普遍さるべき、絶対根本の精神が表れている。 僕は考える。文学の条件すべき要素は、単なる理智でもなく、観照でもなく、またもとより、単なる感覚や趣味でもない。文学の新の本質は、生への動物的な激しい衝動(意志)に発足しており、かつその意志が、対象に向て切り込むところの、本質の比較解剖学的抽出でなければならない。すなわちゲーテの言うごとく、すべての文学者は、素質の詩人と素質の哲学者とを、性格において要素している人物でなければならぬ。そしてしかも、日本にはこうした文学者が少ないのである。 梶井基次郎君は、日本の現文壇においては、まれに見る真の本質的文学者であった。
彼は最も烈しい衝動によって創作するところの、真の情熱的詩人であって、しかもまた同時に、最も冷酷無情の目をもった二ヒリスチックの哲学者だった。彼は肉食獣の食慾で生活しつつ、一角獣の目をもって世界を見ていた。彼の病んで蝕んだ肉体は、常にその意志の烈しい衝動によって悩まされていた。そしてそこに、彼の作品の恐ろしい「歪力」が感じられる。……(『評論』昭一〇・九)
また梶井君とはわずかの交際だったとしながら、その正確にはドストエフスキーのような破倫性と病理学的憂鬱症とがあり、また一面ポオのような詩的浪漫性と聡明さとがあり、いちばん本質している人間的素質は、宗教的にさえも近いところの純情性であった、としている。