日本人は小型のものを愛する傾向がある
逆にルーベンスのような宗教的で壮大なバロック様式の大画面のものは敬遠される傾向にあると書かれている。 目を覆う圧倒的なスケールは、欧米の大美術館では映えるが、日本の狭い空間には合わない。そのため日本は、印象派やフェルメールのような小型の作品を好む傾向にある。そもそも日本は、中国絵画の古典となっている北宋の壮大な山水画を受容せず、それが部分的に切りとられて小型化した南宋の絵画ばかりを好み、室町時代以降の水墨画の模範としてきた。 大型の作品はなかなか日本に入ってこなかったという事情のほかに、小型のものを愛する日本人の美意識のゆえであるだろう。西洋美術においても、大画面を本領とするルーベンスの人気がふるわないのはそのせいであろう。
もちろんこれは傾向の話であって、あらゆる日本人がそうだという話ではないし、実証的に証明されている話でもない。しかし、日本には昔から小さいものを愛する美意識があることは四方田犬彦『「かわいい」論』にも書かれていた。 code:『枕草子』146段の一部(原文)
うつくしきもの。瓜にかぎたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひくる道に、いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる。いとうつくし。頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。
code:『枕草子』146段、四方田犬彦訳
かわいいもの。 メロンに歯を立てている子供の顔。雀の雛にむかって「チュッ、チュッ」と呼んでやると、こちらにピョンピョンやってくるところ。この雛を捕らえ、足を糸で括っておいたところに、親鳥が虫餌とかを与えにくるところ。三歳かそこらの子供が地面に落ちている小さな変なものを突然に見つけて駆け出すと、小さな指で摑みとり、大人のところにもってきて見せるさま。修道女のようにボブヘアーに身なりを整えた少女が、何かものを見つめるために髪を目からどけようとして、額を後ろへと擡げるさま。
本書を読むと、小さいだけが「かわいい」ものであるわけではないが、日本文化にはミニチュアールへの志向があるらしい。