『倶舎論』におけるこの世の大枠~有為法と無為法~
しかし、それら三元論には含まれない、更に別枠の法があるとされてもいる。
キリスト教やイスラム教ではそれらは彼らにとっての「神」であり、大乗仏教の密教における大日如来などもそういった存在だろう。
しかし、『倶舎論』では「この世に超越的な絶対存在などいない」というのが大前提である。
では『倶舎論』がいう別枠の法とは一体何かというと、それは「特別な働きをする超越的な神秘存在」とは真逆で、「絶対にいかなる作用もしないことが確定している存在」である。
例えば、仏道修行を完成して悟りを開いた者の精神内部における静謐さ。
このように煩悩の喧噪が完全に静まっており、再び起ってくる可能性も断ち切られている状態は「択滅(ちゃくめつ)」と呼ばれ、一個の独立した法として扱われる(「涅槃」と同義)。 択滅は物質でも精神でもエネルギーでもなくいかなる作用にも関わらない不活性な存在である。
このように、『倶舎論』ではこの世を「作用する可能性がない法」と「作用する可能性を持つ法」の二つに分け、前者を「無為法」、後者を「有為法」と呼んでいる。→無為法と有為法 この世の大方は有為法で形成され、有為法の変容によって動いており、一見したところでは有為法しかないように思えるのだが、この世をよくよく見れば「絶対に作用しない存在」として無為法があることに気がつくというわけなのだ。