『倶舎論』におけるこの世の大枠~有為法と無為法~
参考:『仏教は宇宙をどう見たか』
『倶舎論』ではこの世が物質、精神、エネルギーの三種の範疇に分けられており、基本的にはこの三種の相互作用でこの世のあらゆる現象が説明できるとしている。→『倶舎論』では三元論が採られている
しかし、それら三元論には含まれない、更に別枠の法があるとされてもいる。
キリスト教やイスラム教ではそれらは彼らにとっての「神」であり、大乗仏教の密教における大日如来などもそういった存在だろう。
しかし、『倶舎論』では「この世に超越的な絶対存在などいない」というのが大前提である。
では『倶舎論』がいう別枠の法とは一体何かというと、それは「特別な働きをする超越的な神秘存在」とは真逆で、「絶対にいかなる作用もしないことが確定している存在」である。
例えば、仏道修行を完成して悟りを開いた者の精神内部における静謐さ。
このように煩悩の喧噪が完全に静まっており、再び起ってくる可能性も断ち切られている状態は「択滅(ちゃくめつ)」と呼ばれ、一個の独立した法として扱われる(「涅槃」と同義)。
択滅は物質でも精神でもエネルギーでもなくいかなる作用にも関わらない不活性な存在である。
このように、『倶舎論』ではこの世を「作用する可能性がない法」と「作用する可能性を持つ法」の二つに分け、前者を「無為法」、後者を「有為法」と呼んでいる。→無為法と有為法
この世の大方は有為法で形成され、有為法の変容によって動いており、一見したところでは有為法しかないように思えるのだが、この世をよくよく見れば「絶対に作用しない存在」として無為法があることに気がつくというわけなのだ。
有為法は72の法で構成されており、物質(色)、精神(心・心所)、エネルギー(心不相応行)の三範疇に分けられる(→作用の可能性を持つ実在要素 ~有為法~)。
無為法は「択滅」と「非択滅」と「虚空」の3つで構成される(→いかなる作用もしない実在要素 ~無為法~)。
これらを合わせて「七十五法」という(→これが法のすべて ~五位七十五法~)。