本質を見出すためには、既知の事実としてある「AならばB」を疑うと良い?
原理って、ある事実「A ならば B」の成立理由を疑うことで見出せるケースが多い。 「AならばB」の証明を書くとは何か?
自明な事実「A'ならばB'」によって、AからBを導出する。 A ならば A1 ならば A2 ならば .... ならば An ならば B
自明の裁量は応用分野によって自由に決められる。
Bが一般的な概念ならBの原理?
ちょっとふわっとしている言い回し
「AならばB」という事実を利用して定義されるワードの原理かも。 意味が曖昧な用語を、別の明確な用語を用いて定義し直す。
必ずしもその事実の主張が正しくないこともある。
実は「A かつ C ならば B」だったとか
実は「A ならば B または C」だったとか
見直しになる。
A ならば D ならば Bだった かもしれない。
新しく見出したC, Dは、新しい条件
これって科学の考え方ではある気がする
でも、当たり前と言われるとふわふわしてるのでなんかもっと的確な言い回しはないのかと思う。 なぜふわふわしていると困るのか?
利用できる条件が少なく、導出できる事実も不確実, 少数なため
ここらへんは特に役に立つ気がする。