本質を見出すためには、既知の事実としてある「AならばB」を疑うと良い?
from ゲーム性の生まれる原理
原理/本質の見出すためには、既知の事実としてある「AならばB」を疑うと良い?
原理って、ある事実「A ならば B」の成立理由を疑うことで見出せるケースが多い。
基本的にそれは証明を書くことに等しい
「AならばB」の証明を書くとは何か?
(本質を見出すためには、既知の事実としてある「AならばB」を疑うと良い?)
自明な事実「A'ならばB'」によって、AからBを導出する。
A ならば A1 ならば A2 ならば .... ならば An ならば B
証明図
自明の裁量は応用分野によって自由に決められる。
定義が曖昧なことによる有用性
ここで見出せる原理って何の原理?
(未定義の言葉を発見して、定義し直す)
Bが一般的な概念ならBの原理?
ちょっとふわっとしている言い回し
「AならばB」という事実を利用して定義されるワードの原理かも。
未定義の言葉を発見して、定義し直すこともある。
意味が曖昧な用語を、別の明確な用語を用いて定義し直す。
ことラボリョウさんもやってること。
必ずしもその事実の主張が正しくないこともある。
実は「A かつ C ならば B」だったとか
実は「A ならば B または C」だったとか
見直しになる。
A ならば D ならば Bだった かもしれない。
新しく見出したC, Dは、新しい条件
条件が増えれば増えるほど連想しやすく考えやすい?
これって科学の考え方ではある気がする
よく言われる当たり前を疑うと言うのはこう言うことなのかも。
でも、当たり前と言われるとふわふわしてるのでなんかもっと的確な言い回しはないのかと思う。
なぜふわふわしていると困るのか?
利用できる条件が少なく、導出できる事実も不確実, 少数なため
条件が増えれば増えるほど連想しやすく考えやすい?
実際その生み出した問いに答える際に、大学数学の論理学, 集合論の考え方はとても役に立っていると思う
全称, 存在による最大値, 極小値の表現
関係の表現
組の相当性
ここらへんは特に役に立つ気がする。