TOEICは「英語」の試験ではない
TOEIC満点プレイヤーが行なっているのは、脳内に構築した大量のデータベースからの暴力的ソリューション
それは、もはや英語の試験であるとは言い難い。まさに「ただの作業」である
彼らがその境地に至るまでやってきたことは「膨大な暗記作業」“だけ”である
1つ1つの問題への「確信」を増やしていく
理由づけをして回答できるようになる問題を増やす
「自信の無い回答」を減らして行く
「自信のある回答」が90%以上になれば満点になる可能性も出てくる(リスニング)
「確信」の密度を上げていけば「満点確率」が徐々に上がっていく
だが、それがゲームとして楽しい。なぜならば、僕自身がTOEICの世界における秩序を体現した存在になっていくからである
故に、TOEICはただの【「できない」を「できる」ようにすればよいゲーム】である
「英語」が身につくのかというと、そんなことはない
TOEIC満点でも、そう簡単には話せない
TOEIC満点でも、単語を知らなければ英語の論文や洋書を読むのに苦労する
TOEIC満点でも、リアルの会話での英語を正確に聞き取るのは難しい
これらは、それら専用の回路をあたまの中に構築できていないからである
TOEICは、「英語」という広大な宇宙(マクロコスモス)に発生した小宇宙(ミクロコスモス)でしかない
ミクロコスモスの内部を完璧にしたところで、それはミクロコスモス止まりなのである
今後の人生のためのチュートリアルでもあり、
今後の目標達成のためのチュートリアルでもある
「TOEIC990点」という結果が重要なのではなく、「TOEIC990点を取るまでに体験する成長プロセス」こそが人生において重要なのである