「人間」の輪郭
私たちが自明のものとして捉えている「人間」という概念は、決して普遍的で固定的なものではありません。
その輪郭は、時代や文化、そしてテクノロジーによって、常に描き直されてきました。
人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明に過ぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ(中略)賭けてもいい、人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと
と述べています。
彼によれば、「人間」という概念は、18世紀末に西洋の知のあり方(エピステーメー)が大きく転換した際に「発明」されたものに過ぎません。 それ以前の世界では、人間は神や宇宙といった、より大きな秩序の一部として理解されていました。
人間を、知と労働と生命の中心に据えるような考え方は存在しなかった、と。 この挑発的な指摘は、私たちが「人間らしさ」と考えているものが、いかに歴史的な構築物であるかを示唆しています。例えば、
活版印刷は、「著者」という概念を生み出し、個人の思考が固定され、広く流通することを可能にしました。 これにより、内面性やオリジナリティといった、近代的な「人間」観が強化されました。
蒸気機関発明に始まる産業革命は、人間を自然のリズムから切り離し、「労働者」という新たなカテゴリーへと組み込みました。 時間は効率化の対象となり、人間の身体は生産性を測る機械へと変容しました。
かつて人間固有のものと考えられていた「言語」や「創造性」といった領域を、AIが模倣し、時には凌駕し始めています。 「画面の向こうの知性」が人間か否かを問うことは、もはやそれほど重要ではないのかもしれません。むしろ問われるべきは、この新しいテクノロジーとの関わりの中で、私たちがこれからどのような「人間」の姿を選び取り、そして構築していくのか、ということだと思います。
この問いは、「ボードゲームを遊ぶ中で、私たちが他者とどのような関係性を選び取り、構築していくのか?」という問いと、どこかで繋がっているのはではないかと思っています。