けテぶれからQNKSの導入へと繋げる。
けテぶれを導入する→学力上位層(けテぶれで100店を目指すという課題の難易度に不足がある層)に、QNKSの概念を伝え、「クラスのみんなには2学期から紹介しようと思ってるんだけど、君たちはけテぶれもとってもよくできているから、もう教えちゃうね!」といって、少人数に手渡し、それをけテぶれの「れ」において、QNKSの活用を促していく。
すると、全体導入の際、もうすでに知っている子が何人かいるため、ガイド役となって引っ張ってくれる。
このアプローチは「けテぶれ」でよく起こる「れ」をサボるという現象の解決策にもなる。
「れ」をやらない。にどう対応するか。
一つは、やらないなら、やらないでいい。という対応の方法。
けテぶれは100点を取るためにやるので、100点が取れるなら、当然「れ」をする必要も、更にはけテぶれ自体をする必要もなくなる。これは頭の半分では抑えておきたいところ。
ただしこれは文字通り頭の半分であり、これだけの発想でただほったらかしにするのは良くない。
「やりましょう」的アプローチ
何をやったらいいか分からない子に対して
これは単純に、その子に合いそうな方法を提案したり、けテぶれ通信で紹介したり、けテぶれ交流会を行ったり、といろいろなやり方がある。違う言い方をすれば「やりようがある」ということ。 もう100点を取れる子に対して。
こっちのほうが問題は根深い。頭の半分の認識と反対の考え方を教師が構築しておかないと、だらだらと「やらない」しか選択できなくなっていく。
そこで、提案したいのが「QNKS」との接続である。 その子が満足している「100点」とは、学校の小テストで100点レベルの知識を備えているという状態である。この状態は果たして、その子の人生レベルでみたときに満足できる状態であろうか?
「小学校の小テストで100点を取れる力は、その子の一生を支える資質能力が保証された状態といえるのであろうか?」
この問いにはなかなかYESとは言えない。
(このように役に立つかどうか、という視点で考えるのもいいし、楽しいかどうかで考えるのもいい。)
小学校の小テストで100点を取るという課題は特に勉強がよくできる子達にとっては簡単すぎて面白くない。
勉強の面白さとは、わからないことやできないことがわかったりできたりするときに生まれる。
つまりそういう子達にとって、勉強の面白さが感じられるのは小テスト程度の勉強の先にある。
これを体験してみないかい?という問い。
けテぶれの「れ」でQNKSを活用するというアイディア
ここで「れ」にQNKSを活用するというアイディアを紹介する。
特に前述の「すでに100点を取れる子」に対してのアプローチである。
有効な勉強法を調べると、その多くが「QNKSでええやん」と思えるような方法であることが多い。
それは「暗記」を目指す場合も「理解」を目指す場合も。
であるならば、けテぶれの「れ」はQNKSをする、と位置づけてしまってもそれほど悪いことはない。 特に理解度の高い子で、単純な暗記のための努力が必要ない子には、
テスト範囲の内容についてQNKSで自分でまとめる。ということをしてみたら!?とか、 けテぶれをする中で不思議に思ったことを「れ」で探究してみたら?とか。 こういう投げかけをする。
社会のテストの裏的に、単元末の評価テストにもそういうQNKS的な学びで培った力を発揮するチャンスを設けておけば、更にやる気が上がる。