なぜけテぶれの「れ」はサボりがちになるのか
けテぶれの「れ」はかなり自由度が高い。
計画は決められた範囲と決められたテスト日の中で思考するし、テストはその中で自分が決めた範囲について、問いてみて答え合わせをする。分析はそれを振り返る。
ここまではそこまで自由度が高くない。が、ここから「練習」で一気に自由度が上がる。 なぜなら練習は「計画、テスト、分析の中で見えた弱点を乗り越えるために頑張ろう」と言われているだけだから。
どんな方法も採用できる。けテぶれの構造としてはこの自由度の変化に面白みがあると思っている。
滑走路、滑走路、滑走路、からの離陸といった感じ。
はじめから自由だと飛び出せない。
ちゃんと地面に足がつく段階で、方向と勢いを付けると、自由な空に飛び立てる(学びの海の例えを使っておいてここで空を飛ぶ的なことを言うのがいやw) 自由度の高さが起こすポジティブな効果とネガティブな現象
絵を書いたり、語呂合わせをしたり・・・学ぶことの楽しみを見出していく。
ポジティブな面は上げればきりがないが、当然ネガティブな面もある。
ネガティブ面とは、「れ」をやらずにけテぶれを終えるという状態。
自由度が高い分、何をやればいいか分からないという状況になる可能性も高くなる。
何をやったらいいのかわからないということにならないように、計画テスト分析で方向を決めているし、サボり心がわかないように計画テスト分析で勢いをつけているわけだが、やはり「れ」を飛ばす現象は起こりがち。