学習ペースのちがいに応じた対応
遅い子は?
簡単に言えば、終わらなかったことは家でやって来ればいいのです。やり方はけテぶれ宿題革命に詳しく書きましたが、基本的には上の流れと同じことを言えでもやるだけです。けテぶれ子どもたちを自立した学習者に育てようとする実践ですので、けテぶれの仕組みをしればとりあえず、学校でも家でも同じように自分で学習をすすめる方法がわかってくるということです。つまり、けテぶれという概念をしっかり手渡した上で「残りは宿題でやっておいで」ということは、そういう概念を全く伝えずに、「残りは宿題!」ということとは、子どもたちが描くビジョンがかなり変わってくるはずです。
こういう構造をよりうまく機能させるためには、「宿題でやること」を決めてしまわないことをおすすめします。
例えば授業では教科書をやって、ドリルは宿題でやってきましょう、とすると、授業と宿題は別の学習のような印象を受けてしまいます。ですが本来はそうではありませんよね。授業でやっていることも、宿題で取り組むことも、全ては「その単元の内容を習得する」ためにやっているはずです。つまり、本来授業と宿題に内容的な切れ目はないはずなんです。教科書で内容を理解できたら、ドリルで活用してみるという流れを作るのなら、そのまま提示してあげればいいと思います。そうすれば、「残りは宿題」の印象も少し変わってくるのではないでしょうか。本来やるべきドリルに加えて、教科書も宿題に追加された…という印象ではなく、教科書→ドリルという流れの中で、いま自分はこのあたりにいるから、ゴールまで達するためにはあとここをやらなきゃいけないのだな。と。自分で判断できるようになると思うのです。
ロードマップを示してやること、その中で現在位置を意識させてやること、現在位置からの進み方を教えてやること、この3点が揃えば、遅い子も、自分のペースで学習をすすめられるようになります。
速い子は?
さて続いて、ササッと全問正解できてしまう早い子への対処法を考えていきましょう。実はこういう自由進度的な要素を学習に取り入れるとき、注意しなければならないのはこちらの子たちへの配慮だと思っています。ゆっくり理解していくタイプの子は、先程の3点さえ揃えば、自分のペースで進んでいけるのですが、早い子達はそうなりません。学習内容を早く終わらせてしまうので「やるべきこと」を失ってしまうのです。さらにこういう子達は、「テ」でも、わかっていることをただ再生しているだけですから、学習になっていない。け→テ→全問正解で終わってしまっては賢くなるチャンスを得ることができていないのです。その上、それが終わってしまえばやることがなくなってしまう。これは面白くないですよね。こういう状態を放置しておくと、この層の子たちが不満を募らせ、遊びだしたり学習に関係ないことをし始めたりしてしまいます。そういう姿を見つけて注意しようにも「だってやるべきことはちゃんとやってるし、その上でやることないんだもん」という言い分には説得力すらありますよね。この言い分に、「だからといって、人のじゃまをしてはいけません」という指導は当然必要ですが、それだけでは「じゃあ、何をすればいいんですか」という疑問に答えることにはなっていません。この層はここに困っているのですから、根本的な解決にはならないのですね。
この状態を解決するには、簡単に言えば「選択肢」を増やしてあげればいいのです。やることがなくて困っているのだから、やれることを示してやる。単純ですね。ただ、ここで色塗りや補充ブリントなど「やる意味のない課題(真正性の低い課題)」を強制してしまうのは全くの逆効果です。早く終わったら、また無駄なプリントが追加されるのなら、早く終わらせることすらしなくなりますよね。
では、真正性を保った上でやることを増やしていくにはどうすればいいのでしょうか。
増やし方のベクトルは大きく分けて2つに分けられます。
1つ目は、授業のペースを超えて学習を横に広げていくベクトルです。学びとはその日の学習範囲、教科書の〇〇ページの中に閉じ込められているわけではありませんよね。次のページをめくればまた新たな学びが詰まっていますし、教科書の外にだって、あらゆる学びが存在しています。教室は何かを学ぶ場所だとするのなら、本日の学習内容が終われば、その外側に出ていって更に学びを広げるということをしてもいいはずですよね。僕はこれを「横に広げる学習」と言っています。 最も単純なのは「明日の学習範囲もやっていいよ」とすることですね。もしくは、以前の学習内容を復習してもいい。学びは前にでも後ろにでも広げられます。これをすすめると「単元内自由進度」の練習のような感じになりますし、やろうと思えば教科の枠を取り払ったり、受験問題レベルの問題集をおいておいたりすることもできるでしょう。どこで行き止まりを作るか、は担任の先生の感覚で決められるといいと思います。ただし、どの範囲まで自由にしようと、必ず持っておきたい意識は、「なぜ、横に広げるのか」という問いに対する答えです。ただ単に、できる問題を探して、できるできる、とマルを付けていくだけでは、先程の練習問題をやっている状態と何も変わりありません。わかっていることを再生しているだけでは、成長の幅は狭い。成長のタネは「できない、わからない」という状況の中にあるのです。つまり「なぜ横に広げるのか」の答えは「できない、わからない」に出会うため、です。この意識は常に持たせてあげたいところです。「できないわからない」に出会ったら?それを分析して、練習ですね。これで初めて、「けテぶれ」が回った=学習が成立した。となるわけです。
2つ目は、内容をさらに理解しようと学習を縦に深めるするベクトルです。先程は学びはその日の学習範囲、教科書の〇〇ページに閉じ込められているわけではないという見方を示しましたが、その日の学習範囲にはその日の学習が詰まっていることも確かですよね。果たしてそれは、一度先生の話を聞いて、練習問題を問いてみた程度で完全に「学びきった」という状態になっているのでしょうか。その日の学習範囲をもっと深く理解することはできないのでしょうか。こう考えて、学びを深めていこうとするアプローチを「縦に深める学習」と言っています。 「学習の深度」や「学びの木」、「けテぶれマップ」といった理解の深さを測る指標を示し、解けるようになった問題は、その問題がなぜそのように解けるのかを図や表、文章を使って解説してみよう、と言っています。いきなり図表に書くことが難しい場合は、まず、友達に口で説明してみるのもいいでしょう。いざ口に出して問題を解説しようとすると、詰まってしまったり、理解が曖昧だったりする場所が見つかることがあります。それこそが「間違い=成長のタネ」ですよね。なぜできないのか、何が足りないのか、分析して、もう一度やってみる。そこで初めて図や表、文章にしてみる。これで「けテぶれ」が回った=学習が成立した。となりますね。 よく、わかった子は教えてあげましょうという指示を出しますが、その時も「自分はなぜ教えてあげようとしているのか」に意識的になってほしいと思っています。もちろん、「わからなくて困っている相手を助けてあげたい」という思いはあるのでしょうし、それはそれでものすごく素敵な動機なのですが、そこにもう一つの意識をプラスしてほしい。
それが「自分がわかっているつもりになっていること探す」という意識です。わかったつもりを探すには、わかっていると思っていることを誰かに話してみることがとても効果的です。そもそも、教える側もこの意識を持たないと、相手を深い理解に導く教え方はできませんよね。わからなくなってきたら、「ごめん!もう一回まとめ直す!」といって、分析練習に入るべきなのです。自分はわかっていても相手がわからなさそうにしているときも同じです。自分の理解の仕方を誰かに伝えるとは、ものすごく難しいことであり、ものすごく大切なことですよね。だからこのかかわり合いは丁寧にやらせてあげたいと思っています。 以上縦と横の2つのベクトルへの学習の広げ方は、文字通り「学習」を充実させるための「見方」です。「学習」とは答えのある問いに出会い、その答えを自分の頭の中に確実に定着させることだと捉えています。横に広げるベクトルでは、新たな問い(わからない、できないこと)に出会いやすく、縦に深めるベクトルでは出会った問いに対する答えを単純に暗記するという表面的な定着ではなく、その中にある理論まで確実に理解して自分の知識構造に位置づけられるということを狙いやすいのですね。縦と横のベクトルは、「学習(答えのある問いに出会い、その答えを自分の頭の中に確実に定着させること)」の構成要素を分解して、狙いを持って取り組みやすくするための「見方」なのです。
ですが知的な活動は答えのある問いに対する答えを確実に導き出せるようになることを目指して行うことばかりではありませんね。その先には「答えのない問いに対して自分なりの答えを探し求める」という段階があるはずです。変化の激しい現代社会では特にこの「探求的な知的活動」を行えるようになることが強く求められています。「探求」では、様々なアイディアを組み合わせたり、変化させたりしながら答えの可能性を探すことが求められます。これは「正しい答え」を確実に理解し、頭の中に定着させようとする学習よりももっと難しい知的活動です。私はよく知的な世界を海に例えますが、「学習」の海が内海なら、「探求」は外海にあるイメージです。内海ですら、縦と横に広く深かったのですが、探求の外海に出るとその広さも深さも更に大きなものとなります。もし「学習」の海に退屈している子が出てくれば、その海の先にある「探求の海」を少し泳がせてあげることもまたいいでしょう。次の章では「学習」から「探求」へ、無理なく子どもたちを連れて行くための考え方や、方法について紹介していきます。