プロジェクト管理における4つの世界観
あらためて、プロジェクトを考えると、そこに類型やパターンを見出そうとする行為は、非常に倒錯的である
なぜなら、そもそも類型やパターンとは、事例や実績を抽象化して得られた知識であるから
繰り返す通り、プロジェクトの本質とは「過去の知見が役に立たない状況」なのである
そこに「類型」を持ち込むのは、原理的に、極めて矛盾した話となってしまう
とはいえそれはあくまで原理的な話であり
実践的に考えるならば、一定程度の類型化は可能であるし
類型化によって見えてくるものもがある
そう考えて作ったのが、以下の「未知なる取り組みと、その進行管理手法の4類型」である
https://gyazo.com/1cb4f4b413a047ff026c2417521ba6a7
実は、この表を作ったあとで、これは一体なんだったのかと思っていたのだ
プロジェクトの「状況」の類型化なのか
「管理手法」の分類なのか
結論
これは「管理手法」の分類である
あらためて、ウォーターフォールとは何だったのか
相手方に、ゴールを定める主体がいる、ということである
そして、ゴールを達成するためのプロセスが描きやすい、ということである
このふたつの条件が定まっていたら
企画、要件定義、設計、製造、試験、検収、というお定まりの流れで物事は進捗する
その対比にあるのがアジャイルである
ゴールを自分が決めて良い活動であり
かつ、どうやってそれを達成するのかがよくわからない場合
アジャイルとして語られている方法論は非常に適している
「大きな夢を描く」「最低限の活動原資は確保しておく」「何度も回す」「ときに大きく軸を動かす」
しかし、我が国における企業社会は、実は、ウォーターフォールもアジャイルも、決定的に苦手であり
実はコンカレント型の進行手法こそ、得意としてきた
コンカレントとは
ウォーターフォールに似ているが、企画、要件定義等のプロセスを「重ねる」のである
つまり、前工程が終了するまえに、後工程を開始する
上流から下流までの関係者が緊密に連携し、すり合わせを行う
これは、ゴールを自分が決めてよく、実行プロセスもよくわかっている活動で力を発揮する
その最も成功した産業が「ものづくり」であった
コンカレントの、何が日本社会に適合したのか
要件定義を、「ぬるっとやり過ごせる」のである
ああかもしれない、こうかもしれない、やってみよう
やってみてから考え直そう、あがったものを見て、考えよう
「お約束」はあるが、みなまで言わない
実にハイコンテクストな意思疎通
ワイガヤしながら、みんなで同じ釜の飯を食い、一緒に苦労する
ムラ的な仕事の進め方である
おそらく、縄文的なDNAが稲作、都市化に適応する過程でコンカレントベースの社会が形成されたのであるが
その話をし始めると長くなるので、それはまた別の機会に
つまり
ゴールを勝手に決められない(ゴール設定に関与する主体者が複数いて、絞れない)
かつ、「どのようにしたら達成できるのかのプロセスが描けない」
このふたつの条件を満たしたとき、純プロジェクト状況が発生する
トライアド型の状況に、いかに対処すべきなのかを解き明かした汎用理論は、存在しない
もしかしたら、原理的に、存在し得ない
しかし、いくつかの指針は存在する
その指針を形式知化しよう、というのが、プロジェクト工学の最終的な目標なのである
以下に仮説的な見解を述べておく
第四類型の取り組みを成立させる最大の要素は認知戦である、ということになると思われる
つまり、その取り組みが結局のところ、誰と誰による、何を賭けた交渉なのかのフレームを提示し、各参加者からの支持を取り付けるか、である
フレーム設定に成功すれば、取り組み全体の部分部分は、第一〜三のいずれかの類型に移行する
さて