純プロジェクト状況
純プロジェクト状況とは
沈黙そのものであり
沈黙を受け容れ
沈黙に耐えること
そのうらはらの
饒舌さもまた
厭わないこと
そのことを考えるために、
吉増剛造氏と佐野元春氏の対談から
引用させていただきたいと思う
(NHK 達人達より)
これまでにあった、日本の場合ですと、短歌、和歌、川柳、俳句、小説、あらゆる芸道も含めて、あらゆる形あるものはもう滅びたことにしないといけない
そういうものに、自分の魂を
傾けるわけにはいかない
そういうふうに決断して
ヘボ道でもいい
それから
読者がいなくてもいい
聞き手がいなくてもいい
しかし
そういう表現の未知の大陸へ向かって
歩みださう
形がないかもしれない 途方もない
表現の大陸がある
普通アメリカと言われるのは
この大陸のことかもしれない
人が生きていっていい
大きな大きな 形にならない
「未完成の」といっていい
「未知の」といっていいものがある
これが
ギンズバーグの「HOWL」が
私たちに与えてくれた
ビートが与えてくれた
根幹みたいなものなんです
私がしようとしていることは
そうした形あるものを
まったく拒絶して
拒否して そして
形あるのものの取り残してきたような
断絶だとか亀裂とか空白とか沈黙とか
そこに目を向け
そして その中で
大変な苦労をしなきゃいけないけども
見つけてくるものを
なんとかして提示しないといけない
それは提示できないから
提示の手前で終わってしまう
かもしれないけど
やろうとしたのが
私の50年、60年の 貧しい道でした
そうしたことに
本当に貧しい
読者もまったく要らない
わからなくてもいいという
印刷文化、あるいは
新聞ジャーナリズム文化に
毒されないような さらに深い
未知の声の根源