「構想の順序」試論
例えば、IT企業に務める会社員が「毎日定時で帰れるようになりたい」と願ったとする。
①よくあるビジネススクール的な「問題解決」の文法にのっとるならば、以下のような論理展開がなされる。
「毎日定時で帰れる状態」を、より詳しく具体的に定義しよう(SMARTに、等)
そのうえで、現状とのギャップを洗い出そう(◯◯業務に時間がかかっていて、残業が発生している、等)
ギャップを解消する方法を立案しよう(作業の時間短縮方法の導入、タスク管理や時間管理の徹底、等)
これはこれで構わないが、解決できるのは「問題として想定した範囲内」であり、その範囲を超えた問題が発生した場合、定時では帰れない事態が出来しうる。
②経験者がしたり顔で助言すると、以下のようなアドバイスが出てくるかもしれない。
周りに気を遣っているから、帰れないんだ。嫌われる勇気を持て。
残業のない部署に、異動しちゃえばいいんだよ。そういうときのためにも、普段からマネージャとは仲良くやらなきゃ。
独立しちゃえば、業務時間なんか、自分の思うがままだよ?
たまたま偶然、ぴったりした解決策が出てくるかもしれないが、その確率は果てしなくゼロに近そうである。
③コーチング的な文脈だと、どうだろうか。
君は、そもそも、なぜ、定時で帰りたいんだろうか?ぜひとも傾聴したい。聞かせてくれないか。
うんうん、なるほどね。とてもよくわかるよ。そこを、言語化するのが、大事なんだ。特に、このAI時代にはね。
そうだな・・・人生のwant/must/canでも考えてみようか。あるいは、君自身のパーパスを。
「よりふさわしい問いを、一緒に考える」のは、悪いことではないが、なんだか、誤魔化しの気配がしなくもない。
④少し気の利いたコンサル風味の展開を考えてみる。
「定時で帰りたい」から「定時で帰る方法」を考えるのは、そもそも、論理展開が雑すぎるよ。
そういうときは「上位要求」に着目しよう。君は、なぜ、定時で帰りたいのかい?
なるほどね。それを叶えるには「定時で帰る」以外にも、手段はたくさんある。ベストなものを、一緒に考えよう。
まぁ、それは本当に、そうなんだけど・・・手段の目的化を戒めるだけで、コンサル面されても、正直、困る。
⑤chatGPTに聞いてみる
タスク管理を徹底し、優先順位を明確にする。
仕事の効率を上げるため、時間配分を見直す。
上司や同僚に協力を依頼し、無理な残業を避ける。
まぁ、そうですよね・・・。それができる人は、こういうことで、悩まないんだ。にんげんだもの。
上に挙げたすべてのアプローチは、誤りである
こうした次元で考えるあらゆる助言は、プロジェクト的な視点で捉えると「かえって定時では帰れなくなるような、足かせになるような結果」を、いつどこで生じさせても、おかしくない。
①の場合→問題解決ルーチンの質が低い場合、結果は伴わない
②の場合→頓珍漢な解決策にたどり着く可能性が高い、あるいはそもそも解決策にたどり着かない
③の場合→内心を探っても、業務環境は変わらない(ゆえに、問いそのもののすり替えを志向する)
④の場合→結局のところ、①~③の混合である
⑤の場合→同上
願った結果が伴わないばかりか、誤ったアクションを取ることで、状況が悪化するかもしれない。
①の場合→余計な業務管理の導入により、生産性がむしろ低下する
②の場合→交渉相手を誤ってしまい、心証を悪くしただけで終わる
③の場合→ぼやけた言語化により、そもそも何が問題だったのかがわからなくなる
④の場合→①~③の混合
⑤の場合→同上
「定時で帰りたい」というのは、並行的に去来する様々な欲求のひとつでしかない。
欲求には「いまの給与水準は維持したい」とか「まわりに無能だとか、怠惰だとか思われたくない」とか、色々ある。
当然ながら、「なぜ、定時で帰りたいのか」という事情は、人によって様々である。
親の介護が始まった、という人もいれば、子どもが生まれた、という人もいる。
職場のストレスに耐えきれない人もいれば、新しい趣味にのめり込んだ、という場合もある。
「定時で帰りたい」の度合いにも、多様性がある。
週に一度、残業するぐらいならオッケーなのか。10分、20分ぐらいは許容できるのか。
あるいは、時間ピッタリでないと都合のつかない事情があるのか。(保育園のお迎え時間など)
例えば「定時で帰りたい」の上位要求が「保育園のお迎え」であった場合、かなり高い確率で「パートナーやじいじ、ばあばの協力が得られないのか」「学童保育や育成室の延長サービスは使えないのか」という反問に直面する。確かにそこだけを見て、そこだけを解決すれば、局所的な問題は解決するかもしれないが「定時で帰りたい」と願う当事者の、幸せにはたどりつかない。
ここで思い出さなければならないのは、「プロジェクト工学の第三法則」である。
第三法則 プロジェクトの過程における諸施策の結果もたらされる状況は、即座に次の局面における制約条件となり、ときにプロジェクトの勝利条件そのものの変更すらも要求する。
施策を誤ってしまうと、次に導かれるのは、より悪化した局面である。局面が悪化した場合、取れる選択肢は狭められていく。その先にあるのは「手詰まり」である。プロジェクト状況において、最も避けるべきなのは「選択肢を狭めるような選択」である。
https://gyazo.com/4dcd768af21e7e60f211c25da5286bbb
実は、この図は状態「2-i」と「3-i」を、評価値順に並べていて、それがポイントである。
(選択肢の豊富さ∝局面の評価値)
プロジェクト構想問題として、これにあたると、どう考えられるのか
「定時で帰りたい」という願いを、プロジェクト構想問題として考えるなら、「定時で帰れる生活」を獲得目標とし、以下のプロセスを経ていくはずである。
① 理由はどうあれ、その獲得目標が、唯一かつ無二の、至上命題であるのだと、決心する
② 達成を阻む諸問題を洗い出す
③ そのうえで、もっとも致命的な問題は何かを見極める
④ 他の問題は一度棚上げし、最速でそれを解決するための方法を立案し、可能な限りの全資源を投入する
⑤ それによって導かれた状況を受け止め、評価する
⑥-1 引き続き当初の獲得目標の実現可能性が感じられるならば、次の致命的な問題に対処する
⑥-2 そもそもの願いを願うことが無意味になったならば、改めて、決心すべき獲得目標を考える
⑦ ①に戻る
この繰り返し構造は「三つの原則」という現実があるからこそ、そんな現実に適合していくための、唯一の方策なのである。
最初から、正しい勝利条件がわからなくてもいい。意図した施策が、思い通りに奏功しなくてもいい。人間とは、情報処理能力がとんでもなく低くて、しかも、行為においても、一度にひとつずつしかできない生き物だからだ。
だからこそ、一番大事な、致命的な問題だけを考え、ただただそれだけに、あたっていけばよい。それしかない。
そこで大事になるのが、第三法則である。自分が取った施策の結果、よりマシな局面に辿り着こうぜ、という話である。
よりマシな局面とは
自分の願いがかなった状態に近い状態
あるいは、何を願うべきなのかが、よりはっきりと分かった状態
そして、それらの実現に向けての選択肢が、より広がった状態
である。
未知なる状況において、長期ゴールは、逆算するためにあるのではない。未来を展望するためにある。もちろん、短期ゴールは、逆算すればよい。逆算のしどころを誤らない、ということが、プロジェクトの構想において、重要である。
いの一番、初期局面の初手で「今の自分にふさわしい願い」を願うことができたなら、プロジェクトとは、その困難さに気づくことなく、いや、プロジェクトとして認知すらされずに、終わっていく。逆に言えば「何を願えばよいかわからず、やみくもに動いてみた結果、濁った局面に直面することで、願うべき願いに、初めて気づいていく、出会っていく」というのが、プロジェクトの実相である、とも言える。
(だからこそ、一体なぜプロジェクト工学みたいなものが必要なのか、さっぱりわからない、という人と、出会えてしみじみと良かった、という人に、きっぱりと二極化する)
願うべき願いと出会った瞬間とは、過去、積み重ねてきた様々な蓄積と現在に、繋がりが見える瞬間でもある。
伏線回収の気持ちよさの瞬間、とも言えるし、「必然的な偶然」という言い方をしてもよい。
想定外に「奇貨置くべし」と即断できて、初めて、プロジェクトは、成就する。
こうしたことは、やはり、逆算式の構想では、なかなか、できないものである。さりとて、運命論に丸投げしちゃうと、それはそれで再現性というものがなくなってしまう。だからこそ、プロジェクトの思考法が、必要なのである。
最近はどうも「問い」流行りの世の中のようで、猫も杓子も「正しく問いを立てよう」なんて言っているが、そんなものは、凡夫には無理な話である。「正しく◯◯すれば、楽々だ」というコンセプト自体が、コンサル商売のための虚構である。
唯一答えがあるとすれば、それは「一生懸命、前向きに苦しんでいれば、それが極楽だ」ということである。