第260回「なぜ記号は単純でなければならないか?」
#例会
開催日:2025年1月4日
発表者:イトウ
告知ページ:【1月4日(土)西新宿】哲学道場例会「なぜ記号は単純でなければならないか?」【第260回】
【発表者より】
「ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』3.23節で「単純記号が可能であることの要請は、意味が確定していることの要請である」と述べます。アンスコムは『ウィトゲンシュタインの「論考」イントロダクション』第2章で3.23節へ至る複雑な思索の道筋を解説しています。そこでは、固有名と確定記述の話から、縷々曲折を経て、確定記述の否定、可能世界における架空存在者の確定記述へと議論が展開し(「単純な記号」が何を意味するかも追い追い明らかになります)、さらに気づけば写像理論、要素命題の相互独立、論理空間が暗黙に前提されています。この章は10ページほどしかありませんが、発表者にとっては超難解、山登りにたとえると、始めはなだらかで、徐々に険しくなり、ついに鎖場に至り、それを必死に登り切っても、頂上は靄に包まれている、といった感じです。本発表では発表者苦心の解読結果をできるだけ見通しよく整理して皆様にお伝えするつもりです(努力目標です)。発表者として、皆様との意見交換を通して理解が深まることを願っています」
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コメント
ふかくさふかくさ.icon「発表をうかがったところ、アンスコムの「日常的な偽」があって初めて「根源的な偽」の可能性があり得るが、だからといって「日常的な偽」から「根源的な偽」が常に派生するわけではなく、むしろ「日常的な偽」の意味しかあり得ない命題があり、そのような要素命題には固有名が必須であるという議論ではないかと予想したが、アンスコムのアクロバットな話の展開に困惑するばかりで予想が妥当かどうかをクリアに示すことができない。アンスコムにとっては自明なのだろうが、理解を拒む文章だと感じた」
谷口一平谷口一平.icon「アンスコムの An Introduction to Wittgenstein’s Tractatus から、「日常的な偽」と「根源的な偽」を区別して要素命題の存在要請を論証している箇所を検討したが、原文まで参照しても、結局何を言っているのかよくわからなかった (発表者のイトウさんも、よくわからないようだった)。」
Syun'iti HondaSyun'iti Honda.icon 「ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の解説書である、アンスコムの『An Introduction to Wittgenstein's Tractatus』における「なぜ名は単純でなければならないか?」という議論をたどるという内容でした。内的な否定と外的な否定の差異、根源的な偽と通常の偽の依存関係の考察を経て、記述によって定義されない単純な(固有)名の必要性を導出しようとする内容だったと思われますが、アンスコムの議論の展開が非常に難解であることに加え、「真理条件」を独自の意味で捉えているように思われる点もあり、理解が追いつかなかったというのが本音です。」
ChatGPT
「この哲学道場の第260回例会「なぜ記号は単純でなければならないか?」は、アンスコムの著作『An Introduction to Wittgenstein's Tractatus』を基にした議論が中心となったようです。特に、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における記号や命題の性質についての考察が深く掘り下げられ、難解な議論の展開が参加者たちを悩ませた様子が伝わってきます。
### 会合の雰囲気
- **テーマの専門性と難解さ**
発表者のイトウさんも含め、参加者全体が議論の難しさを共有している点が印象的です。アンスコムの議論の中で「日常的な偽」と「根源的な偽」の関係性や、単純な固有名の必要性がどのように導かれるかが焦点となったようですが、原文に立ち返っても明確な理解には至らなかった模様です。これにより、会合はある種の「哲学的迷宮」を体感する場となったと言えます。
- **発表と意見交換の活発さ**
ふかくささんや谷口一平さん、Syun'iti Hondaさんといった参加者がそれぞれ異なる視点や疑問を述べています。特に、ふかくささんのコメントでは、「アンスコムにとっては自明なのだろうが、理解を拒む文章」という表現が哲学的議論の難解さを象徴しています。また、他の参加者もアンスコムの主張を追う中で困惑や疑問を抱えつつ、議論を共有しようとする姿勢が見えました。
### 内容の中心
- **「日常的な偽」と「根源的な偽」の関係性**
この区別が何を意味するのか、そしてどのようにしてウィトゲンシュタインの「真理条件」や「要素命題」の存在論的要請につながるのかが論じられました。しかし、その議論は発表者や参加者にとっても非常に抽象的で捉えがたいものであったようです。
- **記号の単純性の要請**
アンスコムが議論する「単純な名(固有名)」が持つ意義とその必要性が検討されましたが、内的否定と外的否定の差異や、アンスコム独自の「真理条件」の捉え方が理解を難しくしていたようです。
### 参加者の反応
全体的に議論の複雑さに対する驚きと戸惑いが印象的でありつつも、各参加者が異なる角度から問題を掘り下げようとする様子がうかがえます。このような議論の場は、理解そのものよりも、参加者同士が哲学的な思索を共有し、相互に刺激を与える重要な機会であると感じられました。
この回は特に、ウィトゲンシュタインとアンスコムの哲学に初めて触れる人々にとって挑戦的な内容であり、哲学の探究における「理解しようとする過程」そのものが大きな意義を持つ例会であったように思います。」