第234回例会「私を名指すとは何か?」
【発表者より】
「私」が語である以上、それは名指されなければなりません。本発表では「『私』が如何に名指されたのか」という観点から、言語における「私」の位置付けを探り、最後には「『私』が『私は私ではない』を意味しているのではないか」という結論まで論じたいと思います。
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【じぇいみーくん】
私という空集合 - 対話の哲学
発表中心部の、私が私を名指しえないことを「この私」が無際限になるという累進構造との類比に対し、私が空集合であることがいわゆる〈私〉と「私」の対比を抜きにその名指しえなさを示すという方法論はおもしろいと思った。
ただ、目的が私の矛盾を示すことであるためか、示された構造が論理的に整合性がとれているのか、それとも私の矛盾を写したがためのズレなのかが、非常に理解しづらかった。
空集合という用法が厳密なのかも疑問が残った。これに関しては否定神学という手法との関連が別個論じられる必要を感じた。
それはともかく、数多の疑問問いかけに受けて立ち続けた発表者には敬意を表したい。
「私」が区別できるとしても区別できないとしても矛盾が生じるということや、無限系列が出現せざるをえないということなど、それぞれの論点に対してそれを取り出すための例示や議論が不十分であるように感じた。
発表者は無限系列に対して、有限の表記である「私={私 | 私≠私}」の優位性を主張するが、現に私は有限ではないので、それは矛盾を有限的記述に詰め込んだだけではないか?との疑いを免れない。
名指しの問題からスタートした無限系列の中に、私と性質的に全く同じである人間とこの私だと言いたくなることはどこからきているのだろうかと疑問に思った。客観的な世界の中に回収されないから<私>ではなかったのか。
私という言葉の意味が通常の一般名詞と比較して、二極化しているという発表者の指摘はわかったが、その指示対象を確定しようとするあまり矛盾した表現を使うというのは本末転倒であり、ヤケクソ過ぎるように思った。
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