第232回例会「『動く今』の移動方向をめぐるアポリア」
【4月22日(土)新宿】哲学道場「『動く今』の移動方向をめぐるアポリア」【オフ】 - TwiPla 以下、感想など。
【大島てゑ】大島てゑ.icon
タイムマシンによって現在の世界から10年前の世界に移動したとしても「でも世界が現在の世界から10年前の世界に変化しているだけだ。時間はいつもと同じように今から未来に移動しているだけだ」と言いたくなる。しかしそもそもその「今が未来に移動する」という信念はどこからきているのだろうか?
と討論を聞いてその疑問があったんだという驚きが印象的でした。
確かにその時点その時点の今があるだけでその上を<今>がどのような仕方で移動していても(移動?)それがどちらに向いてるかを確かめることはできない(?)
【ばぶ太郎】
◯まず「過去に向かって」今が動くのは想像不可能ではないか。また1億年前に今が戻るなども訳が分からない。これは私が観測者として機能することが必要なのではということ。
◯今を観測するために外側に時間が必要ではという観点について、時間は数直線のようなものでその上を今が動くと想定したとして、この時間というのも元はと言えば動く今のことであったとすればそれとこれで向きが違うことがおかしさとして際立つ。ここで空間が強制右スクロールしてるという想像を導入すると、空間が右に右に流れていくことと今の動きが重ね合わされると想像される。 世界の在り方とどうやら不可分であり、例えば時間tという、つぎつぎ性という性質をもった物質が時間の正体ではなどとも考えることができてしまうのであり、今もそれに従属してしまいそうだということ。それゆえに、しょっちゅう今が止まる世界などを一旦考えてしまえば、当然のことになる、はず。それにしても時間が逆向きに動く世界とは訳が分からないが。
◯時間ループについて、興味深いのはループにきづくほう。そんなメタな観測者になりえるかという疑 問だが、前回の会から連なる興味として、夢世界の私が初め夢とも疑わず十年前を過ごしてしまうが、やがてこれが夢だと気づき明晰夢状態にうつるあのいびつさと類比したらどうか、と。あくまで夢は夢であるが。ちなみに強制右スクロールの場合で、左に動くこともあるのではとメタに疑うことは可能であろう。しかし相変わらず時間が逆向きに動いてるとメタに認識するなどますます分からない。この辺りは否定性など認識のカテゴリーとも関わってそうだが、訳が分からなくなるのでここまでとする。 【200】200.icon
【谷口】谷口一平.icon
世界の内容的事実がどうであるかによって、時間現象はさまざまに今われわれが理解している姿と違ったものでありえた。他方で、内容的世界は形而上学的「今」にいっさいアクセスする手段をもたず、ここには断裂がある。それにもかかわらず、端的な「今」というものが存在し、しかもそれは動いているように思われる。この困難はあまりにも巨大なものであるということが、発表していてますます強く実感された。人類は「時間」というこの途轍もない構造について、その一端すらをも明らかにできていないのではないか。 【ふかくさ】ふかくさ.icon
数直線の上を動く点や時計の文字盤の上を動く針といったかたちで「動く今」という表象を誰もが持っているが、それはいかにして可能か、特に、単に移動するだけでなく、なぜ過去から未来へと向かう一方向性しか持たずその逆はあり得ないのか?という話だと受け取った。
我々人類が「今」をどのように表象しているかという通俗的な観念からのアナロジーで考えることもできるが、ふかくさとして気になったのはそもそも「今」というのはひとつの名の下にまとめられていて、「1900年」も今の一例であり「2023年」も今の一例(外延)であるかのように思われるが、どのように特徴づけられるかというとそれ自体として物理的な特徴づけ(内包)を全く持っていないという点である。だから「今」は
(1)過去でない・未来でないという規定のされ方をする消極的な概念である。もしそうだとすれば、過去概念(事実名前の確定性という特徴づけを持つ)や未来概念(未確定性という特徴づけを持つ)を固めないと「今」概念も明確に語ることはできない。
あるいは(2)「今」はそもそも概念ではなく個物であり、個物として特有の法則に従って未来に向かって「落下」する法則があると考えた方がよいのではないか、と思えた。
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