第271回例会「人生を賭けた不道徳な選択──バーナード・ウィリアムズ「道徳的な運」を読む」
#例会
告知ページ:【8月9日(土)西新宿】哲学道場例会「人生を賭けた不道徳な選択──バーナード・ウィリアムズ「道徳的な運」を読む」【第271回】 - TwiPla
開催日:2025年8月9日
発表者:大島てゑ
コメント
ふかくさ「人間の生き方は決断の連続である。そこで道徳にウエイトをおかない決断をすることはありふれたことだ。ウィリアムズは肉親を捨てて芸術家として成功するような事例を結果によって経路や手段が『道徳的に』正当化されるような場合を想定したようだ。しかし、それは例えば政治家のように『結果責任』がある場合、すなわち委託者(国民、受益者、プリンシパル)と統治者(政治家、エージェント)とが分離している場合の特殊な倫理(政治家は個人的に悪事をなしても国民の利益を最大化できればよいとされる)であって、個人の人生においてそのような正当化が求められているのかどうかはまったく明らかではない」
Syun'iti Honda.icon 「カント的な近代道徳はそもそも、ある主体がコントロールできない選択や行為の結果に道徳的な価値や責任をおくことはない。一方で、人生において選択の結果が「運」によって決まるのに、それが道徳的に評価されることは間々ある。ウィリアムズはこのような状況を「道徳的な運」と呼び具体的な事例を踏まえて検討した上で、機械的な道徳法則の適用ではない「葛藤」を経た選択による結果としての自己実現や後悔を道徳的な価値判断の対象に組み込もうとするものだったと理解しています。内容的に「道徳的な運」そのものというよりは、運によって左右される個人の人生の価値やそれに対する後悔に、「合理的な」価値/意味づけを与えようという試みのように感じました。」
参考資料
澤田一範 (2023) 『関西学院哲学研究年報』,56,67-101
参加者
200.icon 200
イトウ
ボブ
Syun'iti Honda.icon Syun'iti Honda
谷口一平.icon 谷口一平
マンマのさんま.icon マンマのさんま
ふかくさ.icon ふかくさ