第237回例会「伊藤潤二『富江』解体批評─美が実体化されることへの恐怖─」
深草「この伊藤潤二の作品には独自の恐怖が描かれているというのがconclusionであった。第一に、独自性については富江というキャラクタが美の概念でありかつ(マンガに描かれた記号としての)表象でもあるという点が特異だと強調されており、これがpremisesの一つに当たるかと思うが、それであれば他の作品にも類例があるため根拠として弱い。第二に、恐怖という点では深草は通常恐怖というものは何かの兆候と危害とが客観的因果関係にあったり、類感呪術のように連想関係におかれることによって生じてくるものだと思うのだが、発表者によれば恐怖にはそのような有害な帰結を根拠とする以外の部分があるのだという。それは異常さに由来するが、日常が直接的に異常でもあるというのが本作の恐怖であるというのが2番目のpremiseに当たるかと思う。しかしただ異常であるだけでは驚愕するのみでそもそも恐怖と呼称するにはやはり弱いのではないかと思った」
谷口(あらすじ)
「京子、勁く生きろ・・・!」そのとき、亡き祖父・ルック進兵衛の言葉が京子の耳元に甦った。
時は戦国時代。元華族・たかしくんをめぐってハートフル財閥の令嬢・ハートフルみさえと相角逐する、貧乏サラリーマン家庭出身の目立たない女子高生・ルック京子は、ルッキズムと整形手術の魔法の力によって、革命党における階級的先駆としての自らの役割に目ざめてゆく。一方その頃、名古屋城では・・・
ばぶ太郎
「富江」という作品が美そのものによる恐怖、外見だけでなく内面までまたがることの歪さを抉りだしているということがよく分かった。
ジョーズ、鳥、様々なSFもの、等種々の作品と比較するとより理解が深まるようだった。
ばぶ太郎は安部公房(鞄、砂の女)、暴虐のコケッコー、渋谷金魚、氷の微笑、いわゆるお笑いコント、との比較が想起された。
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