公共空間・社会的ジレンマ・社会関係資本
当研究室では、ストリートピアノ、社会的ジレンマ、データサイエンスといった観点から文化的まちづくりを実践的に研究しています。
公共空間
公共空間は、道路、広場、公園、商店街、ストリート、ショッピングモール、駅、街並みなどの建築物や樹木などで構成されることが多く、それらは多くの場合、公共財によって構成されている。また私的財である私邸も、その外壁部分は景観という公共財を構成する。 このように公共財は行政によってのみもたらされるものではなく、人びとの営みによってボトムアップに形成されるべきものでもある。これは「公共空間のコモンズ化」ともいえ、詳細は都市コモンズ論を参照。 斎藤純一(2000)『公共性』がいうように、公共性とは本質的に、誰もに開かれていることであり、多様性を伴うものである。したがって都市のような公共空間は多様性を容れる社会そのものといってもよい。しかしながら、ここでの空間は物理的なものを想定しており、身体・建築物・交通手段といった問題系を考えている。
広場やストリートなどの公共空間は社会の多様性を反映しているべきだが、外国のゲーテッドコミュニティのように、物理的に多様性を縮減させ、富裕層のみのコミュニティを実現する排他的な取り組みは今日大変多い。日本のタワーマンションは道路は含まないものの、ほぼ同じである。これは一種の排除の論理である。
かつて日本の大都市周辺である郊外に形成されたニュータウンは、戸建てにせよマンションにせよ、ホワイトカラー層すなわちサラリーマンと専業主婦が住むことで、きわめて均質的な街であった。そのため、ちょっとした違いに敏感であり、日本のムラ社会的な、横並び意識と同調圧力が強い空間でもあった。タワーマンションでもある程度同じことはいえるかもしれない。
一方、下町や商店街はもともと異質な人びとが居住しており、全体として多様なので均質性による抑圧はなく、比較的寛容であったとされる。公共空間を考えるさいには、このような多様性を尊重する必要がある。そうしないと、抑圧や排除の論理がまかり通るからである。
だがそれだけでなく、フロリダ(2014)がいうように、多様性はクリエイティブな街の主要な条件である。20世紀までの工場が産業の中心となるのではなく、21世紀においては都市のおけるクリエイティブ・クラスが産業の中心であり、豊かさの源泉である。だからこそ創造都市論は常識になった。なお、創造都市論は、都市観光も含まれる。
今日の都市においては一過的なものに終わらない創造性が持続される「クリエイティブでサステナブルな公共空間はいかにして可能か」という問いがつねに発されているのである。
リチャード・フロリダ(2014)『新 クリエイティブ資本論---才能が経済と都市の主役となる』ダイヤモンド社
同質性と数理モデル
広場・公園・商店街などの公共空間では、多くの人びとが匿名の存在として振舞っている。
匿名性は同質性としても解釈でき、数理モデルとの親和性が高い。それゆえ、非協力ゲーム理論(社会的ジレンマ)が重要になる。
特にストリートピアノやマルシェの来場者(一般参加者)に対してはそうだろう。
しかし商店街などでは、お店や会社が固有名をもって、中長期的に営業している。
また、寄留民(賃貸アパートに住む一時的な住民)ではない一般的な住民(家をもってる人など)は、中長期的にその街に住む。
お店や住民は長期的な付き合いが可能となるので、協力のインセンティブが出てくる。だから匿名であっても、長期的であれば協力の可能性が高くなるが、さらに住所をもつ固有名のある住民はさらに協力の可能性が高くなる(下記のreputationの効果)。
社会的ジレンマと社会関係資本
社会的ジレンマとは、個人が合理的に行動すると、社会的には非合理的な結果をもたらす状況をいう。
つまり、個人的合理性と社会的合理性が乖離する状況のことである。
まちづくりと社会的ジレンマ
まちづくりは文化祭に似ている。そこではともに、多くの人が参加したほうが盛り上がる。これはN人保証ゲーム的。
しかし、まちづくりは、限られた少数の人がボランティア的に仕切っている。これはN人チキンゲーム的。
また、そもそも誰もボランティアをやりたがらない構造が基本にある。これはN人囚人のジレンマ的。
本来はN人囚人のジレンマとしてあるが、何人かが連携して全員非協力から部分提携で抜け出せるため、N人チキンゲーム的にみえるのではないか。組織はこの連携をフォーマルにしたもの。
固有名
一方、公共イベントや公共の仕組みなどを立ち上げる主催者側は、時間的・金銭的・体力的に大きな費用がかかるが、これらの費用を超えるだけのインセンティブは匿名の個人にはほとんどない。しかしながら、自身の名や顔が売れたり、名が残ったりするのであれば、これはreputation(名声)という形での個人が得る価値になる。
これは広い意味では単なる名声ではなく、個人が地域や社会に貢献したいという自己実現ともいえる。
組織とネットワーク(社会関係資本)
組織(学校・サークル・NPO・企業など)や個人のネットワーク(地域サークル)などは、顔と名をもつ個人の連携であり、公共イベントや仕組みの立ち上げ費用を超えることが可能になると考えられる。
連携によって、N人囚人のジレンマの全員非協力均衡から抜け出すことができる。
こういった連携は、社会関係資本(Social Capital)といわれる。Social Capitalはネットワーク・信頼・互恵性規範からなる。
全員非協力均衡からの抜け出しには、FaceBookなどSNSでの基本的に実名のもとでのオンオフラインでの繋がりが重要である。これらはネットワーク分析が適用可能である。
また、職業や立場が異なる者が補完しあって相乗効果を作り出すことも効いている。異質な人びとの協力は足し算ではなくて掛け算で作用する(コブダグラス型関数)。これはN人囚人のジレンマから、N人保証ゲームへの変換として考えられるだろう。
ネットワークの結束型と橋渡し型
地域や社会における公共財供給としての協力は、個人がバラバラでは難しい。そのため、
コモンズ
共有地の悲劇 (Commons: 共有物)
コモンズについては下記参照
オストロムが強調するように、コモンズは自発的な制度と組織を創発させるものである。この自発的な制度や組織は、外部から強制されることなき自己組織化であり、この自己組織性や創発は、明文化されるにせよされないにせよ、社会関係資本から生まれ、またそれを発展するものだろう。
ネットワーク・信頼・互恵性規範のセットとして定義されることが多い社会関係資本は、基本的には顔の見える二者関係の足し合わせである。しかし二者関係の足し合わせでは、安定性を欠くことも多いため、行動指針を伴う様々なルールや制度化された期待が、もっといえば様々な役割期待が、二者関係をバックアップする。組織は、このような様々な役割期待のシステムと期待される人びと(メンバー)からなるセットである。このような期待に対応した行為選択が協調行動であり、(組織や地域や社会への)協力といわれる。
コモンズは、その管理・運営・発展を担うための役割期待のシステム(制度)をもつ組織を伴うことが多い。近年、マルシェを開催するようなまちづくり会社は、そういったものであろう。
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