都市コモンズ論
都市コモンズ論:公共空間とコモンズ
Comons:万人に開かれた文化的資源や自然資源のことで、空気、水、居住可能な土地などを含む The commons is the cultural and natural resources accessible to all members of a society, including natural materials such as air, water, and a habitable earth.
common:「共通の」
日本のコモンズは村落共同体が管理する入会地をさすことが多くクラブ財であり、万人に開かれているわけではない メンバーを限ることにより、本来ある資源の競合性をなくしている
コモンズがもつ開かれた公共性が、日本の場合はムラ社会の集団的閉鎖性と抵触するのでわかりにくい
コモンプール財としてのコモンズは、ストリートピアノや公園の遊具など
コモンズとしてのストリートピアノは、人を集めることでコミュニティを形成させる装置でもある
都市コモンズ(Urban Comonns):入会地や自然環境など伝統的なコモンズだけでなく、アーバン・コモンズが考えられ始めている(前山2015「都市のコモンズ」) https://gyazo.com/54ee705dfa0d7d61c39710d6c670fec8
Hess, Charlotte,2008, Mapping the new commons, Social Science Research Network.
公共空間のコモンズ化 (commoning):行政が与える素っ気ない施設などの公共空間を、いかに自分たちのコモンズにしていくかが都市コモンズでは重要(Harvey 2012)
ハーヴェイは都市のコモンズを念頭においている
Harvey, David, 2012, Rebel Cities. From the Right to the City to the Urban Revolution, Verso
=デヴィッド・ハーヴェイ,2013,(森田成也[ ほ か]訳)『反乱する都市 : 資本のアーバナイゼーションと 都市の再創造』作品社
コモンズ化は、コモン化、コモニングともいう(サードプレイス化ともいえそうだ)
コモンズは、特殊な種類の物や資産、あるいは社会過程としてさえ解釈されるべきではない。それはむしろ、不安定で可変的な一つの社会関係(Harvey 2012)
その社会関係の一方の項には、自己規定する特定の社会的グループがいて、そのコミットするモノ、施設、空間等がそのグループの生存や動向に重要と目される場合、それを「自分たちのもの」としての共同的なもの(コモン)へ変えてゆこうという努力がなされる。それが、「コモンズ化する」(commoning) という社会的実践ということになる(Harve 2012 p.73)。
都市コモンズを現出させるにあって、コモンズ化とは、
①場所の捉えかえし(固有性を持つ自らの場所としての理解)、
②組織化、
③利益主義ではなく地域主義とボランティア経済(贈与経済、社会経済)
の姿をまとって駆動するものであり、住民自身による組織化がその基盤となっている。前山(2015) 闘技場としての都市コモンズ:都市は、諸々の社会集団によるコモンズ化同士の闘争の場である。都市コモンズを、このような動的な意味で捉えておく必要がある。以下は、佐々木啓(2013)からの引用(太字は引用者)。 ハーヴェイ(2013)は、1%の人々の手にある「都市への権利」すなわち「われわれの内心の願望により近い形で都市をつくり直し、再創造する集団的な権利」(同書 p.26)を99%の人々のもとに取り戻す道を模索する
都市とは種々のコモン化が拮抗する場であり、原理的に闘争を内在する場である。そしてその多くに資本が勝利する場だ。このような見立てを手に入れれば、都市への権利に向けた第一歩は、資本によるコモン化によって別の社会集団のコモン化が抑制されない状態を獲得すること
ハーヴェイが、都市コモンズは一個の社会集団に排他的に利用される場合と、多様な人々全員に部分的ないし完全に解放されて利用される場合がある、と述べていることに着目したい
[建築デザインの]立場は、多かれ少なかれ、ある社会集団のコモン化を促進し、ある社会集団のコモン化を抑制することに物的環境の創造という手段で加勢している、ということに自覚的でなければならない。これは課題であると同時に、デザインの立場に用意された都市への権利にアプローチする回路でもある。物的環境と社会集団の関係を組み換えていくことは、資本や公的機関のレトリックを相対化し、多様な社会集団を許容することに繋がるはずだ。
遊びや祭事、音楽や踊りといったものは集団的になりうるものだが、ここでの共同性は、政治的なイデオロギーのように個人の外側にあって人々に共有されるものというより、個人の身体にはじめから内蔵されているところに特徴がある。例えば音楽にあわせて自然と体を動かすことは、基本的に各身体に自然と備わっているものであり、ひとつの集団を形成するものにもなりうる。このことはコモン化の主体である社会集団を規定するものとして、利害関係やイデオロギーのように境界が顕在化させるもののほかに、身体に内蔵された振舞いのような柔らかな、しかし多様な共同性を見逃してはならないことを示唆している。
音楽イベントや盆踊りのような祭は、収入や地位の違いを取り去ってくれる。ストリートピアノはその顕著な例だろう。
佐々木啓(2013)「コモン化」なる社会的実践から空間について考える──デビッド・ハーヴェイ『反乱する都市──資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』 コモニングに関しては下記も参考になる