志向的体験
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人間が直接経験を通して諸現出を突破して現出者を知覚する場面のこと 対象、例えばサイコロが見えるというのは、サイコロの諸現出が遠近法的に感覚されるだけでなくそれらを媒介にして現出者がキュビズム的に知覚されるということ
五感によって感じられた対象の現れの一瞬間が現出であり、この現出が集積したイメージの集まりが諸現出である 上述の図参照。机に置いてあるサイコロに注目すると、まず一側面が見えている状態があり、距離を離れたり近づいたり、回り込むことで様々な状態のサイコロの見え方の瞬間を得る。この集まりが諸現出である。
ここではサイコロそのもの
諸現出をまとめ1つの現出者に結像する機能を志向性という これを包括した場面が志向的体験とされる
avashe.iconこの言い方が面白い
サイコロについて観察すると、日常生活では「サイコロという現出者」を主題にして記述するが、実際に体験しているのは諸現出なのであり、この感覚は主題にならない
したがって現象学的意識は主題的な成分だけではなく(一般的な定義と違って)非主題的な成分を含む
現出者と諸現出はいつも相関的である
対象は普通、超越して意識の外に存在すると思いこまれているが、対象は現出者であり、諸現出とそれらを突破する志向性から切り離されない 現象学的には現在は点的な瞬間ではない
把持、原印象、予持の3つの働きが「現在の幅」を形作っている
3. 予持は未だ到来してない現出をすでに予期している働き サイコロを反時計回りに回り込みながら観察し、正面まで捉えた時点を上述の図で示す
この時間的な現出の変化をフッサールは直観経過とよぶ 何度も聞いたことのある音楽がバラバラな音の現出ではなくメロディという集まりとして体験されるのはこのため