練習の方法
けテぶれの「れ」はかなり自由度が高い。
授業におけるけテぶれでは、計画はほとんどその時の活動の意気込みや目当てといった程度の内容になりますし、テストも指定された範囲の問題を解いて答え合わせをするだけ、分析はそれを振り返る。と、ここまではそこまで自由度が高くない。が、ここから「練習」で一気に自由度が上がる。 なぜなら練習は「計画、テスト、分析の中で見えた弱点を乗り越えるために頑張ろう」と言われているだけだから。
どんな方法も採用できる。けテぶれの構造としてはこの自由度の変化に面白みがあると思っている。
滑走路、滑走路、滑走路、からの離陸といった感じ。
はじめから自由だと飛び出せない。
ちゃんと地面に足がつく段階で、方向と勢いを付けると、自由な空に飛び立てる
初めは、間違えた問題はもう一度やり直しましょうでいい。
練習は自由度が高く、工夫をしようと思えばいくらでも深められるのですが、それをいきなり入門期の子どもたちに求めるのは酷です。はじめは「間違えた問題はもう一度やり直しましょう」という指示だけでいいと思います。その時、何を目指してやり直すのか、という「やり直すことの目標」だけははっきりと伝えて上げる必要があるでしょう。
目標は当然「同じミスをしないこと」です。そのために、「練習」をするわけです。「目標」が明確になれば、どんな「手段」を用いるのかということを思考し、判断できるようになります。始めは「同じ問題を何度もとき直す」という方法くらしか出てこないかもしれません。(学校教育で得られる学び方に関する知識とはその程度のものである事が多いからです。)
成長はいつも「現在位置」から。それでいいのです。教師がやるべきなのは分析のときと同じく「自分がいいと思ったことを素直に実行してみることの価値」を伝えることです。「やらなきゃいけないからやる、みんなやってるからやる。」という他人軸の行動選択から、「やるべきだとおもうからやる、自分がやると決めたからやる」という自分軸の行動選択へ。「練習」ではこういうことを促していきたいのです。そのためにもやはり「分析」では素直な気持ちを文字にしてキャッチしておくということが必要なのですね。
「失敗できる程度の自由」を確保する
このとき、分析のときと同じく「こんなことしていいのかな?」という子どもたちの無意識のブレーキを外すことはもちろん大切ですが、教室でどの程度の選択肢が許容されているかという「自由の幅」はもっと大切です。練習は自由だよ!と言いながら、ノートのとり方まで決められていては、方法を自己選択する余地がないですよね。
だからといって、初めから「廊下やベランダで寝転がってもOK」というような大きな自由を渡してしまえば、子どもたちは自らをコントロールを失い、混乱させてしまう可能性もあります。
何をどの程度自由にするかは、子どもたちの実態から考えるしかないのですが、あまりも自由度が低い空間では、学びの面白さは半減してしまいます。自由度の高い環境で、自分で考えて行動し、その結果から失敗や成功を判断する。こういうことができないとけテぶれはまわりません。だから、「失敗できる程度の自由度」は確保したいところです。
”同じ失敗”をしないように“より良い失敗”を積み上げる
「失敗」から前に進むための情報を抜き出す
同じ失敗をしないように練習しましょうと、子どもたちは「次は失敗をしてはいけない」という気持ちになってしまいます。しかし、この2つは明確に違いがあります。
同じ失敗をしなければいいだけで、前回とは違う失敗は大歓迎なのです。異なる失敗に出逢えば、またチャレンジのときに注意できるポイントが増え、成功の確率が上がります。けテぶれのサイクルの中では、前回とは異なる失敗、よりよい失敗を生むという意識が大切です。